あ。 …プリオリ。
天才 の定義
積極的な価値感情を広い範囲の人々に永続的に
しかも稀に見るほど強く呼び起こすことの出来る人物 (クレッチマー)
ここでいう、”積極的な価値感情”とは私が思うに、元気になれる とか やる気が湧いてくる といった、前向きな心持であろう。(ちなみに写真の女性は 2005年度 ミスアルバニア EDLIRA MEMA さん。 受賞おめでとう!)
天才の仕事を見聞きした我々一般人は、彼らの才能に感嘆し、陶酔し、エネルギーをいただくのである。
と、なると、積極的な価値感情を与えてくれる人物とは、天才の可能性があるということになる。
そして、この世知辛い現代社会を生きている我々にとって非常に重要な、積極的な価値感情の補給ポイントとしては、アップトゥーボーイがいの一番に挙げられよう。
- UP to boy (アップ トゥ ボーイ) 2007年 04月号 [雑誌]
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アップトゥボーイを読む時、我々は積極的な価値感情を手に入れている、これは何人たりとも覆すことの出来ない事実。
…となると、当然次のような推論が導き出される。
端麗な容姿が、積極的な価値感情を不特定多数の人々の間に影響しうるとしたら、それは紛れもなく 才能 であり、表紙の相武紗季さんをはじめとする彼女らは天才の可能性がある、ということになる。
そうかぁ、容姿も才能だったのか。
同じ内容の仕事を同じ能率で、容姿の整っている人とそうでない人にこなしてもらい、それを評価させ、容姿が人間の評価の際のバイアスとしてどのように作用するか、という実験があった。評価する側が被験者である。そしてその結果は、容姿の整った人のほうが評価が良かったという結果が残っている。なんと、哀しい実験なのだろうか…。
容姿の整っている人は、容姿も才能であり、生まれながらにして天才になれる可能性を少しだけ持っている、ということを意識して日々、生活して頂きたいと、私は切に願ってやまない。具体的には頻繁に盛り場に出没しスカウトを待ってみたり、自分がおとせそうな異性ばかりを数多く狙って接近してみたりといったところであろうか。そのような行動が、我々一般人たちに積極的な価値感情を提供しているのである。
そして、最近ふと思った疑問を投げかけて、今宵は眠りにつこうとおもう。
非常に容姿の整った、超超重度のうつ病患者
と
元気溌剌、いつもいきいきニコニコしている、非常に容姿が整っていない人
この二者では、どちらが積極的な価値感情を、より多くの(少数の)人に与えることが出来るのだろうか…