私は怒っている | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 非常に不愉快なデマがある。大山巌の銅像がマッカーサーの秘かな計らいで撤去を免れたというものだ。実際には東条内閣のとき、金属供出のため三宅坂から撤去されている。現在、九段にある大山巌像は、戦後になってから上野の芸大構内で横倒しになった状態で発見されたものを、昭和三九年に再建したものだ。

 再建当時、私は四歳だったが、紋付き袴を着せられて除幕式に参列したことを覚えている。

 昔から九段にあったのではないことは、二反長半の手による伝記『大山元帥』にからもわかることだ。

 銅像は、馬上ゆたかに跨つてゐる軍服姿でありました。そして、位置は長らく参謀総長をつとめてゐた旧参謀本部構内。
 人人は、この陸軍の丘、三宅坂を通る度に日本に光をつくつた人、元帥の勇姿に、その昔をしのびました。

二反長半『大山元帥』富士書店 昭和一七年 p258

 この本は近代デジタルライブラリーで閲覧することが出来るので、URLを示しておく。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169365/135

 現在は、銅像の位置が九段なのだから、マッカーサーの計らい云々が大嘘であることは、もうこれだけでも明白だ。

 ワンクリックで閲覧というわけにはいかないが、公刊伝記『元帥公爵大山巌』には、「既にして銅像建設地は参謀本部構内とし」と記されている。ほかにも三宅坂に置かれていた当時の写真は、数多く現存している。

 再建された事情については、わが祖父が著した小冊子『大山元帥と雪の進軍』には、こう書かれている。

二 銅像再建
 雪の進軍を書いた処が独り同期諸兄に止まらず思わぬ所から意外な反響があり、御蔭で私は転手古舞をした。おまけに卅九年五月十七日には前々から各方面の御同情と御尽力により、親父の銅像が九段坂上に再建され其除幕式が行われた。式は初建の際と同様に陸上自衛隊の「大山マーチ」(此マーチは作曲者只今未詳(外人)だが、日清役直後に出来たもので、世界名曲集にのせられている名曲であり、親父も生前これだけは心得ていた)に始まったが、其次に奏せられたは何んと「雪の進軍」ではないか。且つは曲のみではない。楽士により声高々と「雪の進軍氷を踏んで!」と歌い出された時には、私は思わず今現れた馬上の父を見つめながら、四十余年前にいまわの父に聞かせた当時を、思い起さずにはおられなかった。此の日の此歌、在天の父も「愉快じやった!」と云うてくれたと固く信ずる。ましてや九段坂上、馬上の父はひとり悦に入ったに違いなく、恐らく直近にある靖国の従軍された英霊も亦、同調唱和せられたことと信じて止まない。


 はじめは士官学校同期会の会報に軍歌「雪の進軍」にまつわる話を書いたのが、ことのきっかけとなり「各方面の御同情と御尽力により」再建が実現したわけだ。マッカーサーの計らい云々という妄説は、それらの人々の真心を踏みにじることだ。とうてい許しがたい!

 歴史にまつわることは、このように出典を明らかにし、証拠を示しながら論ずべきものだ。頭のなかの妄想を、口からデマカセとばかりに垂れ流して良いものではない。これまでマッカーサー云々というデマを吹聴してきた愚か者どもには猛省を促したい。


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