毎年、我ながらラマダンは楽勝!と思っていた私。

食べられない、飲めない、が何なの??時間になったら食べられるんだし、

「俺たちは辛いことを乗り越えられるんだぜ!!」的なイスラムは特別!な発想がイヤだ、

こんなの普通に我慢強い人は誰でもできるわよ!と、思っている。(今でも、かなり)


でも、今年の夏は暑い。


瞬間的に辛い!!のは、今までも結構あったけど、

断続的に今年は辛い。


夏だからヨーロッパの夜は短いのもあり、食事をできる時間は短い。

で、食欲もあまりない。


日本にいた頃の私の夏の食事は、冷や奴、スイカ、アイスだったけど、

今年のラマダン中は、サラダ、フルーツ、水って感じかな。

昨日は、冷凍庫の中に納豆があって、夏バテ防止!と食してみたけど、あまり変わらず。

梅干しは切らしてるし…、後はウナギ?(不可能、どこで食べるんだよ・苦笑)


温かい食事をとっていないのが悪いのか、はたまた、これは信仰心の低さからくる天罰か…。

(あ、言っちゃった…)






このラマダンのさなかに、えらい目に合っている息子について・笑

ま、ラマダンでフラフラなのに、暴れる息子の患部ケアをさせられる親も大変です。


男子を授かった時から、当事者でない私も、いつかはやるんだろうなと覚悟を決めてたのですが、

経験者の旦那がこういうことは動くことなのだろうと、放置してました(ヒドイ母親、またはヒドイ嫁)


お友達の息子さんは生後けっこうすぐに処置されていたのですが、

旦那側の家族は小さい時の方が、あまり記憶に残らなくていいだろうというくらいの見解で

小さいうちには(幼稚園くらいまで??)割礼をするという感じでした。


かくいう旦那は、その昔「あ、ほらあそこ見てみろ、鳥が飛んでいる」と言われて、

上を向いている間にパチンとやられたと言っています。

このエピソード、昭和臭がしますね…。(モロッコやっちゅうの)


でも、私もパチンとやる程度なのかと思いきや、

執刀医(!)、麻酔医との面談を経て、全身麻酔と聞いて驚きました。


こんな小さい子に全身麻酔なんて大丈夫なの??と詰め寄る嫁に、

旦那も心配になってきた様子。

でも、自分の国や時代も違うので、今はこんなもんだと言われると、

じたばたするのは見苦しいという男のメンツが勝ち、(または、権力者に弱いとも言う)

腹を据えました。


前日の夜中から、手術(!)までは食べるのも飲むのもダメと言われて、

いつもは起きたらすぐに「ギュニュ(牛乳)!」の息子がもつのかな…と、これも心配でしたが、

何とかごまかしごまかしで乗り切りました。


そんな訳で、赤ちゃんだと思っていた息子も「男」になってしまいました。

新学期に、保育所の先生にびっくりされないかしら…。


ちょっと思い出したような更新ですみません。

生きてました・汗(←表現が古い)


今年の日本は猛暑のようで苦しいラマダンではないでしょうか。

熱中症対策が連日ニュースで取り上げられている中、逆行するようなラマダンですが、

食べられる時間帯に充分な水分を取り、体の弱い方などは無理をしないように。


皆様のラマダンがよいものでありますように。


出遅れておりますが、犠牲祭おめでとうございます。


お祝いの今晩も、怒りながら内臓を切り刻んで、ひよこ豆と煮込んでいただきました。

ハンドゥッラ。



愚息を出産してから、ぶっちゃけ信仰心が低下しているのですが

(今明かされる真実!苦笑)

少し本を読む時間があって、やっと野町和嘉の「メッカ」「祈りの回廊」の二冊を読み終えた。


 野町和嘉 「カアバ神殿」


風呂からあがってきたばかりのような格好をした人たちを、空港で見かけた…とかのくだりには

やっぱり笑ってしまった。ははは(失礼!)


しかし、写真は素晴らしい!

生で見てみたい!とも思うし、サッカー観戦のようにTVで見る方がよく見えるとも思ってしまう。

だって、人の渦の中にいたら、上の写真と同じものを見ることは不可能!!

もちろん比べるのが間違いだとは重々分かっております。


観光でないので見ることが目的でなく、お祈りに行く巡礼なのですよね。

一時ブームになった四国のお遍路さんのように、スタンプラリーじゃないんですよって??爆


今年も旦那は行けずじまいでしたが、近いうちに行くのでしょうかね…。

本を読むと臨場感たっぷりで、私は読んだだけで疲れました。(本は面白いので誤解無きよう)

だって、あの人出で、暑いんだよ・涙


追伸)

本を読み始めると止まらなく、今はJ.P.サルトルの「ユダヤ人」を読んでいます。

終章『ユダヤ人問題はわれわれの問題だ』に期待。

こういう夜は、ねぎを刻むことにしている。

こまかく、こまかく、ほんとうにこまかく。

そうすれば、いくら泣いても自分を見失わずにすむのだ。


ねぎの色、ねぎの形、ねぎの匂い。

指先にしんなりするねぎの肌の感触。

ねぎを刻みながら、また涙がおしよせてくる。

目の前が浅い緑色ににじむ。


私は泣きながらねぎを刻む。

ご飯のスイッチをいれてねぎを刻み、おみそしるを作ってねぎを刻み、おとうふを切ってまたねぎを刻む。


一心不乱に、まるでお祈りか何かのように。


誰かに叱られたら改心できるのだろうか。

私は改心したいのだろうか。


なにを、どんなふうに。


『ねぎを刻む』江国香織 より抜粋(青字)




職場復帰して、いつも通り怒りながら生活していたのですが、

ちょっと怒りすぎだったなーと反省している週末。

明日からは、もう少し気持ちよく、周りにもやさしく過ごそう・苦笑


「愛し恋し」のぼやかずに、おられるか!-えび恋し  えび恋し・笑

母が送ってくれた救援物資の中に入っていた煎餅、開けるのが楽しみ。