春日山 新しいご意見 | 地方都市は死なず! 滝沢いっせい ブログ爽創通信  *09016693890*kpissey@rf6.so-net.ne.jp*

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上越市議会議員滝沢一成のブログです! 日々感じたこと、考えたことを、できるだけ素直に書いてゆきます。
滝沢一成のテーマは「雪」「老い」「貧困」、これらを追及します。

さらに新たな方からご意見をいただきました。

いろいろご質問されていることもありますので、お答えしたいと思いますが、現在手元に資料がなく、少々時間をください。市の計画書を確認します。


ただ、いま分かっていることは、「基本的に館などは造らない」「現在山を覆っている杉は戦争前後に植えられたもの」「近年商売にならず放置されてきた」「手を入れずに放置すればやがて木が土塁等を破壊する」「土塁や空堀を崩している木々を伐採し、整える」「昭和になって作った道を廃止し、かつての道を整備する」等々です、正確ではありませんが。


また観光のために事業を進めているという誤解がありますが、そうではありません。史跡を保つための事業だということです。いろいろな思惑をもっている方もいることはいるのでしょうが、少なくとも担当の市の「生涯学習推進課」は観光のために強引な開発をしようとは全く思っていないでしょう。


確認していませんが、明治期以降一時期山頂付近まで、段々畑になっていたそうです。また児童文学作家小川未明の父が春日山神社を造営したため、山のかたちが変ったとも言われています。時のながれとともに「ただの山になっていく」のも一つの在り方という考え方もありますが、謙信公がいらっしゃった時代の山容を、史実に基づいて最低限保とうとする事業は、一概に否定されることではないと思います。

また、これまでいただいた意見を読むと、「史跡の保存の在り方」と、「緑を守るかどうするか」ということが、混同されて議論されているところもある気がします。



では、新しいご意見です。

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はじめまして。春日山城復元の件について、少々お伺いをしたいこともあり、メールをさせていただきました。
私は、奈良県に在住しております。実のところ、春日山へはお伺いをしたことはありません。しかし、史跡に復元をするということに関してのご意見を賜りたいのです。
奈良県の平城宮跡では、朱雀門と大極殿を復元いたしました。平地であり、広大な空き地である平城宮跡での復元工事ですら、長い年月と何百億という多額の費用がかかっています。上杉謙信がそこに城を築いたのでしょう、それ相当な山であることは想像に難くありません。費用は、いかほどかかるんでしょうか?山城が朽ちていく原因は、メンテナンスが大変である、ということも含まれております。そのランニングコストはいかがお考えでしょうか?図面のようなものが掲載されておりましたが、本丸をはじめとした建物群を復元されるとして、その間、当然立ち入り禁止になるのではありませんか?史跡にすら、足を踏み入れられない状況は、はたして何年続くのでしょうか?そして出来あがった時、どれだけの方がお見えになるとお考えですか?
国宝姫路城大天守閣が、現在修復作業を行っていることはご存じだと思います。姫路市が一番恐れていることは、この修復期間の間、観光客が激減すること、世間から姫路城が忘れられるのではないか、ということです。工事の内容をオープンにしたり、普段は公開しないところを公開したりと、かなりな工夫をこらされておられます。復元工事中、立ち入り禁止区域が出るとして、どのような手立てを考えておられるのでしょうか。「越後は上杉謙信」だから、大丈夫でしょうか。すでに色々な方が市議さんにメールをされておられることと思います。みなさん、上杉謙信に心酔し、それなりの知識を持った方々です。しかし、世間にはそんな方ばかりではありません。「謙信って、川中島?」レベルの方もいます。そんな方が、謙信公をより知りたいと思った時、一番初めに訪れる所がここ春日山だと思われます。そんな時、見ることも足を踏み入れることもできないとなればどうなるか。人の気持ちは移ろいやすいものです。別な武将に関心が移り、その武将ゆかりの地は見ることが出来たとなれば、そちらに行くんじゃないんでしょうか。そしてそれは、上越市にとっての損失であるとの認識はお持ちにはなれませんか。
前述の平城宮跡ですが、おそらく朱雀門と大極殿だけしか復元されないでしょう。広大な跡地にポツンとある二つの復元物は、来年以降どのような評価がされるのかが、今から恐ろしいです。中途半端な復元は、歴史を冒涜するものだという認識をもっております。史跡とは、古いというだけで残るものではなく、そこに係わった人の思い、伝えようとする人の意思、そしてその史跡自身が残ろうという意志、その諸々が集まって史跡として残ると私自身は考えております。市議さんは、史跡について歴史について、どのようにお考えでいらっしゃいますか。ブログを読んでいても、残念ながらそこが伝わって参りませんでした。
新幹線を止めるのに、今のままでは止められないと言われたのでしょう。だからといって、城址に復元するというのは、前時代的だとは思われます。お若い市議さんが、そのような前時代的なものに魅力を感じられたというのも、少々さみしいかぎりです。ふもとに資料館をつくり、ジオラマをつくり、城址の説明をもう少しわかりやすいものにし、地元ガイドさんを養成する。箱ものをつくって誘致という従来の方法ではなく、史跡や城址の新しいあり方を上越市が率先してやってみるという気概を見せていただきたいと思います。
木が、史跡を破壊するというのであれば、山のお手入れが出来ていない証拠ではないでしょうか。下草を刈り、不要な木を計画的に伐採する。それだけで、ずいぶん改善できるかと思われます。山のお手入れは恒久的に発生しますので、雇用も生まれるのではと思います。
えらそうなことを、長々と書き連ねました。奈良県では、史跡と開発、ということと長年背中合わせに生きてまいりました。おそらくこの先もそうでしょう。その地で生きてきて、色々と思うこともあり、書かせていただきました。実行してしまえば、後悔しても止めることは不可能です。熟考されますことを、熱望しております。失礼いたします。 by 「sayuri」さん

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