善か悪か(8)

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身動きの取れなくなった生保などの機関投資家の投資物に、デリバティブを使って見せかけ上、問題を吸収して救済してあげるのだ。

それを組んだだけで、手数料が300億円とか、そういうものがローリスクで手に入れられる時代だったようだ。

機関投資家にとっては延命処置なのだが、あの時期の金融機関の悲惨な状況を知っているなら、その救済が喉から手が出るほど欲しかったことも事実である。

不良債権を表に出さないようにするには、非常にお金がかかるものなのだが、デカい怪物は死ぬわけにはいかないのだ。

そういう、相手の弱みにつけこんで、収益化するということも、当時は「ハゲタカ」だと聞いていた。

まぁ、同時期に外資による企業買収というか、M&Aということが多く起こったことも事実なのだが。

その時期、日本は外資に勝てないのだと、外資の力の凄さを痛感した時代だったと記憶している。
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善か悪か(7)

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「プライベート・エクイティ・ファンド」に分類される中の「企業再生」、これがハゲタカと言われるファンドになる。

このファンドのターゲットにされるのは、後継者不足や、成熟期で成長期待が無かったりで、経営不振や破綻した企業を買収して、経営権を握り、経営に参加し再生させていくことにある。

死んだ状態を見つける意味でも、上空から動物の死体を捜す「ハゲタカ」を例えたのだろう。

海外だと、何というのだろうか?

コンドル?

多分、日本独自というか、小説から出てきた俗語なのかもしれない。

だが、広域に見ると、「ハゲタカ」の定義は広い。

バブル崩壊時に、保険会社が多額の不良債権を抱え込み、大変な時期があった。

そんな時代に、外資の証券は多額の収益をあげていたのだが、西本はその頃に、外資の証券がやっていたことを偶然に見ていた。

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善か悪か(6)

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「ハゲタカ」、ドラマとしてはファンドマネージャーが日本企業を買収することで「ハゲタカ」という異名を持つようになったとある。

「ハゲタカ」はバブルが崩壊したときに良く聞いた言葉だし、「ハゲタカファンド」なんて言葉も流行った。

ただ、これは正式なファンドの名称ではない。

誰がつけたのはわからないのだが、正確には「プライベート・エクイティ・ファンド」という。

投資ファンドの一種なので、これは私募になる。公募の投資信託とは違う。

ファンドも大別すると2種類になると思うが、1つは良く聞く「ヘッジファンド」。

色んな市場で、デリバティブなど金融工学を駆使し、短期かつリスクをヘッジしながらリターンを出していくタイプだ。

そして、少し長期型の「プライベート・エクイティ・ファンド」、こちらはベンチャーに投資したりする「ベンチャー・キャピタル」と「企業再生」がある。

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善か悪か(5)

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少し前の話。

TVのドラマで久しぶりに最後まで見た「半沢直樹」。

あのドラマが面白かったのも、話がパラレルワールドで展開されるわけではなく、実社会での出来事を想起させる場面が箇所箇所に含まれていたからだと思う。

ただ、このドラマは「銀行」が舞台。間接金融の話だ。

西本からすると、ちょっと分野がずれているわけだ。

だから、西本は「ハゲタカ」というドラマのほうが、正直、好きだった。

まぁ、これも銀行の話なんだが、ファンドの部分もあり、そういう部分では直接金融的でもある。

2007年に放送された全6回のドラマだが、見たのは再放送だった記憶がある。

このドラマ、実は副題があって、それは「再生への道」となっていた。

「ハゲタカ」と「再生」、これも相反する表裏の関係にあるように思えるのだ。

善か悪か(4)

テーマ:
少し前に話題になった「半沢直樹」、実は好きだ。

あのドラマの流儀は、善か悪かという意味では性善説なのだと思う。

だからヒトは「善」だと思う人、思いたい人は多いはずだ。

だが、西本は少なくとも、金融という分野で見たときのヒトは「悪」ではないだろうかと考えてしまう。

少なくとも、今の時代の、さらに日本においては、「悪」に見える。

金融をやっていて、本来、金融というものは便利なはずだが、カネの力は膨大らしく、ヒトの金欲を煽り「悪」を導くように思う。

というか、カネは「悪」と見たほうが、現代社会の中ではシックリくるように思う。

もっと正確に表現するならば、「大きなカネは悪」だと思う。

ヒトが成長とともに「善」を覚えるというのなら、分厚い六法全書なんてものは存在しないはずだし、絶対に覚えたくないような証券取引法なんて出来ていないと思う。

こういう、法律みたいなものが世の中を支配するのを見て、「善・悪」というのは、ヒトが社会を運営する上で不都合な事を「悪」、好都合な事を「善」と、自分達都合で勝手に決めたとしか言えない。

だから、地域(国)や宗教、さらには時代の価値観の変化などなど・・・の違いで、法の解釈まで変わり、「善」とか「悪」とかの基準まで違ってしまうわけだ。

善か悪か(3)

テーマ:
ヒトの多面性は、簡単には定義できない。

デジタルのような、1かゼロのような、はっきりした世界にはならない。

正しいとか、間違いとか、必ずそのどちらかになるという答えなど無いはず。

ただ、若いころの教育というものが、その後の性格などに大きく影響を及ぼすことは事実だ。

洗脳なのか、教育なのかわからないが、その中で教え込まれた考え方が正しいという認識になっているはずだ。

この事について、実はAIも同じ流れで認識する。

ある事象が正しいか間違えているか、それを教えるのはヒトになる。

教育者の思想とか価値観のようなものを引き継ぐということだ。

金融の場合、相場の見方も、それが正しいか間違えているかなど、予測時にはわからない。

全ては結果であり、結果的に収益化できれば、それは正しかったということなのだと思っている。

善か悪か(2)

テーマ:
昔だったか、「性善説」と「性悪説」というのを強制的に教え込まれたような記憶がある。

孟子の「性善説」では、”ヒトは生まれつき「善」だが、成長すると悪行を学ぶ”ということ。

ただ、ヒトは「善」なので、「ヒトを信じるべきだ」という理解者が多いようだが、それは違うらしい。

そして、荀子の「性悪説」、これは”ヒトは生まれつき悪だが、成長すると善行を学ぶ”ということ。

ヒトは「悪」なので、「ヒトを信じてはいけない」という理解も違うらしい。

ただ、双方の実際の教えはもっと複雑で難しいようだ。

つまり、教えとしては、両方共に正しいということだろう。

性善説は、「努力して良い人としてあり続けなさい」で、性悪説は「努力して良い人に成らなくてはいけない」となると、どちらも「努力により良いヒトになるべき」という同じ理解になるのだろう。

善か悪か(1)

テーマ:
「良いヒト」、「悪いヒト」、そういう言葉を良く耳にする。

ヒトというものは、何が「善」なのか「悪」なのか・・・・。

この答えについて・・・、正直わからない。


ただ、ヒトの価値観とか、捉え方により、それが「善」になったり「悪」になったりしているように思う。

西本が「善」だと思って行動していることも、周りからみると「悪」になっていたりすることも多いと思う。


例えば、ヒトに注意するとき、そのヒトのことを考えて、知らぬふりは出来ないので悪者になる覚悟で意見を言う場合がある。

言われたほうは、嬉しいと思う場合もあるし、バカにされたと腹立たしくなる場合もある。

善悪の違いは、表裏の関係に似ていて、作用と副作用のバランスなのかもしれない。

クスリとリスク(21)

テーマ:
そのファンダメンタルの水準訂正というのは、何等かの大きな問題が発生しているのだが、その対処(治療)によりマーケットの水準が修正されてしまうのだろう。

その結果として、副作用として流動性低下が出てしまい、結果的にマーケットが混乱するというケースになる。


だから、クスリを使ったリスクに対処するためには、これからは、「動⇒超動+静」の時代になるということになる。

少なくとも、流動性の無いもののロジックを理解し、準備しておくことが、このような緊急時対策に多少なり役立つことになると考えている。


その時に必要になるのが、「+静」の新しい静の概念になる。

これが前述にあった「予防」というわけで、では、どのように予防するかというロジックが、医療分野の対処方法に似ている。

それらに対処してくれるのが、次世代のAIなのだろうなと感じている。

失敗も多くなると思うが、そういうのが、レオナルド・ダ・ヴィンチのような愚直なる不屈の探求心なるものだと思っている。

クスリとリスク(20)

テーマ:
なぜ、流動性の有る無しの解析ロジックが共に金融マーケットでは必要になるのか?

それは、金融マーケットが異常になった時の対処方法が、特別な方法になってしまうからであり、そういう異常な状態になることが増えてきたらだ。

すでに、このような危機対応は、無視できない要件になっていることも事実だ。


流動性のあるマーケットの評価ベースはファンダメンタルアプローチだと思う。

そのファンダメンタルの想定値が、何等かの想定外の外部要因の変化により、急に修正される場合が多くなっている。

そうなると、動的処理がメインになっている現状において、マーケットの水準訂正が即座に発生し、異常な動きが発生してしまうわけだ。


簡単に説明すると、流動性の有る銘柄が、ファンダメンタルファクターの水準訂正が発生した場合に、流動性が無くなってしまうからだ。

注文が多くとも、その注文が売りか買いに偏ることは、流動性が無くなるということだ。

1年に1回、あるかないかなのだが、この流動性が無くなった相場を異常というか、病気と位置づけても良いと思う。