赤沢の即往堂(そくおうどう) (伊東市 赤沢) | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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伊東グランパル公園前の神祇大社の枝垂れ桜です。
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花言葉 優美 

枝垂れ桜で有名なのは、

福島県田村郡三春町にある三春滝桜

樹齢1000年以上のベニシダレザクラの古木です。

震災の被害もなく元気らしいですよ!

見頃は4月22日頃だそうです。

                     
                     神祇大社の庭園

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「伊東の民話と伝説」の編著者の

宮内先生とお電話で話をさせていただきました。

「伊東の民話と伝説」を多くの方に知っていただきたいと言うことです。

先生が書かれた本が書店サガミヤさんにまだありましたので、興味の

ある方はご購入をお願いします。



赤沢の即往堂(そくおうどう)    編者 宮内卯守先生


昔、赤沢にどこからか一人の年とった乞食坊主がやってきて、

浜の岩穴に住むようになった。


そのころ、赤沢ではどういうわけか、ここ二、三年漁がなく、

人々の生活は困っていた。 が、人情のあつい村人たちだ。


誰とはなくこの乞食坊主に三度の食事を運び恵んでいた。


この坊さんも寄る年波には勝てず、とうとう岩穴の中で病の床

についてしまった。


三度の食事を運んでいた村人だ。病気になってからというものは、

病人の口にあう食事をわざわざ作って届けるなど、以前にも

まして面倒をみてやった。


しかし、村人の手あつい看護のかいもなく坊さんの病は重くなる

一方った。

とうとう最後のときがやってきた。

村人たちは心配して岩穴に集まってきた。


坊さんは、自分の死期を悟ったのか、病で弱った体を起こして

もらい、村人たちに合掌し弱々しい声で言った。


いろいろ長い間、お世話になりました。何の恩返しもできなくて、

申し訳ありません。どうか私が死んだら、海へ捨てて下さい。

せめて私の体を魚の餌にして、魚がこの浦にやってくるように

しましょう。


それが今の私にできる恩返しのまねごとです


といい、合掌したまま静かに息をひきとった。


村人たちは、海へ死体を捨てるのは、いくらなんでも・・・と、いろいろ

話し合ったが、坊さんの遺志だから言われた通りにしようということに

なり、海へ手厚く葬ってやった。


やがて秋になり、イカの獲れる時期になった。

そんなある日、沖の海がボーッと明るくなった。不思議に思った漁師

たちは、


「なんだ!あのあやしい光は?」


と口々に言いながらも、漁をしなければ食べていけない貧しいくらしだ。

おそるおそる沖へと船を出した。

そして、光のことなどすっかり忘れてイカつりをはじめた。


イカをつりはじめておどろいた。ここ二、三年の不漁などまるで嘘の

ように、つれるは、つれるは、、漁師たちにとって思いがけない

大漁となった。


この日をきっかけに、漁に出るたびに大漁がつづいた。

村人たちは狐にばかされたような毎日だった。


大漁で夢中だった村人たちもこの大漁は”なぜ”と思うようになり、

前に世話した乞食坊主の死ぬ時のことばを思い出した。


「乞食坊主などといっては申し訳ない。あれは仏様の生まれ代わりだ。

あのお坊様にわしらは助けられたんだ。お世話してよかった」


と思うようになり、この大漁は、あの坊さんのおかげだからというので、

小さなお堂をたてておまつりをした。


それからというものは、坊さんの命日には村中で供養した。また、

不漁のときには、


「どうか魚がたくさんとれますように」


とみんなでおまいりするのだった。すると、不思議なことに、

きまって大漁となった。


そこで村人たちは、このお堂に「即往堂(そくおうどう」と名づけ、

大漁の時にはお礼詣りを、不漁の時は大漁を祈願するように

なったという。


このお堂は、大正の終わり頃まであったというが、現在は、そのあと

すらないのは、おしまれることである。

               (原話 太田紀衛さん・採話 小林一之さん)


東日本大震災では多くの方が津波の影響で亡くなりました。

生活の一部として多くの方が海を必要としているのも事実なのですね。


今日の赤沢海岸は少し波が荒れていました。
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