一般質問が地方議会の花形であっていいのか? | 館山市議会議員「石井としひろ」のブログ

一般質問が地方議会の花形であっていいのか?

ブログでは3連発で、一般質問について書いてきました。それは、地方議会において、一般質問が議員活動の花形である、ということになっているからです。確かに、議員の仕事の一部として重要ではあります。

しかし、シンプルに考えて下さい。

議員の仕事の花形が、「質問」とは変ではないでしょうか?

質問は所詮、質問です。
本質的には、学生が授業でしている質問と大差はありません。

レベルの高い政策提言をして、それに対する市長執行部の見解を問うたところで、それはあくまでも質問に過ぎません。

では、そもそも議員と一般市民の違いは何でしょうか?

本会議と委員会という「場」で質問することは議員しかできませんが、一般市民も同じ内容を市役所に行って、市長や市職員にすることは出来ます。そして答えは、法律的に見ても理論的に見ても、議員が聞いても、一般市民が聞いても同じになるはずです。

また、質問なら、電話でもメールでも出来ますし、「市長への手紙」という制度を使ってすることも出来ます。これは議員も一般市民も、法律的にも理論的にも同じです。実際に、議員である私も、一般市民同様、電話・メール・市長への手紙を使っています。

調査権も特に議員にはありません。私も、職員からその場ですぐもらえない資料を入手したい場合は、市民と同じ情報公開請求制度を使っています。

では違いはというと、それはつまるところ「議決権」だけになります。
議決権以外は、一般市民と議員は同じなのです。議員特権など、法律的にはありません。

条例を議決して作ることが出来ますし、予算を議決して修正することが出来ます。また、市長提案による一部の人事案や契約案件を議決によって否決し、やり直させることも出来ます。この違いです。また、前述のように1人1人の議員には調査権がありませんが、議会として議決すれば、「100条委員会」という強大な強制調査権を行使することが出来ます。

ここまで書いてきたことの帰結は、議員の役割は「質問ではなく議決」ということです。ですから、一般質問は本来、議会の花形ではありませんし、あってはならないのです。

一般質問の存在意義があるとすれば、質問によって、事実や問題点や争点を明らかにして、議員同士による「議決」につなげることです。

一般質問によって、この条例を変えなくてはならないね、という論点が生まれたら、議員同士で議論して、条例改正の議決をすればいいのです。

また、一般質問によって、この予算は不要だねという論点が生まれたら、議員同士で議論をして、予算案から不要な分を削除する修正の議決をすればいいのです。逆に、もっと予算が必要だねということであれば、増額修正の議決をすればいいのです。

本来はそれが議会の役割です。現状の地方議会は、ちょろちょろ質問をするだけの追認機関となっていることが多く、ほとんどその役割を果たせていないのが実情です。だから、「地方議会は駄目だ。駄目だ。」と全国的に、はるか昔から叩かれ続けているのです。

議会という日本語を見ても、議会は「議員同士が議論をする会」です。市の職員に質問するのは、あくまで議員同士の議論に必要な情報を得る為です。

「質問が議会の花形」というのは、どう考えても誤りであり、全国的にも広まってしまった迷信なので、この誤解は正さなくてはならないでしょう。

なお、議決こそが議員のメインの仕事ではありますが、質問というものも議決の為の情報を得るという意味で重要です。手抜きしていいとかサボっていいということには、もちろんなりません。