田原聡一朗、伊丹十三、今野勉のドキュメンタリーをみる | ワイルド・ジャンボリー

ワイルド・ジャンボリー

なまけもののおぼえがき。

2月11日、第3回座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルでゲスト・セレクションの上映を観る。

〈鴻上尚史セレクション〉
『バリケードの中のジャズ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~山下洋輔1969』
1969年/25分/カラー/DVD版/テレビ東京 ディレクター:田原総一朗

27歳のまだ髭のない山下洋輔が若い! ニタと呼ばれる愛妻との仲睦まじい様子。病院で検診を受け、医者から今のまま演奏をつづけると命の保証はしないと言われる。そういえば、一度肺病を病んで療養中に書いたのが「ブルーノート研究」だったなと思いだす。「(ミュージシャンは)まあ、河原乞食でしょうから」という医者の辛辣な口調に思わず笑ってしまう。
友人の出演しているジャズ喫茶に行く画があるが、これは山下がセッティングしてくれたヤラセであるとナレーションで明かしてしまう。田原総一朗は、山下はジャズマンとしてのポーズをとり、演技をしているという。そして田原の側もヤラセを仕掛ける。夫人がとった仕事依頼の電話の声は、流行歌の伴奏でギャラは安く、美味しい仕事ですよと囁く。知ってか知らずか、ソファーに寝そべる山下の苦悩の顔。電話の声はアフレコで、ここは作った場面なのは明らか。ヤラセといってしまったが、いや、こうした電話のあったのは事実だろう。ヤラセではなく再現はドキュメンタリーのひとつの要素である。
バリケード封鎖された早稲田大学4号館。「ジャズによる問いかけ」と題したポスターに書かれた出演者の名は山下洋輔トリオ、相倉久人、平岡正明。対立するセクトの内ゲバを警戒しながら、大隈講堂から持ちだしたピアノを学生たちが担ぎ、ワッショイワッショイと運ぶさまがまるで祭りの神輿のようだ。それまでの撮る側と撮られる側の自意識過剰のせめぎあいは、サックスの中村誠一、ドラムの森山威男とともに繰り広げる火の吹くような演奏の前に崩れる。演奏が終わって山下の顔から鍵盤に滴り落ちる汗。外へ出る山下の姿。彼はまたポーズをとりはじめたようだというナレーションでエンド。

『早稲田解放戦線・虚と実』
1972年/25分/カラー/DVD版/テレビ東京 ディレクター:田原総一朗

1972年11月。早稲田大学文学部の学生がリンチで殺されたのを契機に、革マル派自治会執行部をリコール。革マル派学生に自己批判を求める糾弾集会は野次と怒号が飛び交い、騒然となっている。マイクを握ったひとりの顔は大きな絆創膏で覆われている。
臨時学生執行部を選出する大会開催を追う田原たちスタッフはひとりの学生に密着する。美樹本晴彦と蓑和田良太を足して割ったようなさえない顔の青年にマイクを向けて議論をぶつけて挑発する田原の手法はいまと変わらない。街頭募金を訴え、シュプレヒコールに弱々しく腕を上げて声を嗄らす青年の姿。
やがて革マル派と反革マル派が正面から激突。角材が振られ、立看板が割られる。
ラストは人影のなくなった構内で、片づけられた立て看板の残骸を載せた手押し車が夕景のなかを遠ざかってゆく場面で終わる。

〈是枝裕和セレクション〉
『遠くへ行きたい ♯49 伊丹十三のゲイジツ写真大撮影~白樺湖ヘロヘロの巻~』
1971年9月12日放送/30分/カラー/DVD版/読売テレビ ディレクター:今野勉

長野県白樺湖に伊丹十三とスタッフが遊ぶ。ただそれだけ。一行は白樺湖で「霧の中の女」の写真を撮ろうとする。「なんのコマーシャルにしようか」「白樺湖のコマーシャル」という会話からも16mmを同時に回しているようだ。スモークを焚いて霧に見たてようとする悪戦苦闘ぶりはちいさな映画の現場のよう。映画ごっこの楽しさ。なるほど、今野勉とともに16mmフィルムでのこうした仕事の経験を重ねたのちに、後年、自身で演出するコマーシャルフィルムや『お葬式』冒頭の撮影風景の発想が生まれたのだなとしごく納得する。
湖岸の野原では若い女性のポートレイト。山道を進むバスの窓からみた風景にのせて、子どもたちの歌声もまじったアメリカ民謡「レッド・リバー・バレー」の合唱が流れる。グライダーに同乗する伊丹十三はなぜかアメリカの空軍帽をかぶって臨む。身につけるものひとつへのこだわりが「らしい」。高く高く舞い上がるグライダ-から降りたときの興奮した表情。うれしそうに「ぼくが体験したことを味わっていただきましょう」と急遽カメラマンを乗せて空中からの撮影を敢行させる。C&WのBGMがのどかな空気の醸成にひと役買っている。
老舗紀行番組の初期の自由な空気がうかがえる回だった。この回のプロデューサーは『話の特集』編集長の矢崎泰久。デューク・エイセスの主題歌はテンポの早いソフト・ロックふうであった。

『遠くへ行きたい ♯124 伊丹十三の天が近い村~伊那谷の冬~』
1973年2月25日放送/30分/カラー/DVD版/読売テレビ ディレクター:今野勉

天竜川の上流、聖岳を遠くに望む急斜面に家々が点在している。その下栗という集落の猟師が猪を撃つのに同行する。草叢の向こうに猪の顔が覗く。銃声。しかし、これは剥製だった、最初は猟師さんから「猪が現れないと困るでしょう、豚に色を塗りましょうか」という申し出があった、と伊丹はナレーションで身も蓋もないことを明かす。あとで思えば、ここに伏線があったわけだが。
寒村の風景に佇む少女の画が一篇のポエムとなっている。この少女は明日結婚するということで、伊丹とスタッフは村民総出の婚礼の儀式を取材させてもらうことに。「よーめ、よーめ、よーめ」「むーこ、むーこ、むーこ」と声をかけられて披露宴に向かう花嫁と花婿。村民総出の宴。関係者や親戚らしき人が式辞を述べる。その様子を窓ガラスの向こうから伸びあがって覗いている伊丹十三。頭にはしっぽのついた奇妙な帽子。途中、婿が退席して家に戻って花嫁を待つが、長時間座っていたために脚が痺れる、というナレーションに『お葬式』を連想する。
いっぷう変った山間の風習、と思いきや、伊丹のナレーションが流れてすべてをひっくり返す。「これはほんとうの婚礼ではなく、村のみなさんが協力してくれたものです。ほら、嫁=東京と書いてある(と、構成表が映しだされる)。最初に下調べをしたときに婚礼の画なんて撮れればいいねと話していたら、じゃやってみせましょうかと言ってくれたのです。こんなものを流すのは不謹慎ですって? 婚礼は嘘でも村人のみなさんの好意は本物でしょう。真贋はご覧になったかたの判断に任せます。それじゃ」としれっと語り、観る側はあっけにとられたまま終了。最初の出演者のクレジットに伊丹と並んで、のちに「お魚になったワタシ」のCMでブレイクする高沢順子の名が出てくるので、最初から手の内を明かしているのだが、それにしても。上映終了と同時に場内で拍手が起こったのもうなずける鮮やかさ。
映しだされたものは真実か否か、ドキュメンタリーの本質をめぐって30分のコンパクトなサイズで、しかもエンターテインメントとして提出しているこの番組からも、テレビはかつてほんとうに自由なメディアだったことがわかる。
人里離れた山奥の自然の描写にロックとチェンバロが響くクラシックをのせた音楽の使いかたも秀逸だった。撮影はテレビマンユニオンの創立メンバーで、伊丹が師と呼んだ佐藤利明。

『天皇の世紀 ♯13 パリの万国博覧会』
1973年12月30日放送/26分/カラー/DVD版/朝日放送 ディレクター:今野勉

大佛次郎の同名の歴史ノンフィクションを原作とした『天皇の世紀』は1971年にドラマ版が、1973年から74年にかけてドキュメンタリー版が放映されたが、これは後者のほう。
1867年に開かれたパリ万博に招かれた徳川幕府の武士たちの視察の様子を、伊丹十三がレポーターとなってたどる。サムライ姿にふんした伊丹はパリのシャンゼリゼ通りのカフェでコーヒーを飲み、凱旋門あたりを闊歩する。月代のある鬘をつけた伊丹の姿が新鮮だ。頭のかたちがうつくしく、武士の恰好がよく似合っている。ほとんど時代劇に出なかったひとだったが、出ればよかったのに。洋服姿でもカメラに向かってパリの歴史のうんちくを傾けるが、台本が完璧に頭に入っている。ドキュメンタリーのレポーターはこのひとにとって、もうひとつの天職であった。
サムライコスプレの伊丹の芝居で、幕府の視察団より先にパリに来ていた薩摩藩の一行との日本代表団をめぐる駆け引きがつづられる。宿替えをして落ち着いた一行に日本より帰国命令が。大政奉還で幕府が瓦解していたのだ。ひとり風呂で身体を洗う武士に去来するむなしさで幕。