あーかいぶ??年 | 流離のロマンチストかく語りき

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何か書けと言われても、何と書いたらいいのか、、、、

とりあえず、暇な方は、ちょっとだけでもお立ち寄りくださいね。


胃の調子はだいぶよくなった。

何よりも普通に食事できるのがありがたい。

とは言え、大事をとって昨夕まで酒は控えてました。

そんなわけで、ほぼ1日中ゴロゴロしながらアニメを観て過ごしてた関係上、書く事がないのである。

そんなときはどうするか?

昨年の今頃、更には一昨年、更にその前年に何を書いてたかを振り返ってみるのであります。

で、よくよく見れば、今日から7月。

そいつは丁度良い、、、と言うことで、過去10年間の7月初日の記載をアーカイブしてみた。

我ながらベタだと思ったのは、7月最初の朝に、ユーライア・ヒープジュライ・モーニングを聴こうと書いてたこと。



今思い出せば、そんなことを書いてたくせに実際に聞いたことなど1度もなかったような。

きっとこれも何かのお導き?縁ということで、今日は本当に聴いてみました。

1973年のライブからなのですが、、、

これでプロ?って思うくらい下手ぴぃ。

まあ、当時から非実力派バンドと呼ばれていましたけど。

中高生が初めてバンドを組んで、1ヵ月後の学園祭に間に合うくらい難易度が低い定番曲だったのである。

僕らの学生時代に、学園祭で最も演奏された曲は、おそらくキャロルファンキー・モンキー・ベイビーだったと思います。



酷いときは、出演5バンドのうち4バンドが被るなんてこともあったくらい。

観てる人が、またかよ、、と嘲笑してました。

まあ、そのくらい難易度の低い曲で、尚且つ、誰もが知ってる曲だったということです。

先のユーライア・ヒープジュライ・モーニングも理由は全く同じ。

唯一の相違点と言えば、キーボードが居るか居ないかだけ。

キーボードが必要ない分、キャロルファンキーモンキーベイビーの方が食いつき易かったんだと思います。

昨今でこそキーボードは、バンドの要的存在になってますが、僕らの学生時代には、ディープ・パープルのコピーバンドくらいしか必要とされてなかった。

キーボードの居ないバンド(レッド・ツェッペリンとかモントローズとか)のコピー曲をする際は、邪魔者扱いされたりで、金が掛かるわりには、存在感もないし、人気者にもなれない不遇のパートだったのである。

そんなこともあって、ロック畑には、キーボード奏者そのものが少なかったのであります。

当時もクラスの中にピアノを弾ける奴は何人かいました。

けど、ロックに興味があって、尚且つ、バンドに入っても良いと言ってくれる人となると天然記念物的存在だった。

と言うわけで、僕は天然記念物的存在になりましたとさ。

では、今月もよろしくですです(ウリちゃん風に)。