「官」「民」「学」「金」(6)

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ただ、その国がもつ本来の「公」的仕事は、どんどん解放されているのが事実だ。

 

そして、そこには企業体(「民」)が関係することが多くなってきた。

 

公共事業・・・、こうなると、マネーがからみやすくなり、泥臭い部分が出てくる。

 

そして、泥臭いのは、「官」か「民」かになるのだが、本来の泥臭さは「官」のはずであるものの、実際に「民」が「官」に近づく中で、「民」の泥臭さもパワーアップし、どっちもどっち、同じようなものに見える時代になったのだと思う。


実際に、東京五輪や築地移転など、色々と問題になっているが、そういう泥臭い「民」「官」の部分なのだろう。

 

公共について、ライフラインという分野でも、ガスや電力などはすでに企業体が中心になっている。

 

電信電話や郵政に至るまで、企業化の流れは、今ではブームみたいなものになっている。

 

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金融を考える前に、「政治(「官」)」という部分を考えたい。

 

政治となると、どうしても、公共という観点で物事を見る必要がある。

 

正しくは、「公」なのかもしれないのだが・・・、今の時代は「公共」なのだと思っている。

 

「公」というのは、基本的に社会貢献みたいなものであり、儲けてはいけないからだ。

 

そして、その「公」はビジネスに大きな影響を与えている事実がある。


ビジネス(「民」)で儲けているといっても、ヒトモノカネの中で、ヒトを成人まで教育したのは誰なのか。

 

モノと作っても、道路が無いなら動かせないだろうとなる。

 

そういう個人と無関係の社会全体へのアプローチは、国や地方自治体などが独占する印象が強かったと思う。

 

そこには、世の中に必要という概念が強く、個別の「儲け」という概念が無いはずである。

 

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西本の解釈ではあるのだが、政治も経済も、その他の身の回りのもの殆ど全てについて、「マネー(汚い言い方だと、「カネ」)」というものが関係している。

 

日本語の「カネ」というと、泥臭い印象が強くなるのだが、外来語の「マネー」となると、聞こえが良いのも不思議だ。

 

同じものなのだが、何か違うものに見えてしまう。

 

政治、ここでは「官」、ビジネスを「民」として、マネー(「カネ・金」)は、その原動力でもある。

 

さらに、研究や芸術(「学」という表現で)の世界までもが、マネーの影響を受けていると言っても良い。

 

芸術でも研究でも、希少性とか価値の高いものは、投資対象になるからだ。

 

本来の芸術のもっている目的が価値に代わると、投資という概念になってしまう。

 

投資というのは「儲け」が前提のものであり、労働力の対価ではなく、カネがカネを産むというインテリちっくというか、知能的アプローチなのだろう。

 

そして、特に金融あたりはその傾向が強い。

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以前、ブログに質問があった。

 

「平等」と「公平」についてのことだった。

 

正直、この差を論じる事は、政治でもビジネスでも厄介で難しいことだと思う。

 

解釈に大きな差があるからだ。

 

売り方と買い方は真逆の行動なのだが、この真逆の関係が、解釈を含めて違う内容になっている。

 

それが、基本的に、ハーフになってバランスが取れていることが、解釈の正確性をわからなくしている。


政治の世界では、一票の格差についてどうのこうのなどなど・・・、なるほどと思うことも多い。

 

ビジネスでも金融の世界でも、この議論については同様に解釈が色々とある。

 

ただ、金融を考えるとき、すでに純粋な金融のロジックではなくなっていることが問題である。

実際に、地球温暖化が問題視されているものの、この日本では寒い冬だと感じられる。

 

温暖化という言葉に対し、理解に苦しむ状況だ。

 

そういう情報はマスコミ(以下、報道)が提供している。

 

ただ、この報道というものは、近年では大きく形を変えてきているように思う。

 

そもそも、報道とは公共性が強い分野のはずだと思っている。

 

近年の報道というものが、どれだけ正確なものかわからないものの、世の中のプラスになる情報提供よりも、騒ぎのネタを選別して取り扱っているのではと思う時がある。

 

世の中の関心事がメインとして取り上げられるのは、ビジネスという切り口であれば、それはしかたのないことかもしれない。

 

つまり、報道は公共性よりもビジネス寄りに変化していることを意味している。

 

ただ、ビジネスというものは、特定の者に有利になるように動くことが多い。

 

その報道内容に偏りがある場合、少し不安になってしまう。

 

「想定外」、この言葉の裏には、誰かが描いたシナリオがあるということを意味しているように聞こえる。

 

大相場の兆しを見せる金融チャート・・・。

 

金融というものはビジネスの色が濃い。

 

最近の海外では、米国大統領ネタで相場が大きく動いているが、巨大政治の世界にビジネス関係者が首を突っ込む未経験ゾーンに入った。

 

その少し前までは、英国のEU離脱がネタであった。


この100年あまりの期間で、世界に大きな影響を与えてきた米英自体に大きな変化が出てきている。

 

そして、想定外という言葉・・・。

 

世の中には報道で言われていることと、実際に体験する場でのギャップというものを感じる。

 

そのギャップが大きくなってきているのを、多くの人達は感じているように思う。

 

それを想定外というのだろうが、その想定外というのは、評論家やマスコミ、そして、それをそのまま信じる多くのユーザーの話だと思う。

 

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AIというのは、ホールセール市場で使うのが良いのか、リテールで使うのが良いのか、まだ得意なことはわからない。

ただ、このあたりの作りは全く違う。


ホールセール市場はOTC側であるのだが、日本ではこのあたりの効率的な処理(つまり、流動性)が不十分で駄目だ。

これは、取引所が現在ではリテール市場になってしまったことがあり、大口注文の処理できる環境が不十分であることも大きな要因であることは説明した。


結果的に、処理できない大口注文を小口化し、リテール市場に回送する始末であり、本来の最良執行の概念から、大きく離脱している状況にある。

そういう環境のAIとなると、当然ながら、日本市場専用のものになり、外資がそのニッチな分野に参入してくるのか、正直なところ疑問がある。


国内で開発されているAIはというと、囲碁や将棋が強いものを応用して使われているケースが多いように思っている。

しかし、ヒトの場合で考えると、囲碁や将棋が強いからといって、相場でも強いというのは、実はあまり知らない。


相場で強いヒトは、どちらかというと麻雀をしているヒトだと思う。

AIで麻雀でも勝てるものが出ているようには思えない。


何故か・・・、それは簡単な話だ。


1対1だと、アルゴリズムの勝負は計算力に頼ることが出来る。

1対多の場合、想定できる要因がマルチになり、この判定が難しくなる。


特に、麻雀のルールは、相手の状況によって、最後までいかない途中で降りることができる。

自分が大きく勝とうと我慢しても、相手が先に降りて、小さい内容で先に勝ってしまうわけだ。

そうなると、勝てない。


だから、相場のようなエントリータイプというのは、麻雀みたいに駆け引きみたいなものがあって、とても複雑だということだ。


そして、単純な処理であれば、それは現状で活躍しているアルゴリズムのチューニングレベルでよいとなる。


当面、AIのこの分野のエントリー(相場予測や収益化のための自動取引)は先になりそうな予感がしている。


AIで使われるものは、上記でも話題にしたのだが、やはりアルゴリズムのカバーなのだと思う。

そして、ヒトのためのサービスは絶対に必要だと思うので、その機能について、一つだけ提供を考えている。

やはり、市場参加者(エントリーソース)というのは、色んなタイプが存在してほしいと願うわけだ。

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AIがエントリーする時代、それはヒトのエントリーロジックと大きく違うのだと思う。

あくまで想像レベルなのだが、相場のエントリーに対する「我慢」とか「恐怖」とか、そういうのは絶対に無いのだと思う。

我慢して持つ(塩漬け)とか、恐怖に負けて損切してしまうとか、そういう概念も無いのだろう。


ヒトの場合、余力があるなら、失敗したエントリーであっても、値段が大幅に下がったら、バーゲンセールだと喜んでナンピンして買いするのかもしれない。

エントリーのポイントが間違えていたなら、都合よくルールを変えてしまうようなこともあるだろう。


AIは、そういうことを絶対にしないのだろう。

そもそも、精神面での不利要因が無いという部分で、ヒトに対しての有利さは絶対的なものがあり、そこが一番怖い。


ヒトという、文化とか歴史から学んだものとは異なる、新しい概念や、ものの見方がある。

ただし、AIは、そういう経験の無いことが発生したときの動きは信頼できないものになる可能性が高い。


それは、一度でもAIを使ったことがあるヒトだと、理解できると思うのだが、例えば、「石に命があるのか?」と聞かれたらどう答えるだろうか。


ヒトの場合は、だれもが「命などあるわけない」と答えるのだが、AIだとパニックを起こす可能性がある。


このパニックが怖い。

特に金融では致命的暴走にならないような対処が必要だろう。


AIにはAI特有のルールが必要であり、その対処することを含め、最初から考慮した専用の環境が必要になるということだ。

「設計」されたものから、自ら「学習」する汎用性をもった最新のAIは最強に思われているかもしれないのだが、まだまだ課題が多いのが実情だと思う。

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ところで、AIは相場を診れるのだろうか?

AIに進化する前段階にある高性能のアルゴリズムあたりでも、よく見るのは順張りタイプが多く、相場の流れに乗るものであり、分析面では不十分である。


海外など、直接金融の世界では、長い相場がつづくケースが多いようで、そういう動きのものにはよくできたロジックなのだと思う・・・。

当然ながら、海外の場合は、先にも話したように、流通市場という概念が日本と違うし、日本のような市場参加ではない。


海外は色々と相場を分析するクオンツ型や、高速トレードなど鞘抜き型のテクニック系が多い。

市場の性質の違いというのは、実はリスクとしても認識されているくらい、大きな差が存在している。


これには、どうしても変動(ボラティリティ)と流動(リクイディティ)という、全く違う2種類の要素が強く関係してくる。


変動率が低いと、収益化チャンスがいつ発生するかわからないし、流動性を考えないと、売るときに売れない。

そのあたりをAIが処理するとどうなるのだろうか。


ヒトの場合は間違いがどうしても出てくる。

だから、その間違いを収益化する鞘取りのようなものが出てくる。


だが、その運用母体が機械になるのであれば、間違いが少なくなるのかもしれない。

鞘という概念も、そういう世界では無いのだろう。

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しかし、フロントで勝負しているヒト(特に証券自己)からすると、この基準はどうなのだろうか?


解りやすく例えよう。

FISCは自動車でいうと、「一般人が運転する乗用車」を前提に考えたようなもので、速度性能が200キロ以上出ても、100キロで走ってくださいというものだ。

当然ながら、顧客にとっては安全であり、多少何かの想定外のことが発生しても、見た目には大きな問題にならないだろう。


だが、それがプロレーサーの扱うレーシングカーになるとどうだろうか。

使う環境はレースで、負けると退散しなければならない環境だ。


プロならば、速度200キロ以上で、その性能をマックスで使いたいとなるのは当然ではないだろうか?

100キロで走ろうと思うプロのレーサーは誰もいないと思う。

障害になったら、諦めるくらいの勝負魂でないと、この分野には参加できない。


だから、フロントシステムというのも、本来は性能をマックスに使いたいわけだし、実際にそうやって使っているところは多いと思う。

そうすると、障害時の対処方法が、FISCとちがうようなデザインになってしまう。

ただ、このあたりは顧客の方針に従うようにしている。


外資系は当然ながら性能マックス系なのだが、日系は微妙な位置にあるということだ。


当然、余力をシステムに持たせるなら良いのだが、その場合は、雑な言い方をするのであれば、余力費用に2倍くらいコストがかかってしまうということだ。

その結果、初期費用だけではなく、ランニング費用もそのように高額になり、大きな負担になる。


その負担コストは、別の勝負に勝つための要素に使いたいわけだ。


このあたりのコストと収益化のバランスの落としどころの調整が日系にはどうしてもヤヤコシイ話として出てくることになる。

ただし、この世界はあくまで証券自己の部分であり、エンドに位置する顧客に関する部分は、当然ながら性能より品質=安全重視だろう。


そこに意見はなく、納得している。

ただ、より多くのマネーフローをエントリーするために、その目的に応じたルールを柔軟に解釈できるようにしてほしいと願うだけだ。