中学時代の同窓会 | 高橋いさをの徒然草

中学時代の同窓会

先日、中学時代の同窓会があったので出席した。日頃から学生に「現実の時間を舞台にのせてそのまま舞台になるのは裁判と同窓会だ!」と言ったりしているので、そういう興味もあり足を運んだ。40年ぶりに会う中学時代の同級生。55才のオジサンとオバサンたち。親しかった人はかろうじて覚えているが、そうでない人が九割を占める。しかし、その無謀な人間の集まりに参加すると、自分がどのように戸惑い、困惑するかにも興味があった。会う人ごとに「でかくなったな!」と驚かれた。そうか、中学時代のわたしは背が低かったのだ。恩師のN先生の元気な姿を見ることができたのが嬉しかった。几帳面な数学の先生。わたしは自分の性格を形成する上で、この先生に大きな影響を受けたと自覚しているので、その姿を垣間見るだけで感無量だった。

中学時代に学校の体育館で上演した「夕鶴」(木下順二作)のキャストの人々が登壇した。与ひょう役のSくん、つう役のKさん、運ず役のYくん、惣ど役のCくん。思えば、わたしの演劇の原体験の一つはこの「夕鶴」という芝居だったように思う。わたしは裏方で、何を担当したかもよく覚えていないが、舞台袖から与ひょうが飛び立つつうを見送る姿はハッキリと覚えている。二次会に向かう道々、子供役として出演していた女子がわたしに言った。

「最後に予定より早く幕が下りてしまってあっと思ったのを覚えている」

もしかしたらその幕を操作していたのは、舞台袖にいたわたしではなかったか?   わたしは、この舞台が原体験となって舞台演出家になったにもかかわらず、大事な場面でしくじっていたのが他ならぬわたしだったとしたら?    感動の余りに幕引きのタイミングをわたしが誤ってしまったとしたら?   これを人生の皮肉と言わず何と言おう。記憶も定かでない九割の同級生ではあるが、わたしたちは紛れもなくあの時代、あの時間を共有したのだ。それは喜び以外の何物でもない。ちょっとしたタイム・スリップ感覚が味わえる楽しい同窓会だった。


※与ひょう役のSくん(右)と運ず役のYくん(左)と。左奥の後ろ姿はつう役のKさん。