いすけ屋


 今回はその二。この本は昨年の12月に発行されたもので、著作は当然それ以前となる。そういったタイムラグは随所にあるが、現在も続いているので、さほど違和感はない。勿論、そのつもりで読んでほしい。西尾先生も私も、日本が早く独立してほしいという同じ願望を持っている。それもあって、書かれていることには一々納得させられる。



同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時が来た (ビジネス社)西尾幹二


  二


 第二次安倍内閣の活躍は目覚ましく、経済といい、外交といい、やることは全て当たっていて、きわめて順調である。閣内も安定しているし、党内の不協和音も、鎮められている。


 モンゴル、インドネシア、ベトナム、タイに始まり、しばし間を置いてロシア、トルコ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、そしてミャンマーに至る一連の安倍総理の歴訪外交は、誰が見ても中国包囲網の足跡である。また十年問放置してきたアフリカ諸国との熱い関係の回復を求めた六月初旬の開発会議も、先行して影響力を拡大していた中国を意識しての試みであることは、よく知られている。


 ほとんど国家意識というものを失っていた自民党と民社党の平成二〇年間の政治から、「日本を取り戻す」安倍総理の意気込みはまことに壮大で、やっと日本が世界に姿を見せ始めていることに、国民の一人として、喜ばしい兆候を見る。


 この一連の安倍外交が、アメリカとの打ち合わせによってなされ、いわゆる既定路線の安全運転であるのか、それともそこから相当にはみ出た独自路線をも含んでいるのか、にわかには判断できない。けれども、今述べた中国包囲外交は、アメリカの意に反するものとは必ずしも思えない。ロシアと北朝鮮に対する行動は別として、他はことさら同盟国に悪い影響や印象を与える行動とは思えない。


 だが、果たしてそうかなと思うのは、アジアに世界戦略の軸足を移すとオバマ政権が宣言した二年前から、アメリカは新たな対中国包囲戦略と言っていたけれども、どうもそこがはっきりしない。


 今、アメリカの中国に対する姿勢は、曖昧で、不明確で、利己的で、決して世界政府的な姿には見えない。かつてホワイトハウスはたとえ口先であったとしても、人権と民主主義の理念を高らかに宣言していたはずなのに、あの元気のいい、おせっかいじみた、極めて陽性なヤンキー政府の掛け声が、今、聞こえてこない。明らかに人民を搾取し抑圧している「悪の帝国」である北京政府に気兼ねをしていて、頭が上がらないように見える。


 習近平が「中華民族の偉大なる復興」と大言壮語するように、二つの大国は太平洋を二分割して取り仕切ろう、などとまで言う傲慢を、アメリカは断固厳しく問責するという声もない。ハワイは中国領にもなり得るといった北京政府高官の過日の暴言には、さすがアメリカの高官も一言あったのは事実だけれども、そんなことまで言われているという情勢は、驚くべきことだと言わざるを得ない。


 かくて東シナ海も南シナ海も、波高く不穏な事態が続発していて、中国をぐるりと包囲した安倍総理の外交の旅は、アメリカの意向に沿っているかどうかというよりも、アメリカにできないことをやってのけた趣きさえあり、中国に対する大胆な牽制ないしは抑止の政治的役割を敢えて果たしていると言ってもいいであろう。


 それほどアメリカが弱って見える。覇権国家の退潮、そういう新しい時代を迎えているようにも見える。そんな中での安倍政権の何と言っても大きなカウンターパンチは、アペノミクスによる日本経済の復活の兆しで、これが与えた国際政治外交における影響は非常に大きいものがあった。円安で揺らぐ中国と韓国の輸出力低下を見ていると、両国の経済の底の浅さをありありと感じさせるし、一度は中国が日本に経済制裁をするとまで大言壮語したことを笑止千万な一幕として思い出す。


 野田政権の退陣からまだわずか五ヵ月しか経たないけれども、僅かの変化の第一は、世界の工場としての中国の役割が終わったという兆し、ないしはその認識の広がりである。またアメリカのシェールガスの成功に基づく製造業復活の予感が囁かれている。これらの先行きの明確度は今のところわからないが、いずれにせよマネーは新興国から先進国へ、再び逆流し始めている。


 いろいろな面で、安倍政権は追い風を受けているわけだが、それにも拘わらず、すでに述べたように、予想もしなかったアメリカのヘゲモニーの縮小と軍事力を含む外交力の退潮が、国際政治に及ぼす影響の大きさを感じさせる。


 いったいそれはどういうところから強く感じられるかというと、何と言っても、この十年間の北朝鮒の核問題に対するアメリカの無方針ないし無責任に、日本が振り回されてきたという事実がある。周知の通り、アメリカは中国に問題の処理を丸投げして、徒に時間を空費してきた。今、飯島勲内閣官房参与の訪朝(二〇一三年五月十四~十七日)という挙に日本が出たことに、アメリカは何かが言える立場ではない。


 なぜそうなったかという根拠を振り返ってみるなら、小泉内閣の時に締結された日朝平壌宣言が凍結され、動かなくなって、十一年の歳月が経過した。米中韓三国の干渉で動かなくなったと言われていて、田中均の暗躍などがあり、外務省を通じての拉致被害者救出は不可能になった。


 あの時、官房副長官として訪朝し、事情を知っていた安倍総理、そして小泉総理の秘書官だった飯島参与は、涙を飲んで悔しい思いをされたのではないかと私は推理している。外務省を通じて何かをすれば、全部アメリカに筒抜けになり、必ず妨害が始まる。そこで、今度は外務省を排除しての飯島訪朝という思い切った行動になったのではないか。その結果何か起こっているか、予測はつかない。ただこの十一年間とは少し違った新たな変化に、安倍政権が何とか一歩でも踏み出そうとしていることを、私は大変評価している。


 振り返ってみると、いけないのは北の核を結局容認してしまったアメリカのダブルスタンダードである。アメリカは自国のことを優先し、国際テロ組織に核関連技術や核そのものを売り渡さなければ核兵器を持ってもよいというサインを送っていたに等しい。北の核武装を事実上許していたのである。また、同時に半鳥全体の非核化を考えていて、北の核だけでなく、日韓の核開発の可能性をも抑え込むという路線をアメリカは歩んだ。これが、六力国協議というものの正体である。


 私は二〇〇四年に刊行した「日本人は何に躓いていたのか」という拙著の帯に次のように書いた。


 「六ヵ国協議で、一番焦点になっているのは、実は北朝鮮ではなくて日本だということを日本人は自覚しているでしょうか。これから日本をどう泳がせ、どう扱うかということが、今のアメリカ、中国、ロシアの最大の関心事であります。北朝鮮はこれらの国々にとってどうでもいいことなのです。いかにして日本を封じ込めるかということで、中国、ロシア、韓国の利益は一致しているし、いかにして自国の利益を守るかというのがアメリカの関心事であって、核ミサイルの長距離化と輸出さえ押さえ込めば、アメリカにとって北朝鮮などはどうでもいいのです。いうなれば、日本にとってだけ北朝鮮が最大の重大事であり、緊急の事態なのです」


 これを書いたのは二〇〇四年なのだ。約十年前に私がいち早く気がついて警告していた認識で、結果がこの通りになりたのは、日本がアメリカにしてやられたということである。この無意味の十ー年間は、拉致被害者、そしてご家族にとってどれほど切ない、失ってはならない歳月であったか。さすが安倍さんは、そのことに気がついていたのだと思う。単純な「親米」派の小泉氏から半歩か一歩かだけ安倍さんは「離米」に軸足を移していた。そのことにアメリカは敏感に気がついて、第一次安倍内閣のときに反安倍の気運がワシントン内部に生じた。安倍総理が愛国者であるなら必然的に「離米」にならざるを得ない国際環境をつくったのは核大国アメリカの無責任のほかにない。そしてそのような方向舵を失ったアメリカのそのときどきの利己的方針にただ唯々諾々として従うのが日本の外務省である。


 外務省は常に対米従属であるから、外務省を使って外交交渉をやれば、もうどうにもならない。だから小泉総理も使わなかった。同様に今、安倍総理も北朝鮮交渉は外務官僚を使わないでやらなきゃならないということに気がついている。


 飯島訪朝についてだが、私はアメリカヘの通告はなされていたと思う。ただ、それをしたのは外務省ではない。拉致担当大臣の古屋圭司国家公安委員長が直前の五月初旬に訪米している。


 この国の外務官僚は、アメリカンスクールかチャイナスクールかどちらかしかいないのだ。日本の国益ではなくて、アメリカの国益に奉仕するか、中国の国益に奉仕するかの集団なのだ。日本の国益を守るのが政治なのだから、本当に外務省は要らない。飯島訪朝は、政治そのものの妨害要因になっている外務省を排除して行われた外交交渉だと私は解釈している。


 十一年前の日朝平壌宣言が凍結されて、事実上空文化したまま動かなくなっていた。その間六ヵ国協議に日本は乗ったままだったのだ。アメリカに乗せられて、北の非核化と拉致の同時解決が可能だと日本政府は幻想したし、世諭も幻想に踊った。


 この件は、日米同盟というものが、何も解決する力がなかったことを物語る。いったい安保条約というのは、日本を守るためにあるのか、それとも日本を監視するためにあるのか、この点が、はっきりと分かったのではないか。甘いことを言っていては駄目だ。保守論壇の方々に言いたい。従来の保守は単なる「親米反共」であるから、全然何も分かっていなかったのではないか。私は反米ではない。「離米」なのだ。正しくは「離米愛国」なのだ。アメリカから距離をもって独立を目指す道だ。


 北が絶対に核を放棄しないことは、もう国際社会は分かっているはずである。分かっていて、今の日本は再び、米中両国の意向を受けた六ヵ国協議に戻るのだろうか。日本潰しの六ヵ国協議にまた日本は乗るつもりなのかと問いたい。ここで言いたいのは、我が国がこのように自分の問題を自分で解決できないで、アメリカと中国の決定に任せる以外手の打ちようがないという状況全体に、私が常々’痛憤を覚えているということである。


 我が国は近代史においては東アジアの外交は自分で取り仕切っていた。六ヵ国協議などといって、いちばん端っこに座らされて、何も言えないで、こんな日本でいいのかと一言いたい。今の若い人が日本はそういう国だとイメージしているとしたら、とんでもない、日本は違う歴史を歩んでいた国なんだということを国民一般に今一度よみがえらせなくてはいけない。ここを何とか正さなければならないのが国家としての悲願ではないだろうか。


 日本人はなぜこれを屈辱とし、断腸の思いで自己問責しないのか。私はそのことが常々悔しくてたまらない。日本の官僚、政治家、言論人、財界人含めて、全ての人たちの現状容認の精神に、私は断じて許せない思いをしている。


 この点で気になるのは、最近中国が本腰を入れて北朝鮮の説得に当たっているかに見える新情勢で、北がにわかに協調的姿勢を見せ始め、米中が水面下で話し合いをしている結果ではないかと予測されることである。中国が何の見返りもなしでアメリカの意向に沿うはずはない。北の核放棄は中国の利益にも適う。しかし、それだけとは思えない。中国が北朝鮮という国を核弾頭に使う対米戦略を放棄し、東アジアの安定を選んだ作戦が何を目指しているか。これは良く見えないだけに不気味である。六月七、八日のオバマ・習近平会談で、どんな取引がなされたかは雲の影に隠れて何も見えないが、北を抑え込むのに中国が本気で取りかかる代償に、尖閣への軍事侵攻にアメリカは手を出さないという黙約が秘かに語られていなかったとどうして言えよう。八時間に及ぶ会談の中には、第三者のいない二人だけの散歩中の話か含まれていると告知されている。軍事的知能が欠けているといわれるオバマ氏だけに日本人からすればまことに薄気味が悪い。会談の後の、尖閣海域への中国船の侵入は一段と激しさを増している。


 アメリカはこれまでの歴史の中で、強権国家に和平のサインをうっかり送って、突如軍服攻撃を仕掛けられた失敗を何度かしている。朝鮮戦争はアチソン国務長官が極東の防衛域を示すいわゆるアチソンラインを引いたときに、朝鮮半島をラインの外側に置いていたことが金日成の侵略を誘ったといわれる。イラクのクウェート侵攻で始まった湾岸戦争もアメリカの一女性外交官の迂閥な言葉がサダム・フセインを誘発したのだとの説が有力である。いくら何でもオバマ氏は大統領であって、そんなことはあるまいが、もともと物事を明確にしたがらない性格、対立軸を露出させることを嫌がるタイプの人間だそうで、習近平とは対照的である。八時間もだらだらと接している間に気質は見抜かれ、あゝこの男なら断固やっても引っ込むだけだな、と読まれて、習近平の心の中に見縊る心理が宿ったかもしれない。


 私がそんな小説的推理をするのは、大統領はなぜつづくロンドンサミットで安倍総理との日米会談を回避したかを考えるからである。尖閣のことは二日前に電話で詳しく安倍氏に報告したのでもう話すことはないからだというが、政治的パフォーマンスの詰めの儀式を怠るのは心に潜むある種の空隙である。第三者のいる席でオバマ氏は習近平に、アメリカは尖閣の領有権には介入しない、日中間の話し合いで解決して欲しい、と言っただけだということが公式に報じられているすべてである。今の尖閣海域の情勢は「話し合いで解決」などあり得ない段階にまで中国が一方的に挑発し続けていることを、彼はいったい知らないのだろうか。まことに心もとない不誠実な対応である。従って、端的に言って日本は危ない。海上自衛隊はいつでも出勤できる態勢を整えておいて欲しい。


 オバマ大統領がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉の情報を中国に提供するとあっさり約束したことも私を驚かせた。日本になかなか情報は提供されないできた。TPPは国家主権をアメリカに渡すような危険な条項を含んでいて、これを知れば、中国が参加する可能性はきわめて低いのである。それなのになぜアメリカは他の自由主義の国々に高飛車に出ているのに中国にはこんなに低姿勢なのか。TPPはもともと自由貿易の輪を広げて、中国のような国家資本主義国を包囲し、これを解体させる遠大な計画を持っていたはずだ。アメリカ流の自由市場経済のグローバリズムで地球を彼うのは対日戦略の一つでもあって、日本は苫渋の決断を強いられているのだが、中旧の民主化というもう一つの政治的大目的のためにこれが役立つのなら納得もいくと考えられている。しかし、アメリカに果たしてそれだけの気力や意志は残っているのだろうか。近頃世界各地で、オバマ氏は覇権国の大統領としての自覚はあるのだろうか、という疑問がしきりに問われている。次々と同盟国を軽んじ、親米的な友好国に無配慮を重ねる外交のダブルスタンダードを見て、世界にはアメリカを頼りにしないで生きる親米だった国々の新たな同盟の必要が意識され始めている。じつは安倍総理がこの五ヵ月で次々と巡歴した諸国の輪は中国包囲の輪なのではなく、「離米独立」を意識し始めた国々の輪だったのだということが期せずして言えるのである。総理が計画的であったかどうかは分からないが、時代の要請はたしかにここにある。世界は流動化し始めている。


 オバマ・習近平会談が行われたのは、アメリカが中国の新しい指導者をじっくり時間をかけて観察するためであったと説明されているが、しかし実際には、習近平がアメリカの肚の内を偵察するのに大いに役立った一件であったかと思う。

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