川島雄三監督の『しとやかな獣』に引き続いて見たのが、こちらは紛れ
もない(?)若尾文子の主演映画、増村保造監督の『赤い天使』である。
太平洋戦争の中国戦線における従軍看護婦・西さくらに扮して、戦時下
での究極の愛の形を見せてくれる。映像は白衣についた赤い血も黒く
見えるモノクロ映像。負傷兵の手術や死が、多少やわらぐ気がする。

赤い天使 

昭和14年、西さくら(若尾文子)は従軍看護婦として天津の陸軍病院に
赴任する。そこでは消灯後の巡回中に、数人の患者に輪姦されるという
苦い経験を味わう。そして2ヵ月後、さらに戦局の激しい前線の分院に転
属になるが、そこで岡部軍医(芦田伸介)と運命的な出会いを果たす。

傷病兵を大量に乗せたトラックが着けば、不眠不休で手術をすることに
なる。まとまに器具や薬がない中で、手術台の横には切断された兵士
たちの手や足が投げ出される。そんな過酷な仕事の連続に神経をすり
減らす岡部は、自分がモルヒネを常用するさまをさくらに見せるのだ。

赤い天使 

やがて勤務交代で天津の病院に戻ったさくらは、両腕を手術で失った
折原一等兵(川津祐介)の担当となる。彼の命を救ったのは、誰あろう
岡部軍医である。しかし、手を失ったとはいえ生身の男である。その性
的な欲求を真摯に伝え、彼女にその「手」の役割を懇願する折原。

やがて彼女は折原に外出許可を取るようにすすめ、その当日には自ら
ホテルに入り、折原に女としての自分の体を提供する。なんかここ最近
「ジョニー」「芋虫」「軍神様」、そんな戦時下の無残な男たちとずいぶん
縁があるな、そんなことを感じる折原一等兵のエピソードなのである。

赤い天使 

映画の描き方では、折原がさくらに対して男として正しく機能したのか
どうか、実のところよくわからない。しかし、翌日、折原はさくらに感謝
の気持ちを伝える遺書を残し、病院の屋上から飛び降り自殺を遂げるのだ。
そして、さくらのモノローグで「私はまた人を殺した・・・」と語られる。

そして再び岡部のいる分院へ。以前にもましてモルヒネに頼る岡部の
様子に、彼の症状を直そうと同衾するさくら。男女の愛を意識した彼女
に、岡部は男としての機能を果たせない。しかし、戦局が悪化する中、
敵の包囲を受け、絶望的な状況の中で二人は結ばれるのだが、、、

赤い天使

聖女のような白衣の看護婦が、戦時下の男のために献身的に尽くす
振る舞い。それは感動的というよりも性的な色が濃く、淫靡な雰囲気
も漂う。暗闇のスクリーンに輝く若尾文子の美貌に、映画を見る観客
は聖なるものよりも卑俗なものを見たのではないか。私はそう思う。

そして、増村保造監督の描き出すヒロインは、どんな困難な環境であっ
ても自分の生き方に前向きであり、男女の恋愛に対しても一途である。
そう言う意味では、悲劇はドラマの大切な「肥やし」のようなものだ。

             

で、ここからは真面目な映画の記事から、久方ぶりに「山口百恵」の世
界です。増村監督の『赤い天使』の映画タイトルから、私が素直に連想
したのが1970年代に大ヒットした百恵出演のドラマ「赤い」シリーズ。

毎週金曜の夜9時から放映されたこのドラマは、大映テレビで制作され、
TBS系の電波に乗っていたわけだが、このドラマでもって山口百恵のフ
ァンになった方も少なくないと思う。視聴率も30%前後は軽くあったはず
だし、26回の放映回数が急遽3回追加されるようなことが起こっている。

会社の倒産で、映画の世界から離れることになった大映映画の社員や
スタッフにとっては、新たな仕事の場がこのドラマの世界だったはずだ。

赤い衝撃赤い衝撃 紅い死線

山口百恵の出演した(主演とは言い切れない)「赤い」シリーズを簡単に
まとめれば、1974年から始まる5年間の以下の5作品ということになる。
・赤い迷路 1974.10~1975.3 (全26話)  
・赤い疑惑 1975.10~1976.4 (全29話)
・赤い運命 1976.4~1976.10 (全28話)  
・赤い衝撃 1976.11~1977.5  (全29話)
・赤い絆   1977.12~1978.6 (全28話)

増村保造という映画監督が、この「赤い」シリーズの大映テレビの人気定
着に果たした役割は、調べてみると意外に小さい。実際に監督しているの
は、「赤い衝撃」での第1話と10話のみ。1980年に前後編の2回に分けて
放映された引退記念スペシャルドラの「赤い死線」は演出しているようだが。

ある意味、増村監督が大映という映画会社の看板監督だった面と、もしか
したら60年代に撮っていたこの『赤い天使』のイメージがどこかで結びつ
いているのかもしれない。できれば山口百恵主演の増村保造監督の本編
を見たかった。そう、これでこの映画を見た私の動機がわかったかな