ブックオフに行かない奴ら・・・ファックオフ!! | 「僕はずっと山に登りたいと思っている。……でも明日にしよう…」 残念ながら、おそらくあなたは永遠に登れないでしょう。

ブックオフに行かない奴ら・・・ファックオフ!!

皆様お元気であろうか、筆者である。


「なんと孫六」のセリフを丸暗記すると言う、私の高尚かつ前衛的行為にも社会の評価は下されなかった。

しかしひるむ事はない。「孫六」から「あきら翔ぶ!!」に材料を変換すればよいだけの話である。



fruits

さてさて。

筆者は人間の守備範囲が非常に狭く(ルパン ザ サードの額にすら達しない狭さである)、余暇は主に孤独との葛藤を強いられており、ニコチン・アルコール類は常に半径30センチ、腰を浮かすことなく手に取れる位置においているような輩である。この30センチというのはある種の聖域、サンクチュアリであるが、この敷地内には例えば村越周司「もうギャグしかない」のDVD紹介リーフレット、5角貨幣(1人民元の半分。10角=1元)、耳掻き3本、誰のかどこの部位か判然としない人毛、今月分の電気代の領収書(1,374円という安さであった!)、敗れ散った夢の残滓・・・等々が無分別に散乱している。

 

 ・・・しかし見よ。これで私がどのように社会と関っているか、その方向性が大方摑めてしまうではないか!ジィ~ザス・マリアヨーセフクライスト。筆者は、あの日のあの子のキャミソールよりもペラッペラに薄い、自分のパーソナリティーに愕然としたのである。それとも、この30センチに凝縮しているものは筆者の一断片にすぎないのだろうか?釈然としないが、その答えは、アフラ・マズダにも記載されていないだろう。

 

 エニウェイ、アムウェイ 、魔法の洗剤・・・とにかく、筆者が初対面の人とうまくやれる確率は、近年やや上昇したものの、未だに中日の岩瀬から長打を放つのと同じくらいの低確率である。

 そしてその確率は、話し相手の属性による違いは殆どないという、結論に最近ようやくたどり着いた。ようやく。

 つまり、私が誰かと一緒にいて、「こいつ、おもしれぇぢゃん・・・!」と、その相手に対して心の中でニンマリとする確率は、相手の国籍、性別、バックグラウンド、所属、などの影響をほぼ受けない、ということ。


 イデオロギッシュな話題は大好きだが、上記のように相手の属性をそぎ落とした時、残るものと向き合う必要がある。いや、むしろそれしかないのではないだろうか、対話の方法って。筆者の今までの、クッキーの箱を開けたときに入っている、ビニールにプチプチがついた例のものの一粒のような、ささやかな人生の中でそんなことを、ささやかではなく非常に強く感じている。


 ひとたび世に目を向けると、属性の嵐が今日も吹きすさんでいる。それらを意識せず、フラット(完璧なフラットではない。ある程度、の)にそいつの人となりだけを、見る。何を知っていて、出来るのか。どう、話すのか、動くのか。何を笑い、何を笑わないのか。私は以上3ポイントで人を区別してしまっているのである。そしていまでもつながりのある人は、私は自信を持ってその人のことを好きだといえるし、自信を持って他人にも紹介できる。


 あぁもっと早く、ここにたどり着いていれば・・・まぁよいだろう。これは前進と見なす。この視点は今までの私は持っていなかったわけだから。

 

 今日の精神的排泄活動、終了。