そもそも私は九州人出身で温暖な気候で育った。
そのため、雪崩や吹雪という言葉は知っていてもその恐ろしさは知らない。
しかし、今回の雪崩事故を見てみると、起こるべくして起きたように感じられる。
それは、複数人数が集まって構成された組織が持つ特有の盲点だ。
雪崩という現象でないにせよ、何処の組織でも起こりうる盲点であり、リスクである。
今回は、組織の盲点とリスクについて検証したい。
【ベテランという名のアマチュア】
高校生等を引率したのは登山のベテラン教諭とのことだ。
しかし、ベテランとはいえ、プロではない。
プロ登山家とアマチュア登山家の相違点は時間である。
アマチュアの場合は生業があるため、どうしても時間に制限を受けざるを得ない。
しかし、天候というものは人間の都合などお構いなしだ。
今回も定められたスケジュールというアマチュアの弱点が垣間見える。
また、ベテランという言葉は大変便利であるが、一定の要件を満たす定義がない。
何を以て、教員等をベテランと評価したのか、これについては検証が必要だ。
【烏合の衆】
冬山山岳訓練に参加したのは栃木県内の7校である。
教員同士の繋がりはあろうが、所詮別組織の人間同士だ。
組織が変われば、自由な意思疎通は難しかろう。
お互いの遠慮や牽制などが作用するからだ。
同一の目的を持ちつつも、教員自体が烏合の衆と化していた可能性が指摘できる。
烏合の衆での特徴では、互いが、「誰かやってくれるだろう・・・」という楽観の醸造
そして各々では、自分がやるべき事はココまで・・・・という責任の最小化が起きる。
そこで生まれるのは、責任の空白だ。
【無視されたリスク】
事故前には、気象庁が「雪崩注意報」を出していた。
この情報は、教員等にも伝わっていたはずである。
それでも、山岳斜面のラッセルを強行した。
烏合の衆であれば、どうしても大きな口を持つ人間に流される。
正しいことでも言い出しにくい空気が醸造されてしまうからだ。
逆に、自らの責を最小化させた副作用で、必要な事ですら口を閉ざしてしまう。
この事件では、栃木県警による業過致死を視野に入れたの捜査が始まるようだ。
おそらく、今回の事件で審らかにされるのは責任の空白と大きな声を出した人物であろう。
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末尾になりましたが、このたびの事故によって亡くなられた方、
ご遺族、関係者の皆様に、衷心よりお悔やみ申し上げます。
また、負傷をされた方々には、一刻も早い回復をお祈りいたします。
FAL 代表理事 石橋宏典