5月2日(月)、Amazonで募った赤前小学校(避難所)向けの各種支援物資「第二便」を、届けに行ってきました。
訪問メンバーは浦和のおっちゃん、そして自分の2名です(車2台)。
浦和のおっちゃんとは、先だって本blogで運搬ボランティアの募集をかけた際、唯一名乗り出てくれた人です。
5月1日(日)夜に、赤前小学校 副校長と打ち合わせを行った際、我が家へ入庫済で、且つ必要度の優先順位が高い物から運搬することに決めた。
5月2日(月)は朝から、ニーズに基づく物品の仕分け、再仕分けに追われ、結局我が家を出発したのは14:00を過ぎていた。
15:50頃 道の駅区界高原
で小休止、天候は曇り
赤前小学校(避難所)へ行く道中に、沿岸部の被災地を当然通ることになる。
前回、4月24日(日)に物資搬送で行った際、宮古市高浜地区、金浜地区などは瓦礫の山で、ほとんどと言っていいくらい手を付けられていない状態だったが、5月1日(日)には瓦礫が相当量取り除かれていた。
たった1週間で、こんなにも瓦礫撤去作業が進んでいることに驚いた。
17:30頃 赤前小学校(避難所)へ到着
同避難所へ他県から災害派遣で来ているスタッフの方たちにも、物資の運搬作業を手伝って貰うことが出来た。
左から、浦和のおっちゃん、同副校長
何故か浦和のおっちゃんもしていますね
今回運び込んだ各種物資詳細は、最下記に記載します。
当然のことながら、各種ご支援をいただいている方たちの「温かい気持ち」も一緒に届けてきたつもりです。
先方にも確実に、その気持ちは伝わっています。
自分が預かってきた伝言です。
「ご支援頂いた皆様へ、感謝しているとしか言えなくて申し訳ございません」
それらの物資を見ていた避難所へ避難されている方たちの様子?が、男女それぞれ異なっていた。
女性陣は「あれもある」、「これもある」と大喜びしていた。
男性陣はというと、最初に何故か「爪切り」に手を伸ばし、次に肌着類などを中心に大喜びしていた。
何故「爪切り」なのかを聞いてみた。
同避難所へは、常時130名が避難をしているが、爪切りが一つも無い状態だったのである(共用分)。
それで困り果てていたところ、段ボールの中へ「爪切り」が入っていたので、思わず手が伸びたということだった。
その後、もはや恒例化している避難されている方たちと、各種コミュニケーションを取った。
色々な人たちと、色々な話をした。
時が経つのは早い物で、気がついたら20:00を過ぎていた。
そこで浦和のおっちゃんと二人で撤収準備に取りかかる。
20:30頃、同校をあとにする。
自分たち2台の車が見えなくなるまで、お辞儀をしていた副校長の姿が印象に残る。
21:50頃 道の駅区界高原
で小休止
トイレ休憩などを済ませた後、一路我が家を目指して再度車を走らせる。
我が家に到着したのは、23:30頃であった。
我が家に着いて、驚いたことがあった。
その日我が家へ運び込まれた物資は、段ボールなど計20箱であった。
それらを全て、一品一様に、嫁さんが仕分け作業を行ってくれていたことである(感謝)。
この作業が、翌5月3日(火)の「第三便」へ活用できた(別途報告)。
最後に、
今回、各種ご支援頂いた方たちからの納品書や送り状なども、全て同校へ置いてきました。
匿名の方や、住所氏名などを特定できない方が多いことは現実ですが、住所氏名が特定できる方へ対し、避難所に避難されている方より、お礼の手紙が届くと思います。
正直、「いつ届くのか」は分かりませんが、一人ひとりがお礼状を書き、そのままポストに投函するそうです。
どうかお手元に届くまで、長い目で見てやってください。
現在も赤前小学校(避難所)から、Amazonの「ほしい物リスト」へ掲載しておりますが、ご協力などを賜れば幸いです。
なお今後も行政や、自衛隊などがフォローして頂けない物品が発生してくることも容易に想像出来ます。
その際は、適宜Amazonの「ほしい物リスト」へ追加掲載していきますので、趣旨ご理解の上、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
以下、5月2日(月)に「第二便」として運び込んだ物資です(順不同)。
下記リスト以外にも、多数のご支援をいただき感謝しています!
生理用品 12個
ゴム手袋 10足、女性用下着 M:8着、L:12着、LL:12着
電気ひげ剃り 3個、血圧計 2個、化粧水4個、ベビーローション 6個、女性用肌着 8着、女性用靴下 6足、パルスオキシメーター 1個
リップクリーム 20個、耳かき 15個、爪切り 7個、毛抜き 2個、体温計 1個
ハンドクリーム 33個
生理用ショーツ M:14着 L:11着