元最高裁判事たちが再び論じる集団的自衛権
編集委員 清水真人
(1/3ページ)2016/3/15 6:30日本経済新聞 電子版

 首相の安倍晋三は、集団的自衛権の限定的な行使容認を含む新安全保障法制を月内に施行する。このための憲法解釈の変更を巡る論争がなお尾を引く。今年に入っても複数の元最高裁判事が違憲説を問い直したり、合憲説を明言したりして、このレベルでも判断が分かれる実情が鮮明になってきた。政局は夏の衆参同日選挙含みだが、この問題を巡る風向きは読みづらい。
■違憲説に一石投じた行政法学重鎮の藤田氏
 「仮に憲法学がなお法律学であろうとするならば、政治的思いをそのまま違憲の結論に直結させることは、むしろその足元を危うくさせるものであり、法律学のルールとマナー(本稿のいう法規範論理)とを正確に踏まえた議論がなされるのでなければならない」
 新安保法制に多くの憲法学者が唱えた違憲説。ここに一石を投じるこんな論文「覚え書き――集団的自衛権の行使容認を巡る違憲論議について」が2月に公表され、憲法学界に静かな波紋を広げている。執筆者が行政法学の重鎮である藤田宙靖(75、東北大名誉教授)だからだ。
 藤田は2002~10年にかけて最高裁判事を務めた。1990年代の橋本龍太郎内閣で、中央省庁再編を設計した行政改革会議も主導した。憲法と行政法には国家と国民の関係を規律する共通性がある。双方の研究者を包含した日本公法学会などを通じて交流は密だ。政官界にも名を知られた行政法学の泰斗が、兄弟分の憲法学に論争を挑んだ形だ。
 藤田は憲法学界の違憲説を、安保法制の必要性への疑問や「強引に法律の早期成立にまで持って行った安倍政権の政治的姿勢に対する怒りの表現」だと受け止めて「そのほとんどを共有する」と述懐する。ただ、「想定外」の安倍政権の動きに、憲法学の側でも「一貫した精緻な議論が展開されているようには感じられない」と指摘。学者が「政治的思い」に引きずられてはいないか、と警鐘を鳴らす。
 「法律学としての憲法学」に徹すべきだとして、論文ではまず手続き論からの違憲説を検証する。安倍が歴代内閣の憲法解釈を変更したのは「法的安定性」を害する、といった早大教授の長谷部恭男らの議論とは一線を画す。現実の状況ががらりと変わった場合など「これまでの積み重ねがあるからというだけで、従来の解釈を変更することが許されないと言えるか」の論点がギリギリ残ると見るからだ。
 安倍は内閣法制局長官を交代させてまで、新解釈の閣議決定を敢行した。藤田はこれも「法制局は、内閣の補助機関であり、内閣の法解釈を『助ける』にとどまるのであって、内閣が法制局の見解に法的に拘束されるという法理は、我が国の現行法制上存在しない」と否定しない。同時に解釈変更の手続きを厳しくすることや、人事面で法制局長官の独立性を強めるなどの改革を検討する余地は認める。
「今回の事態を巡る憲法問題は、結局のところ、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定及び法案の内容自体が憲法の正しい解釈と言えるか否かという、実体法上の問題を抜きにしては、論じ得ない」
■「影響力が強い」と論文掲載断った法律専門誌
 次にこう問うのは、安倍流の新解釈の「内容自体」だ。カギは自衛隊による武力行使を「日本への武力攻撃が発生した場合」に加え「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」(存立危機事態)にも可能とした「新3要件」の第1要件だ。
 論文は、「存立危機」の概念が抽象的過ぎ、政府が国会答弁でペルシャ湾のホルムズ海峡の機雷掃海を含めるなど「内閣の裁量判断の余地を広く認め過ぎている」との懸念には理解を示す。ただ、他国への攻撃が「実質自国への攻撃と同じ意味を持つ」とか、「自国への攻撃が引き続き起こることが確実」な場合は「非常に微妙な問題となる」として違憲とは断定しない。
 法案が成立してしまった後の「後始末」にも触れており、持ち出すのは司法判断での「合憲限定解釈」の手法。これは「法律の解釈として複数の解釈が可能な場合に、憲法の規定と精神に適合する解釈がとられなければならないという準則」(佐藤幸治『日本国憲法論』)を指す。第1要件を限定して解釈し、集団的自衛権行使の可能性を極小化すれば、合憲として運用する余地あり、との示唆とも受け止められる。
 藤田は15年の安保法制の国会審議中に論文をほぼ全て書き終えていた。あくまで学問的な論争を望んで「政治的な興奮状態がいささかでも収まる時期」と「思いを正確に伝えうる場所」を模索してきたという。ただ、最初に掲載を求めた日本法律家協会の機関誌『法の支配』からは「元最高裁判事という地位に伴う影響力の強さ」なども理由に断られた、と打ち明ける。
 掲載を引き受けたのは、公法・行政学・地方自治などの論文を扱う月刊誌『自治研究』2月号。藤田は「『法の支配』の名が泣く、真に情けない話」だと不快感を隠さないが、集団的自衛権違憲説に立つある憲法学者は「学者として論争を提起したつもりでも、元最高裁判事となれば、政治利用されかねない」と論文の重みを受け止める。論文で批判を受けた学者からは反論を準備する動きも出始めた。
■外交官出身の福田氏は合憲を明言
 もう一人、2月に刊行した回顧録で集団的自衛権の行使は合憲との見解を明言した元最高裁判事がいる。外交官出身で、元首相の中曽根康弘の首相秘書官、外務省条約局長、次官級の外務審議官(政治担当)を歴任した福田博(80、弁護士)だ。
 書名の『福田博オーラル・ヒストリー「一票の格差」違憲判断の真意』(ミネルヴァ書房)が示すように、福田は衆参両院の議員定数不均衡訴訟で「投票価値の平等」を徹底して主張し、最高裁の役割を問い続けた気骨で知られる。同書中で「集団的自衛権は別に憲法9条に関係ない」として、憲法で何ら否定されていないと言い切っている。
 「国連憲章には、自衛権として、集団的自衛権も個別的自衛権も書いてある。そもそも(1928年の)不戦条約を作る時に自衛権はどうなるかということも議論されているんです。ラテンアメリカなんかがいろいろ問題提起をして、戦争の禁止によって自衛権は否定されないということがはっきりしている。憲法9条は戦争をすることを禁止している、しかし、自衛権は否定されない」
 不戦条約の流れをくむ9条は戦争放棄を明言したが、自衛権は何ら制約しないと力説する福田。国連憲章も認める集団的自衛権の行使を憲法が禁止している、という従来の法制局流の解釈は、冷戦終結後に変えておくべきだったとの立場だ。戦後の外務省では日米安保条約に深く関わって「条約畑を歩いた知米派」が本流を形成し、憲法解釈を巡って法制局と暗闘を続けてきた。福田もその一人だった。
 同じ最高裁判事経験者でも、元長官の山口繁(裁判官出身)は15年9月、共同通信の取材に「集団的自衛権の行使を認める立法は憲法違反と言わざるを得ない」と違憲説を表明した。元判事の浜田邦夫(弁護士)も参院平和安全法制特別委員会で「9条の範囲内ではない」と述べた。これらと立ち位置を異にする藤田や福田。民主党など5野党は安保法制廃止を訴え、国政選挙で争点化を狙うが、「政治的な興奮状態」の再現は未知数だ。=敬称略

「地方自治体のココロの判断で善いです。まっつ!、自由でしましょう。w フリースクール」@義務教育 http://mainichi.jp/m/?w8pZhF 裕(2時間前)

http://italhero.exblog.jp/