西本の解釈ではあるのだが、政治も経済も、その他の身の回りのもの殆ど全てについて、「マネー(汚い言い方だと、「カネ」)」というものが関係している。

 

日本語の「カネ」というと、泥臭い印象が強くなるのだが、外来語の「マネー」となると、聞こえが良いのも不思議だ。

 

同じものなのだが、何か違うものに見えてしまう。

 

政治、ここでは「官」、ビジネスを「民」として、マネー(「カネ・金」)は、その原動力でもある。

 

さらに、研究や芸術(「学」という表現で)の世界までもが、マネーの影響を受けていると言っても良い。

 

芸術でも研究でも、希少性とか価値の高いものは、投資対象になるからだ。

 

本来の芸術のもっている目的が価値に代わると、投資という概念になってしまう。

 

投資というのは「儲け」が前提のものであり、労働力の対価ではなく、カネがカネを産むというインテリちっくというか、知能的アプローチなのだろう。

 

そして、特に金融あたりはその傾向が強い。