わかってます。分かってほしいんですよね?
彼らはなぜ上半身裸なのか。
そんなことを考える暇があるあなたはきっと、先進国に住む恵まれた、運のよい一人。
その好奇心は一銭の経済的効果も生み出しませんよ。
とは言え、我々はもう一線を越えてしまっているのだ。上の写真はあくまで一例として挙げたものだが、情報化の洗礼を受けてしまった我々の好奇心はもはや、ブラックホールのごとくあらゆるものを呑み込むばかりである。
窓を開けて外を見ると、3月の穏やかで心地よい日差し。遠くから届く、子供たちの戯れる声。喉が渇いたら、蛇口をひねればのめる水が出てくる。コンビニに行けば飢えることもない。平和、そして物質的充実。
これ以上、何が必要だというのだ!生命維持と思索のための条件は、すべて出揃っている!!
だが、もう戻れないのだ。そこで充足足りえるには、私たちは知りすぎてしまった。
より高次元、より複雑な条件の中で満たされること。これはもはや、資本や物質ではないということに皆気づき始めている。
今我々の大半は、用意された椅子を取り合う椅子取りゲーム(のようなもの)に参加している人が大半であろう。
だが、もう気づいている人もいるはずだ。腰掛けるいすは既製品である必要はない。もっと言えば、椅子である必要もないのだ。自分がよいと思えれば何でもいい。自分で持ち寄って、椅子取りに興じる、いや、興じさせられている人々を眺めてやろうではないか。流れているBGMに耳を傾けつつ。
椅子取りゲームの中での椅子作り。人類史上これほどまでの規模の人がこの作業に向かっていたことって、あったのだろうか。たぶんなかった。
いったい我々の精神は、どこにむかっているのだろう。どれほどの好奇心と理解力をもってしても対応にたじろぐ世界がすぐそこに迫っているような気がしてならない。