僕の文章の句読点は、必ずしも正しいものばかりでは無い。
では、間違っているかといわれればそうでもない。
勿論、基本的な使い方はあるにはあるが、数学のように、こうでなければ正しく無いというものでもない。
要するに、間違いでなければ、後は自由。
とは言っても文章を読み難くするのでは意味が無い。
問題は、いかに読みやすく、解り易く出来るかということなのだ。
な~んて偉そうに言ってるアッシですが、現代国語の通知表の評価は、小学生時代こそ5段階評価の5をとったものの、中学&高校時代は、全て3。
出来なくも無いが出来もしないという感じに一貫していた。
その理由の大半は、理数系に重点を置いてたから。
従って、自慢じゃないが中学、高校の全ての中間&期末試験において、ビタ一文と勉強したことがない(確かに自慢じゃないね)し、国語に関して言えば、学校以外で教科書さえ開いたこともない。
兎に角、文章を読むのが嫌いだったし、それは今も同じ。(なのに文学部国文学科なのです)。
それに国語なんて、わざわざ家で時間を割いて勉強しなくても、授業を普通に受けていれば普通に出来るだろ、、、という自論も有った。
で、普通に授業を受けて通知表の評価も普通だったというわけですので、それはそれで善しとしたわけ。
そんな僕にして、最近のネット内で見かける文章は酷いものが有る。
特に若い人の文章が酷いを通り越してデス酷い。
携帯で書き込んでる人も多いようなので、改行の有無は目を瞑ろう。
けど、句読点が間違ってるならまだしも、殆ど使ってないのはデス酷いッス。
現代国語が普通の俺が言うんだから間違いない。
そもそも句読点というものをわかってない奴が多すぎ。
今、これを読んでる君(そう君だよ)、句読点をクドクテンなんて読んでないだろうね?
クドクテンでなくクトウテンだからね。
そして、句読点とは、句点と読点(ドクテンと読むなよ)を合わせた言い方で、句点は「。」や「.」、読点は「、」や「,」などを言う。
って、こんなこと詰め込み教育世代の人間なら、知ってて当然、知らなきゃアホだぜ。
言っとくが、こんなこと大学で教わることでなく、小学校5、6年か中学1年くらい(だと思うが今は違うかも)に覚えること。
英語ができないのはしょうがないとしても、国語は勉強しなくたって普通に出来るでしょ?
と、ついつい呟いてしまったアンニュイなフライで-モーニングなでした。