★新刊情報★

高橋いさを最新戯曲集

①『海を渡って~女優・貞奴』(論創社)

表題作に加えて朗読劇「父さんの映画」「和紙の家」(村松みさきとの共作)「母の法廷」の四編を収録。定価¥2000

2015年5月、全国書店にて発売中!

②『交換王子』(論創社)

マーク・トウェイン作「王子と乞食」を翻案した表題作に加えて、駆け落ちカップルの逃避行の顛末を私立探偵が回想するコメディ『旅の途中』を収録。定価¥2000

2015年9月、全国書店にて発売中!

③「I―note②~高橋いさをの演出ノート」(論創社)

1991年から2012年まで、著者か演出した舞台の稽古の際に俳優、スタッフに配られた演出ノートを公開する。定価¥2000(予定)

しばらくお待ちください。
































1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2016-09-26 08:50:18

加害者の表記

テーマ:エトセトラ
ジャーナリズムにおいて、記事が事件や事故における被害者と加害者の紹介をする際に、その表記方法が微妙に違うことに気づいたのはそんなに昔ではない。一例を挙げる。

●スーパーで女性刺され重傷。21歳女を逮捕。

わたしはこの表記にまったく違和感を持たないが、この記事が以下のように書かれているとちょっと違和感がある。

●スーパーで女刺され重症。21歳女性を逮捕。

つまり、ジャーナリズムでは、加害者を「女」と呼び、被害者「女性」と呼ぶのだ。性別が変わっても同様。加害者は「男」と呼び、被害者は「男性」と呼ぶ。なぜこういう風に書かれるかと言うと、紹介者が、被害者には敬意を持ち、加害者には敬意を持たないというスタンスを示しているゆえだと思う。不思議なことだが、「男性」「女性」と言われると、被害者はあたかも善良な紳士淑女のように聞こえるのに対して、「男」「女」は剥き出しの感じがして、あたかも暴力的な野蛮人のように聞こえる。こういう表記の方法がいつ頃からされているのかわからないが、表記から事件を伝える記者たちの立場がほの見える。

しかし、加害者や被害者が一般の人ではなく、要職にある人だと、表記は「男」「女」、「男性」「女性」ではなくなるようだ。彼らは「市議」「校長」「警官」「社長」など、役職で表記されることが多い。これは、記者たちが彼らの性別よりも、社会的立場を重視するせいか。

●スーパーでオバサン刺され重症。21歳の美女逮捕。

こういう書き方は「偏向報道」と呼ばれるにちがいない。この書き方が仮に事実を伝えていたとしても、このように書かれると我々はちょっと困る。なぜならこういう表記は、読者に善悪に関する小さな混乱をもたらすからである。


※新聞紙。(「アイコン配布中!」より)
AD
いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)
同じテーマ 「エトセトラ」 の記事
2016-09-25 08:37:49

犯罪スリラーの佳作~「最後まで行く」

テーマ:映画
DVDで「最後まで行く」(2014年)を見る。韓国製の犯罪サスペンス映画。友人の俳優さんに「何か面白い韓国映画はないですか?」と聞いたら本作を紹介され、一見に及ぶ。これは思わぬ拾い物だった。

殺人課の刑事ゴンスは母の葬式の日に交通事故で死亡事故を起こす。死体の隠蔽を図った彼は死体を母の棺桶に入れて一緒に埋葬し、その場をしのぐ。そんな時、事故を目撃したという謎の男から脅迫電話がかかってくる。追い詰められていったゴンスが突き止めた脅迫者の正体は・・・。

主人公が死体を隠し、事実の発覚を阻止しようとする件までは、ほとんどコメディと言ってもいいタッチだが、謎の脅迫者が現れてからは俄(にわか)にサスペンスが高まる。そして、脅迫者が主人公に要求するものが金ではなく隠した死体であるという展開も謎を深める。刑事が轢き殺した死体にいったいどんな秘密が?   物語は二転三転し、次第に明かされる真相も意外性と説得力がある。アクション場面にも迫力と創意があり、スピーディーな展開で最後まで一時も飽きさせない。ラストシーンにも皮肉が利いている。たいしたもんである。

偶然だと思うが、同じ2014年にちょっと似た趣向の映画がある。このブログでも取り上げたことがあるアメリカ映画「ダウト・ゲーム」である。こちらの主人公は刑事ではなく検事だが、彼も交通事故で人を殺してしまい、それを隠蔽しようとして窮地に追い込まれていくという話だった。事故で殺した被害者が意外な人間だったという展開も本作によく似ている。

韓国の犯罪映画にありがちな血みどろの残酷描写は控えめだが、よく練り込まれたストーリー展開と役者たちの熱演が光る犯罪スリラーの佳作である。刑事はイ・ソンギュン、脅迫者はチョ・ジヌン、監督はキム・ソンクン。


*同作。(「映画.com」より)
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-09-24 08:07:09

オーマイガー!

テーマ:エトセトラ
欧米の人たちは、びっくりするとしばしば「オーマイガー!」と口にする。言うまでもなく「オーマイガー!」は「オー・マイ・ゴッド!(Oh my god!)」のことで、直訳すれば「ああ、神様!」である。日本語にすれば「何てことだ!」となる。何かに驚く度に「神様!」とはずいぶん大袈裟な気もするが、わたしたち日本人と違って彼らは一神教なので、「神」というものに対する感覚が日本人とはちょっと違うのであろう。

2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルに二機目の飛行機が突入した時、多くのアメリカ人は「オーマイガー!」と口にした。確かにこの事態を上回る驚きは滅多にないだろうから、彼らがそのように口にするのもよくわかる。こういう事態に見舞われれば、無力な人間はただ神に祈るしかない。たぶん欧米の人たちは、わたしたち日本人より宗教(キリスト教)がずっと身近にあるのだと思う。その身近さがきっと「オーマイガー!」というような日常的に使う言葉に反映しているのだ。面白いことに、欧米人は性行為の最中にもこの言葉を使う。こちらは「何てことだ!」ではなく「凄い!」とか「やばい!」と翻訳するのだと思う。人間が行う行為の中で、最も卑俗な行為の最中に「神」が出てくるのが皮肉と言えば皮肉である。

ここ数年の傾向だと思うが、わたしたち日本人も頻繁に「神」という言葉を使うようになった。元々は若者の言葉だと思うが、人間業とは思えない行為を誉める時に「神」という言葉を使うようになったからである。サッカー選手に対して「あいつのプレーはマジで神だった」というように。最近では、不倫した歌舞伎俳優の妻の謝罪会見が「神対応」などと報じられたりした。だからと言って、我々日本人が信心深くなったとは思えないから、わたしたちの「神」はやはり欧米人の「オーマイガー!」とは文脈が全然違う場所にいるのだろう。どちらにせよ、真の神はその人間の精神の中核にあり、その人の行動を支配しているにちがいない。


*燃える世界貿易センタービル。(「シェア・チューブ」より)
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-09-23 08:40:13

復讐の行方~「愛のタリオ」

テーマ:映画
DVDで「愛のタリオ」(2014年)を見る。韓国製の「愛と復讐」を主題にした見応えある男女の愛憎ドラマ。

大学で不祥事を起こし田舎町に小説創作の講師としてやってきた大学教授で作家のハッキュは、町の遊園地で働く少女ドクと愛し合うようになる。彼には妻子がいたが二人は恋人として夢のような時間を過ごす。しかし、大学への復職が決まったハッキュは、ドクを捨てて都会に戻ることに。8年後、妻と死別し放埒な生活を送るハッキュの前にすっかり都会的な女になったドクが現れる・・・。

当初は「あれれ、これは韓国版の『危険な情事』ではないか?」という感想を持った。不倫した片方が相手に執着し、その行動がエスカレートしていくような。しかし、物語は後半に意外な展開をする。(ここからネタバレ)自堕落な生活が元で視力を失いつつあるハッキュの前に現れたドクは、さまざまな策略をめぐらし彼への復讐を遂げる。そんな折、成長したハッキュの一人娘が(!)今度はドクに復讐をしようと企てるのだ。世代を超えた復讐の連鎖。しかも、ドクへの憎しみに傾いたハッキュへの感情の振り子が、最後に再び愛情の方へ大きく揺り戻される様が描かれる。

このヒロインの愛憎の振幅と逆転が物語をより複雑な、けれど劇的なドラマに昇華させていると思う。つまり、本作は単なる「不倫相手への復讐劇」という枠をはみ出して、さらなる人間心理の領域に踏み込んでいくのだ。その人間心理の追求具合が、本作をエンターテイメント映画としての結末から逸脱させる。「危険な情事」の結末のように「めでたしめでたし」では終わらないのだ。そのへんが従来の男女の愛憎をめぐる復讐劇と一線を画している注目すべき点だ。ハッキュはチョン・ウソン(凄くいいカラダ!)が、ドクはイ・ソム(変身ぶりが鮮やか)が演じる。「タリオ」とは「報復」を意味するラテン語だという。


*同作。(「Amazon.co.jp」)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-09-22 09:00:48

追悼~カーティス・ハンソン監督

テーマ:映画
昨日、カーティス・ハンソン監督の訃報が届いた。「ゆりかごを揺らす手」(1992年)「激流」(1994年)「L.A.コンフィデンシャル」(1997年)などを撮ったアメリカの映画監督である。71才。脚本・監督を務めた「L.A.コンフィデンシャル」は、アカデミー賞の9部門でノミネートされ、ハンソン監督に脚色賞、キム・ベイシンガーに助演女優賞をもたらした。

すぐれた映画・文芸評論家だった故・瀬戸川猛資さんがサスペンス・ミステリ映画の「好き者」としてこの監督のことを著書のなかで称揚していたが、その文章を読んでわたしは思わずニンマリした。わたしも同じく「好き者」だからである。

カーティス・ハンソンの初期作品に「窓~ベッドルームの女」(1988年)というのがある。アルフレッド・ヒッチコック監督の「裏窓」(1954年)にオマージュを捧げたような内容のこの映画を見て、わたしはハンソン映画のファンになった。人妻と不倫関係にある青年が、自室で人妻との密会中に前の通りでレイプ事件が起こる。人妻だけが犯人の顔を見るが、青年の部屋にいたことを公にはできない。そこで、青年は人妻の身代わりの目撃証人として裁判に臨むが、殺人犯として追われることになってしまうという内容のサスペンス映画である。まことに「好き者」心をくすぐるすぐれた設定である。そう、サスペンス映画好きなら当たり前だが、この監督はヒッチコック映画のすぐれた後継者の一人だったのだ。

晩年はアルツハイマー病にかかり、引退状態だったと記事にある。まったくアルツハイマー憎しである。もっと面白いサスペンス映画を作ってほしかったのに。極東の島国から謹んで哀悼の意を表す。


*「窓~ベッドルームの女」(「ヤフオク!」より)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-09-21 07:36:03

他人が作る豆腐

テーマ:演劇
わたしはこのブログに映画の感想は書くが、芝居の感想は書かないようにしている。(例外はあるが)なぜかと言えば、芝居の感想は書きにくいからである。作り手が知り合いであったりする場合が多いので、下手なことを書くとその人との関係が気まずいものになる可能性がある。ごく稀に褒め言葉しか思いつかない芝居に出くわすことはあるが、それでも芝居の感想は書きにくい。わたしが映画の感想を気ままに書くのは、わたしが映画を作る側の人間ではなく、見る側の人間だからである。

ところで、「現実と切り結ぶ」という言い方がある。表現が絵空事ではなく、我々の実社会の現実に直結しているような場合、使われる言葉だと思う。現実に拮抗しようとしている表現とも言える。そういう意味では、わたしはこのブログの文章を通して「現実と切り結んで」いないのかもしれないと思う。現実と切り結ぶには、誰かが不快に思おうと、誰かがその文章を読んで傷ついても、あくまで真実を書き記さねばならないと思うからだ。つまらぬ芝居があったら、「こんなつまらぬものを金を取って見せるとは、いったいどういう料簡だ!」と怒る必要があるのかもしれない。そうは思いながら、なかなか他人の芝居を俎上(そじょう)に乗せる気にならない。そもそも、「現実と切り結ぶ」のは、ブログの文章ではなく、実際にわたしが上演する舞台を通して実現するのが本道であろう。それにわたしは評論家ではない。

だから、わたしが観劇した舞台のことに触れていなくても、関係者の方々は気にしないでいただきたい。豆腐屋はケーキの美味さについて語っていいが、他人が作る豆腐についてあれこれ言ってはいけないと思うのである。


*豆腐。(「ていすぴー」より)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-09-20 08:34:01

解体の過程

テーマ:エトセトラ
彼は動かなかった。衝動的な行為ではあったが、掴み合いの喧嘩の末に彼を突き飛ばしたらテーブルの角に頭をぶつけてしまったのだ。ゴツンという鈍い音がして、彼は全身を痙攣させ、しばらくして動かなくなった。名前を呼び、何度も頬を叩いてみたが、反応はない。心臓に耳をつけて彼の鼓動を確かめたが、彼の呼吸は明らかに止まっている。

「どうしよう!」

わたしの選択肢は二つあった。一つは警察に通報し、正直に事実を話すこと。もう一つは死体を隠し事実を隠蔽すること。わたしは後者を選んだ。

女のわたしに彼の死体をここから運び出すことは困難なことだった。わたしの身長は158センチ、彼は175センチもある。では、どのようにして彼の死体を処理するか?   答えはすぐに出た。彼の身体をバラバラに解体するしかない。

わたしは彼の服を脱がせた。まずシャツを剥ぎ取り、次にズボンを下げて脱がせた。パンツは取らなかった。後ろへ回り込み、彼の両肩に手を入れて浴室へ引き摺っていった。浴室の入り口に脛をぶつけてて飛び上がるくらい痛い思いをした。痛みを堪えて台所へ行き、包丁を取り出した。浴室へ戻り、裸の彼の亡骸を見た。白色灯に照らされた彼は大きな人形のようだった。しゃがみこんで彼の右足の付け根にその包丁を当てた。刃先を太腿の上の部分にグイと突き刺し、そのまま尻の方へ切り下げた。同じように反対も。恐怖はなかった。思ったより出血は少なかった。力を込めて切ると、ブチブチと嫌な音がした。しかし、何度も太腿に切り込みを入れても、彼の右足は簡単に外れなかった。大腿骨があるからである。わたしは汗だくだった。

「これじゃ切れない・・・」

わたしはそうつぶやいて、その場にへたばり込んだ。そして、すぐにノコギリの必要を感じた。しかし、家にノコギリはない。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

自分が今までに体験したことがないことを想像力で書いてみた。やはり体験していないことを書くのは難しい。


*包丁。(「包丁どっとこむ」より)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-09-19 08:41:28

目の前の12人

テーマ:エトセトラ
目の前に12人ほどの若者がいる。役者志望の人たちである。教室で彼らに対する講師としてのわたしの基本的な接し方は「平等・公平に扱う」ということである。決して依怙贔屓(えこひいき)しない。中には出来のいい人もいるが、そうでない人もいる。しかし、それでも彼らを常に平等・公平に扱うことを心がける。もしもうまく演技ができない人がいても、わたしの好き嫌いの感情では判断せず、あくまで論理を基準にダメ出しをする。

目の前に12人ほどの役者がいる。一つの芝居を作るために集まった人たちである。稽古場で彼らに対するわたしの演出家としての基本的な接し方は「平等・公平に扱う」ということである。決して依怙贔屓しない。中には力量のある人もいるが、そうでない人もいる。しかし、それでも彼らを常に平等・公平に扱うことを心がける。もしも、うまくわたしの要求をこなせない人がいても、わたしの好き嫌いの感情で判断せず、あくまで論理を基準にダメ出しする。

わたしの講師や演出家としての人々との向かい合い方は、社会生活の対人関係においても同様である。相手が金持ちだろうがそうでなかろうが、相手が美女だろうがそうでなかろうが、相手が老人だろうが若者だろうが、相手がエリートだろうがぺーぺーだろうが、基本的な姿勢は相手を「平等・公平に扱う」ことに変わりはない。どこまでその理想が実践できているかどうかは疑問だが、そのように努めているのは本当である。そして、わたしにもしも「個性」というものがあるとしたら、それはその素晴らしい心がけ=原則が何かをきっかけに崩れ、わたしの本当の気持ち(つまり、好き嫌いの感情)が表面化した時、表れるのだと思う。その時、わたしはたぶん普段、抑圧して決して彼らに見せない顔をするにちがいない。すべての人に平等・公平に接することは素晴らしいことかもしれないが、同時に人間味に欠けたひどくつまらぬことかもしれない。

目の前に12人ほどの人間がいる。それぞれに違う人生を生きる人たち・・・。


*ある日のわたし。
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-09-18 07:34:47

韓国の犯罪サスペンス映画

テーマ:映画
DVDで韓国の犯罪サスペンス映画を二本見る。

「極秘捜査」(2015年)は、1970年代に韓国で起こった身代金目的の誘拐事件を元にした犯罪サスペンス映画。金持ちの幼い娘が誘拐される。犯人逮捕をめぐって手柄争いをする警察官たちを尻目に、主人公の刑事は幼女の両親が頼る占い師とともに犯人を追う。「誘拐事件の捜査に占い師が協力する」という設定が面白く、刑事と占い師の「バディもの」の趣がある映画だが、合理的な疑問に邪魔されて(つまり、占いの信憑性)どうしても納得できないままに映画を見終わる。劇中に「オーメン」(1976年)のポスターが出てきて思わずニンマリ。主人公の刑事を演じているのは「チェイサー」(2008年)で犯人を追う風俗店の店長を演じていたキム・ユンソク。

「鬼はさまよう」(2015年)は、女ばかり狙う連続殺人鬼と犯人に妻を殺された若い夫とその義理の兄である刑事の三つ巴の死闘を描く復讐をテーマにした犯罪アクション映画。殺人鬼を早い段階で警察に逮捕させて、それをプロローグとして意外な展開をする作劇が巧み。原題は「殺人依頼」ということだが、このタイトルが本作の内容をよく語っている。それを「鬼はさまよう」とした邦題は悪くないが、「さまよう刃」(東野圭吾)を意識しているということか。刑務所に収監された殺人鬼とそれをつけ狙う刺客のシャワー室を舞台にした全裸の格闘場面に創意があるが、「イースタン・プロミス」(2008年)という前例がある。無惨に殺された善良な女をめぐり、鬼となった復讐者が凶悪な犯人を執拗に追い求め復讐を遂げようとするという物語の展開は、韓国犯罪サスペンス映画の定番だが、ちょっと食傷気味なのも確かである。

取り上げる韓国映画の種類を見てもらえばわかると思うが、わたしの韓国映画への関心は、もっぱら「犯罪サスペンス」系のもので、「ラブ・ストーリー」系や「コメディ」系に向けられない。


*「鬼はさまよう」(「Amazon.co.jp」より)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-09-17 09:02:15

大盛さん

テーマ:エトセトラ
わたしの住む町で時々見かけるちょっと風変わりな女の人について書く。年齢は四十代くらいか。いつもスカートにピンクのカーディガンを着ている。髪は長いが不潔な感じ。化粧っけはなく、色黒で生気のない目をして幽霊のようにフラフラと歩く。そう、ちょっと恐い女の人である。わたしは一度、この人と松屋で隣同士になったことがあり、華奢なからだつきに似合わず大盛りカレーを食べていたので、それ以来、心密かに「大盛さん」と呼んでいる。

大抵の町には、こういうちょっと風変わりな人が一人くらいいるように思うが、どうか。興味本位に他人の人生をあれこれ詮索することは失礼なことだとは思うものの、彼女の風体がわたしの想像力を刺激する。この女の人はいったい何者で、どんな暮らしをしているのだろう?   以下はわたしの勝手な想像である。

彼女は一人暮らしである。結婚はしたが、夫は暴行事件を起こし、現在、服役中。小学6年生になる男の子がいるが、アルコール中毒の彼女に裁判所は親権を認めず、折り合いの悪い夫の両親に子供を奪われた。住んでいるのは、駅から15分ほど歩く賃貸アパート。現在、仕事をしておらず生活保護を受けて暮らす。特技は陸上競技。高校時代はスプリンターとして活躍し、将来を嘱望されていた。

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、どちらにせよ「大盛さん」が失意の日々を送っていることは想像に難くない。それは彼女が全身から放つ負のオーラによって想像できる。失礼を顧みず言えば、町中で大盛さんを見かけると、その異様な雰囲気にギョッとする。「わたしはすっごく不幸なんですっ!」という気配を全身にみなぎらせているから。この人を見かけると、世の中の他の女性たちがみな非常に幸福な人たちに見える。少なくとも彼女たちはみな小綺麗にしている。その割には大盛りカレーをペロリと平らげてしまうのだから、案外、心根は逞しい人かもしれないが。大盛さんの不幸な出で立ちと大盛りカレーのギャップに、わたしはこの世の不可解を強く感じる。世の中にはほんといろんな人がいる。


*松屋の大盛りカレー。(「ベタメシ」より)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。