メージャーリーグに興味が有る人は、既にご存知かと思うが、4月15日は、人種の壁を破った史上初の黒人大リーガー、故・ジャッキー・ロビンソンのメジャーデビュー60周年ということで、各地で故人の業績をたたえる式典が行われた。
試合前に現役時代の映像などが流されたり、1997年から全球団で永久欠番(決定前からつけていたリベラ(ヤンキース)だけ例外)となっているロビンソンの背番号42をドジャース、カージナルス、フィリーズ、アストロズ、ブルワーズ、パイレーツの全ての選手が着て試合をした。
ロビンソンは、1947年4月15日、ニューヨークのブルックリン区に本拠を置いていたブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)の内野手としてデビューし、その年から新設された新人王の初代受賞者に選出されたほか、49年には、最優秀選手賞(MVP)を獲得する。
通算成績は、出場試合 1382 、通算打率 .311 、本塁打 137 、打点 734 、盗塁 197 と、名声ほど特筆した数字じゃないと思われるかもしれないが、彼がメジャー入りしたのは、28歳の時で、ジャイアンツに移籍話が持ち上がった際、ドジャースに拘って引退してしまった為、実働僅か10年だったからである。
現役引退後は、黒人の公民権運動にも影響を与え、62年に野球殿堂入り、72年に53歳で死去した。
ロビンソンの活躍があればこそ、後に黒人選手への門戸が開かれ、ハンク・アーロン、ウィリー・メイズ、サチェル・ペイジ等がメジャーデビューできた。
と、ここでハンク・アーロンやウィリー・メイズと並べて、サチェル・ペイジという名前を出してしまったのだが、ご存知の方がどれだけ居るだろうか?
通算成績は、実働6年で28勝31敗という数字で、なんで通算28勝しかしていない投手がアーロンやメイズと並べられるの?って思う人も居るでしょう。
しかし、彼がメジャーデビューしたのが42歳(47歳という説も有る)だとしたらどうだろう?
年齢に諸説有るのは、実際の年齢は、出生証明書をヤギが食べてしまって判らないそうで、有力説だけでも1899年生まれから1908年生まれと10年の幅があるが、いちおう何らかの理由で1906年とされている。
ニグロ・リーグ(1926~)での公式記録は、残っていない(後にメジャー側が隠滅したかも)とされているが、2500試合登板、2000勝以上、350完封勝利以上、ノーヒットノーラン55回・・・と、信じがたい伝説が残っている。
1930年、メジャーリーグ選抜との交流戦で22奪三振完封勝利を記録したり、9回裏にワザと走者をためて無死満塁にし、しかも野手を全員ベンチへ引き上げさせて、三者連続三振を奪って観客を沸かせたという逸話も残っている。
(以上、”サチェル・ペイジ物語”参照)
引退後、実働期間が短かった為、年金の支給を受けるために1965年にアスレチックスで現役復帰した。
この時、なんと59歳(実際は60歳以上)。
勿論、最高齢登板記録は、未だに破られていない。
くしくもジャッキー・ロビンソンの背番号とサチェル・ペイジのメジャーデビュー時の年齢が同じ42だったことで、強引に引っ張ってしまいました。
僕は、投手だったのでロビンソン、アーロン、メイズよりも、ペイジの現役バリバリだった頃の試合が観てみたかった。
<今日の誕生花>
アルストロメリア
( 花言葉 = エキゾチック )
スターチス(ピンク)
( 花言葉 = 永久不変 )
花韮(アイフェイオン) Spring star flower
( 花言葉 = 悲しい別れ )
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スターチス(ピンク)
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