ある恩人の息災 | 事件鑑定人のブログ@鑑定人イシバシ

事件鑑定人のブログ@鑑定人イシバシ

私が事件鑑定人としてこれまで経験したことを書きます。
特定を避けるため、一部、ぼかしたりフェイクもありますが、概ね実体験です。

今日は、広島に原爆が投下された日だ。

私が小学生の頃のことであるが、父に連れられ被爆者の体験を聞きに行ったことがある。

演壇に立った被爆者の方は、10代で被爆され、年齢は父と同じだった。

被爆体験の講演の際、その方は、

「私は、あなた方が大人になった頃にはもう死んでいるでしょう」

と開口一番に口にされた。

当時の私はまだ子供で、死というものを捉え切れていなかった。

特に親しい人間を喪ったわけでもなく、身内の死すら経験していない。

死といえば、飼ってた金魚やカブトムシが死んだ程度・・・・・

子供なので、当然と言えば当然だ。

ただ、一緒に講演を聴きに行った父は、その言葉を重く受け止めたようである。

当時の父は今の私よりも若い40代で、そろそろ自分の墓を考え出す頃だった。・

今にして思えば、重く受け止めた父の気持ちもわかる。

当時の父は、帰りの車中で、小学生の私に 「死」 というものについて語ってくれた。

父も言葉を慎重に選びながら話したのであろうがが、「死」 にまつわる話は難しかった。

ただ、子供心に、父が同じ歳の人間が急逝することに、少なからず衝撃を受けたことはわった。

私が 「死」 について考えた最初かも知れない。

今から、約40年前の話だ。

    

ところで昨今のことである。

私に被爆体験を講演されていた方がテレビに出ていた。

「あなた方が大人になった頃、私はもう死んでいるでしょう」 

と数十年前に語ってくれた講演者だ。

存命であるだけでなく、ご長寿であっったとは・・・・・・

今思えば、私に 「死」 という概念を教えてくれたある意味の恩人である。

早速、私は、10数年前に他界した父の遺影に恩人の息災を報告した。