私は仕事がたまっていたので朝から齷齪と働いていて、当然パーティーなどにお出かけするなどままならず
やむを得ないとはいえ、何とも薄ら淋しくわびしい気持ちを、自宅で普段に増して地味で質素な和食を作ることでさらに盛り立てたのでした。
陰極まれば陽となる
これは陰陽五行説の基本概念なのであります。
この数日、楽しげに仮装したお友達の写真をFacebookなどで見かけるたびに、「ちっ、いいな~、羨ましい~」と横目でみながら過ごしてきたのですが、季節の行事にのっかることは、風水的には開運活動といわれています。
季節のイベントは、せっかくならば楽しんだもの勝ちなのです
ところで少し前まで「ハロウィーンってイマイチ、一部の人しか盛り上がってないよねー」なんて言われていた気がするけど、昨日なんか地方都市のこの福岡でも、繁華街は結構な盛り上がりで、周辺にうっかり近寄ると身動きとれず、大変だったらしいのです。
最近は「騒げるついでに騒いどけ」的に便乗して、盛り上がってる大人が多いってことなのでしょう。
地方都市でもそうなのだから、大都会東京においては、それはさぞかし賑わいを見せたことでしょう。
東京のハロウィンの後始末をボランティアの子供達がしていたと、ある方が、Twittereでつぶやいておられました。 それを見て、何とも言いようのない気持ちになりました。
「誤解を恐れずに言うなら…。」と、この方曰く、『この子供達にはこの体験が面倒くて嫌な体験になってくれると良い。 そして願わくば、自分の嫌なコトを他にしない高潔な人間に育って欲しい。』と。
何と深いお言葉だろうと感動して、私は思わずリツイートさせていただいてしまった。
お祭り騒ぎにうかれている大人達は、社会において常に子供たちの手本であれるよう、威儀を正してほしいものである。
人として、子どものように斬新な心を持ち、常に学びの姿勢である謙虚さはとても大切なことだけど、本来人は成長すべきものなのです。
自分がある程度の年齢に達すれば、今度は人様の成長を助けるべく、教え導く側に立てることが理想で、それが正しい人としての有るべき姿だと私は思う。
実年齢に対しての人間的成長が、比較的ゆっくりな人というのは、どうも他人に対する配慮が欠け、物事を自己中心的にしかとらえられず、さらに依存心が高い方が多いような気がする。
社会性に欠けるというか、自分のささやかなコミュニティの中で居心地が良ければ、このような方はきっと充分に満足なのだろう。 しかも、自分の後始末は誰かがやってくれるもの、やってくれて然るべきだと信じているのではないかと思うことがある。
先日、人様に散々迷惑をかけまくったうえ、あやうく賠償問題になりそうだったことを起こしたある方が、なんと「自分の心のケアをしてあげなくちゃ」と仰せられたのを聞いた時に、私は思わず大きくのけぞり、勢い余ってダブルアクセルとトリプルトゥループを見事にキメた気分になったのでした。
人間的成長の速度が大変ゆるやかで、のんびりとされた方というのは、他人様に注意されたり叱られることを特に嫌がり、恐れる傾向にあるような気がします。
もしかしたら、このような方は他の大人よりも、他人から注意をされたり叱られたりする頻度が高いのかも知れません。
そしてこのような方は、自分は何も悪くないのにいきなり相手が怒り出したなんて言い張ったり、何故か逆ギレしたりするのです
私は、人の社会性と、人間的成長というのは比例するような気がします。
年齢だけ大きくなっても、いつまでたっても自分のことしか考えられない大人は、成長の遅さを恥じて悔悟すべきですよ。 (あたしもだけどね)
私は、人の社会性と、人間的成長というのは比例するような気がします。
年齢だけ大きくなっても、いつまでたっても自分のことしか考えられない大人は、成長の遅さを恥じて悔悟すべきですよ。 (あたしもだけどね)