被災地に10万本のバラの花をおくるプロジェクト「Flower's Yell」。
石巻でのインフィオラータを終え、
岩手県陸前高田市の宿泊所に着いたのは11時。。。
途中、南三陸町、気仙沼市と大きな被害のあった被災地を通過したのだが、
夜で、しかも電気も消えていたので、
各地の被災状況を見ることはできまなかった。。
2日目は10時から避難者の多い
高田第一中学の避難所を訪ねることになっていたのだが、
少し早めに宿をでて、被災にあった市街地を見に行くことにした。
僕も今までいくつかの被災現場を目にしたけど、
ここまで悲惨な状況は見たことがなかった。。。
まるで戦時中の空襲にでもあったかのような、あたり一面瓦礫の山、山、山。。。
津波で破壊された建物は震災直後のままだ。
津波のパワーというのはこれほど恐ろしいものなのかと改めて実感した。
最後の写真は完成したばかりの球場。
お披露目を直前に、1度も使用されないまま津波に飲み込まれてしまった。。
避難所を訪ねる前に、このような悲惨な光景を見てしまい、
ちょっと気分的に落ち込んでしまった。。
なぜならこの光景を見た後に、
ここで暮らしていた避難所の人たちにどんな言葉がかけられるのだろうか??
そしてこんな状況の中で、花など受け取ってくれるのだろうか??
そんな思いが込み上げてきた。。
高田第一中学の避難所には未だ500人からの被災者が避難している。
ここに2500本のバラを届けるとともに、
併せて完成したばかりの仮設住宅にも400本ほど届けることにした。
2500本とは今まで配った中で一番多く、
はたして全部配り終えられるのか不安だった。。
2500本のバラはすべて体育館のロビーに用意した。
ロビー一面バラで覆われるほどの量に、避難所の関係者達もびっくり!!
初めに挨拶をさせていただき、バラの配布が始まった。。
避難所に長い列ができ、たくさんの方々がバラを受け取ってくれた。
体育館の入口には。。。
なんと1時間ほどで2500本のバラは終了。。
配り終えた後、避難所の中を訪ねたのだが、
皆さん早速バラを飾ってくれていたのが嬉しかった!!
避難所のあちこちにバラが飾られていた。。
こんな風に少しでも避難所の中が明るくなることを望んでいたので、
この光景はとても嬉しかった。。本当に来てよかった。
避難所の皆さんにも大変喜ばれた。
関係者の話では、今まで3ヶ月間様々な物資が届けられてきたが、
花がおくられたのは初めてだったらしい。。
今は心のケアが大切な時期であり、花はとてもありがたいとも。。
こういう言葉をいただくと、本当にフラワーズ・エールをやってよかったと思える。。
午後からは友人の浅葉弾君(浅葉克己さんの息子さん)がアート活動で、
偶然近くでワークショップを開催するとのことで、僕らも合流することにした。。
会場は長部小学校。
ここには津波で壊滅的な被害を受けた気仙小学校が間借りしており、
この気仙小学校の生徒や父兄、先生達を対象にワークショップが行われていた。
長~い布にアクリル絵具で思い思いの絵を描き、大きな絵巻にするワークショップ。。
子供たちは、まるで3ヶ月前の震災などなかったかのようにとても元気だった。。
この学校は津波にすべて飲み込まれたものの、生徒は全員無事だった。
そんなこともこの元気の要因なのかもしれない。。。
<津波にすべて飲み込まれてしまった気仙小学校>
作品完成後、全員で記念撮影。。
そして参加した子供達と、気仙小学校にバラをプレゼントさせてもらった。
帰り際に配ったバラに子供達が殺到。。
これがもし東京の学校だったら、子供たちは花にこんな反応をするだろうか?
そんなことを考えてしまった。。
きっとこの日の夜は、各家庭にバラが飾られたんだな~と思うと、
ちょっと幸せな気持ちになれた。。
地震にも津波にも負けず立ち続けた1本の松。。
今、この松が陸前高田市の復興の象徴となっているという。
しかし、僕が今日最後に見た子供たちの元気と笑顔こそ、
陸前高田市の未来の姿であり、復興への希望だと確信した。。
どんな環境でも、子供たちが元気であれば未来は必ず開けると思う。
「頑張れ!!」
ありきたりの言葉ではあるけど、思わず子供達に呼びかけていた。
前日、石巻の避難所でバラを配り終え、帰り際に手紙を一通いただいた。
「昔去る時雪 花のごとし 今来たれば花 雪に似たり 花の無言に励まされる心」
この方は多くの犠牲者を出した大川小の近所に暮らしていた主婦の方。
毎朝元気に登校する生徒を見送っていたらしい。。。
そしてメッセージカードにはこんな言葉が記されていました。
「咲くを待つ無言の花の想いを 咲くを知らず逝ってしまった花
周りの人々を思うと涙が止まりません」と。。。
石巻でのインフィオラータを終え、
岩手県陸前高田市の宿泊所に着いたのは11時。。。
途中、南三陸町、気仙沼市と大きな被害のあった被災地を通過したのだが、
夜で、しかも電気も消えていたので、
各地の被災状況を見ることはできまなかった。。
2日目は10時から避難者の多い
高田第一中学の避難所を訪ねることになっていたのだが、
少し早めに宿をでて、被災にあった市街地を見に行くことにした。
僕も今までいくつかの被災現場を目にしたけど、
ここまで悲惨な状況は見たことがなかった。。。
まるで戦時中の空襲にでもあったかのような、あたり一面瓦礫の山、山、山。。。
津波で破壊された建物は震災直後のままだ。
津波のパワーというのはこれほど恐ろしいものなのかと改めて実感した。
最後の写真は完成したばかりの球場。
お披露目を直前に、1度も使用されないまま津波に飲み込まれてしまった。。
避難所を訪ねる前に、このような悲惨な光景を見てしまい、
ちょっと気分的に落ち込んでしまった。。
なぜならこの光景を見た後に、
ここで暮らしていた避難所の人たちにどんな言葉がかけられるのだろうか??
そしてこんな状況の中で、花など受け取ってくれるのだろうか??
そんな思いが込み上げてきた。。
高田第一中学の避難所には未だ500人からの被災者が避難している。
ここに2500本のバラを届けるとともに、
併せて完成したばかりの仮設住宅にも400本ほど届けることにした。
2500本とは今まで配った中で一番多く、
はたして全部配り終えられるのか不安だった。。
2500本のバラはすべて体育館のロビーに用意した。
ロビー一面バラで覆われるほどの量に、避難所の関係者達もびっくり!!
初めに挨拶をさせていただき、バラの配布が始まった。。
避難所に長い列ができ、たくさんの方々がバラを受け取ってくれた。
体育館の入口には。。。
なんと1時間ほどで2500本のバラは終了。。
配り終えた後、避難所の中を訪ねたのだが、
皆さん早速バラを飾ってくれていたのが嬉しかった!!
避難所のあちこちにバラが飾られていた。。
こんな風に少しでも避難所の中が明るくなることを望んでいたので、
この光景はとても嬉しかった。。本当に来てよかった。
避難所の皆さんにも大変喜ばれた。
関係者の話では、今まで3ヶ月間様々な物資が届けられてきたが、
花がおくられたのは初めてだったらしい。。
今は心のケアが大切な時期であり、花はとてもありがたいとも。。
こういう言葉をいただくと、本当にフラワーズ・エールをやってよかったと思える。。
午後からは友人の浅葉弾君(浅葉克己さんの息子さん)がアート活動で、
偶然近くでワークショップを開催するとのことで、僕らも合流することにした。。
会場は長部小学校。
ここには津波で壊滅的な被害を受けた気仙小学校が間借りしており、
この気仙小学校の生徒や父兄、先生達を対象にワークショップが行われていた。
長~い布にアクリル絵具で思い思いの絵を描き、大きな絵巻にするワークショップ。。
子供たちは、まるで3ヶ月前の震災などなかったかのようにとても元気だった。。
この学校は津波にすべて飲み込まれたものの、生徒は全員無事だった。
そんなこともこの元気の要因なのかもしれない。。。
<津波にすべて飲み込まれてしまった気仙小学校>
作品完成後、全員で記念撮影。。
そして参加した子供達と、気仙小学校にバラをプレゼントさせてもらった。
帰り際に配ったバラに子供達が殺到。。
これがもし東京の学校だったら、子供たちは花にこんな反応をするだろうか?
そんなことを考えてしまった。。
きっとこの日の夜は、各家庭にバラが飾られたんだな~と思うと、
ちょっと幸せな気持ちになれた。。
地震にも津波にも負けず立ち続けた1本の松。。
今、この松が陸前高田市の復興の象徴となっているという。
しかし、僕が今日最後に見た子供たちの元気と笑顔こそ、
陸前高田市の未来の姿であり、復興への希望だと確信した。。
どんな環境でも、子供たちが元気であれば未来は必ず開けると思う。
「頑張れ!!」
ありきたりの言葉ではあるけど、思わず子供達に呼びかけていた。
前日、石巻の避難所でバラを配り終え、帰り際に手紙を一通いただいた。
「昔去る時雪 花のごとし 今来たれば花 雪に似たり 花の無言に励まされる心」
この方は多くの犠牲者を出した大川小の近所に暮らしていた主婦の方。
毎朝元気に登校する生徒を見送っていたらしい。。。
そしてメッセージカードにはこんな言葉が記されていました。
「咲くを待つ無言の花の想いを 咲くを知らず逝ってしまった花
周りの人々を思うと涙が止まりません」と。。。