★新刊情報★

「I―note②~舞台演出家の記録」(論創社)

1991年から2012年まで、著者か演出した舞台の稽古の際に俳優、スタッフに配られた演出ノートを公開する。定価¥2000(予定)

2018年の春に発売予定。















































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2018-04-27 08:05:00

凶悪事件の命名

テーマ:事件・事故
いつ頃からだろうか、世に起こる犯罪事件に興味がわき、犯罪事件を取り上げたノンフィクションをよく読むようになった。今日は、わたしたちを震撼させた凶悪事件の名称について感じたことを書く。 

●埼玉愛犬家連続殺人事件(1993年)
本来も「埼玉愛犬家連続殺人事件」である。しかし、犯人が「ボディを透明にする」という名言(?)とともに、殺害した遺体をバラバラに解体して証拠を隠滅した点に注目し、この事件は「埼玉愛犬家遺体透明殺人事件」としたい。透明=解体というイメージが本件には必要だと思うからである。

●池袋通り魔殺人事件(1999年) 
本来も「池袋通り魔殺人事件」である。しかし、事件が人々で賑わう池袋の"サンシャイン通り"で発生したことを鑑みると、「池袋サンシャイン通り無差別殺傷事件」としたい。「"サンシャイン通り"(日光)の殺人」というイメージが事件の悲惨さを際立たせるからである。
   
●三島女子短大生焼殺事件(2002年)
本来も「三島女子短大生焼殺事件」である。しかし、何の落ち度もない善良な女子短大生が車で誘拐され、強姦された上に"生きたまま"焼き殺されたという意味では、「三島女子大生"生きたまま"焼殺事件」としたい。亡くなった状態ではなく、"生きたまま"火をつけたという点が最も残酷だと思うからである。

●秋葉原通り魔殺傷事件(2008年)
本来も「秋葉原通り魔殺傷事件」である。しかし、歩行者天国の道路に軽トラで突入し、通行人を轢き殺した挙げ句に、タガーナイフで人々を次々と殺傷したという犯行の態様は、この事件名からは想像しにくい。だから、「秋葉原歩行者天国無差別殺傷事件」の方がよいと思う。「歩行者天国の殺人」というイメージが事件の悲惨さを際立たせるからである。

●座間9遺体事件(2017年)
本来は「座間連続殺人事件」である。しかし、殺害された人々の遺体が犯人のアパートの一室に1体ではなく、9体(8体は女性)もあったという意味では、この事件名が正しいように思う。しかし、「遺体を保管していた」という点に注目するなら「座間9遺体保管殺人事件」とすべきか。あるいは、犯人はツイッターを通して「自殺志願者」に接触して犯行に及んだという意味では、「座間ツイッター殺人事件」でもよいかもしれない。

今回のわたしの考察は、週刊誌が事件をセンセーショナルに報道する際の態度と同じだろうか?   そうかもしれない。しかし、事件の本質は、それを固有の事件として名づける我々の側の「事件の見方」に集約されると思う。その命名作業は、事件を正確に捉えるための第一歩だと考える。「命名」とは物事に命を与えるということなのだから。

※キープアウト。(「バリケードテープ」より)
2018-04-26 08:05:00

雨を降らせる

テーマ:エトセトラ
昨日の午前中、東京では久しぶりに雨らしい雨が降った。「雨らしい雨」というのも変な言い方だが、雨にもいろんな雨があり、ちょっとしか降らない雨もあれば、その反対に「豪雨」という雨もあるから、その降雨状態は多様である。しかし、昨日の雨はハッキリと「雨だ!」と言いたい降り方だったように思う。間断なく降りしきる雨粒が道路をパチャパチャと叩く様を見て、「こういう雨を人工的に作り出すことは難しいんだろうなあ」という思いを抱いた。

映画やテレビ・ドラマの撮影において、雨の中で俳優が演技する場面を撮る場合、放水車が用意され、そこから放たれる水を使って雨が降っているように見せるのが通例だと思う。わたしはそういう撮影現場に立ち合った経験がないから詳しいことはわからないが、よほど工夫をしないと「本物の雨」のように雨を降らせるのは難しいように思う。と言うのも、本来の雨は、放水車のホースの口から放たれているわけではなく、一粒一粒がバラバラに降っているからである。だから、雨粒が道路に当たった時の"弾け方"が微妙に違うのだ。

雨が印象的に使われている映画と言ってわたしが思い出すのは、「七人の侍」や「雨に唄えば」や「シェルブールの雨傘」や「セブン」や「ショーシャンクの空に」などだが、近年、わたしが映画の中で雨の降り方に感心したのは、「ミュージアム」(2016年)という日本製のスリラー映画である。本作は全編を通して雨が降っていたように記憶するが、その雨が非常にリアルに降っているように感じたのだ。もちろん、実際に雨の日を狙って撮影が行われた可能性はあるが、もしもあれが人工の雨であるなら、相当に工夫された雨の降り方であった。

考えてみれば、映画の中で雨や雪などの自然現象を扱う場合、作り手はそのリアリティーに関して相当に苦労するにちがいない。それは人工の雨や人工の雪を降らすという行為が、自然に決定的に反する行為であるからである。大袈裟に言うなら、それは一種の「神への反逆」である。「神への反逆」行為は、常に値段が相当高くつくにちがいない。

※「ショーシャンクの空に」(「girls real hack」より)
2018-04-25 07:43:00

夢と飛行機

テーマ:エトセトラ
自転車、バイク、自動車、列車、船舶、飛行機――わたしたちは様々な乗り物を発明し、空間移動の際にそれらの乗り物を使い、その恩恵に預かっているが、これら数ある乗り物の中で、事故になった時に一番怖いものは何かを考えた。それはやはり飛行機事故ではないか。

もちろん、どんな乗り物でも事故になればみなそれぞれに怖いにはちがいないが、飛行機が怖いのは、墜落までに時間的な余裕があるからである。一瞬で終わらない。だから、飛行機が何らかのトラブルに見舞われ、墜落を余儀なくされた場合、乗客は墜落までの恐怖をたっぷりと味わうことになる。わたしが「日航機123便墜落事故」や「アメリカ同時多発テロ事件」などに想像力を刺激されるのも、これらの事故や事件に巻き込まれた乗客たちの大きな恐怖感のせいである。彼らは墜落する飛行機の中で何を思ったのか?

思えば、様々な乗り物というのは、「もっと早く!」という人間の夢を実現させたすばらしい発明ではあるが、同時に大きなリスクを伴っているのも確かだ。上記の乗り物の中で最速の乗り物は飛行機だと思うが、最速で目的地へ人間を運ぶことができるという飛行機の利点は、トラブルになった時、そのままリスクの大きさに反転する。そもそも「空中を高速で飛行する」という不自然極まりない移動方法が、リスクの大きさを内包しているのだ。だから、墜落といった事態を迎えれば、飛行機の乗客や乗員は、ほとんど「全員死亡」という最悪の結果を招くことが多いのもうなずける。

翻って、飛行機をめぐるこの物理的事実は、そのまま人間にとっての夢と現実の在り方にも通じている。人間が抱く途方もない夢(理想)は、大きければ大きいほど夢敗れた時の衝撃は大きなものになる。高く飛ぶものは、低く飛ぶものより墜落した時の衝撃が大きいのである。だから、夢想(理想)家の自殺と飛行機の墜落はちょっと似ている。大きな夢を抱くことも飛行機同様に墜落時の恐怖感は限りなく大きいにちがいない。

※飛行機。(「ANA」より)
2018-04-24 07:42:00

教科書通り

テーマ:事件・事故
和歌山県の白浜町の海岸で、水難事故を装い妻(28)を溺死させた容疑で夫(29)が逮捕されたという記事をネットで読んだ。事件が起きたのは昨年の7月ということだから、捜査当局は9ヶ月もの間、地道に証拠を集め、逮捕に踏み切ったということか。逮捕の根拠となった最大の物証は、亡くなった妻の胃から検出された"大量の砂"だという。記事を読む限りこの事件の背景には実にわかりやすい状況証拠がある。

●夫は妻と離婚協議中だった。
●その原因は夫が不倫していることだった。
●夫の不倫相手は妊娠していた。
●夫が不倫相手に告げた妻と別れる期日は事件前後だった。
●夫は妻に多額の保険金をかけていた。
●事件当時、妻が溺死した現場には夫しかいなかった。
●夫は事件前に「溺死」「事故死」などというワードをスマホで検索していた。
●妻はスキューバダイビングの免許を持っていて、泳ぎが得意だった。

限りなく怪しい背景だが、これらはすべて状況証拠であり、夫の犯行を決定づける決め手にはならない。上記のように物証は妻の胃の中から検出された"大量の砂"だけである。夫は黙秘を続けているらしいが、和歌山県警の捜査本部は、"大量の砂"と限りなく怪しい状況証拠を根拠に被疑者の逮捕に踏み切り、自白を取ることに賭けたということだろうか。

ところで、わたしは前のブログに「人間にとって〈物語〉が必要なのは、〈物語〉は人生という旅をする上での地図のようなものだからである」というようなことを書いたが、妻を殺害したとされる被疑者の夫は、ジェームズ・ケインの書いた小説「殺人保険」を読んでいたのだろうか。あるいはその映画化作品「深夜の告白」を見ていたのだろうか。仮に読んだり見ていたりしたとすると、彼にとってそれらはある種の「殺人の教科書」だったにちがいない。彼にとってそれらは犯行を遂行する上での最良の地図=案内書であったかもしれないからである。

そのように考えると、〈物語〉は人間を善の道にも導くが、悪の道へも導く。そこに〈物語〉の両義性があると言えるが、皮肉にも「殺人保険」や「深夜の告白」の結末は、主人公の完全犯罪が破綻することで幕を閉じる。もしも逮捕された夫が犯人ならば、まさに"教科書通り"の結末である。

※和歌山県白浜町の海岸。(「JONNY」より)
2018-04-23 08:06:00

恋人失踪の謎~「ザ・バニシング ―消失―」

テーマ:映画
ビデオで「ザ・バニシング ―消失―」(1988年)を見る。オランダ映画。後にアメリカでキーファー・サザーランド主演で「失踪」(1993年)としてリメイクされたサスペンス・スリラー映画。

オランダ人のカップルであるレックスとサスキアは、フランスへ気ままな自動車旅行をする。その途中、とあるドライブインでサスキアが神隠しにでもあったように失踪する。レックスは、サスキアを探すがその行方は杳(よう)として知れない。三年後、新しい恋人もできたが、未だにの探索をあきらめていないレックスの前に「彼女を誘拐したのはわたしだ」という誘拐犯が現れる。

「失踪」はすでに見たことがある映画だったが、オリジナルである本作は初見である。派手なことは一切何も起こらないが、ジワジワと恐怖感が募ってくるようなスリラーである。とりわけ感心したのは、犯人が追跡者であるレックスの前に現れ、「彼女がどうなったか知りたいか?」と迫り、被害者であるレックスを思いのままに操っていくという展開である。レックスにとってどんな大金よりも魅力的なのは、「サスキア失踪の真相」であるという真実の提示。レックスが真相を知りたいがために犯人への服従を受け入れるところがドラマチックである。本作は江戸川乱歩が定義した「奇妙な味」の小説の雰囲気を持っている。

「ある人物が失踪する。警察が捜索しても、行方は杳として知れない。動機も不明。形跡もつかめず、まるで空中に忽然と消失してしまったかのよう。こういう発端で始まるミステリは、わたしの何より好むところである。どうかすると、タイトルに『失踪』とか『行方不明』といった文字が入っているというだけで、胸がときめいてその本を買ってしまうことがある」(「夜明けの睡魔」瀬戸川猛資/創元ライブラリ文庫)

わたしも瀬戸川さんと同じ血が流れているのか、こういう"失踪もの"には、ひどく想像力を刺激される。「バルカン超特急」「バニーレークは行方不明」「フランティック」「フライトプラン」「消えた花嫁」「蛇のひと」「ゴーンガール」と次から次へと"失踪"を題材にした映画が想起される。リメイク版では主人公の新しい恋人が活躍し、結末がハッピーエンドであるが、本作はバッドエンドである。後味は悪いが、こちらはこちらで面白い。

※同作。(「Amazon.co.jp」より)
2018-04-22 08:57:00

検察側・弁護側

テーマ:社会
「東京地裁で行われた論告・求刑で、検察側は被告人に無期懲役を求刑した。弁護側は心神喪失を理由に無罪を主張していた」

何らかの事件の裁判が行われ、その過程が報道される際にジャーナリズムは、このように「検察側」「弁護側」という言葉を使って双方の主張を紹介する。わたしたちは当たり前のようにこういう記事を読んではいるが、わたしはこういう書き方にちょっとした違和感を持つ。なぜ以下のように書かないのか、と。

「東京地裁で行われた論告・求刑の裁判で、片桐俊一郎検事(56)は被告人に無期懲役を求刑した。弁護人の杉山智子弁護士(28)は心神喪失を理由に無罪を主張していた」

つまり、なぜ検察官と弁護人の氏名や年齢や性別を表記しないのか、と。公益を代表しているのが検察官であり、被告人の権利や情状を訴えるのが弁護人であるから、双方を「検察側」「弁護側」という大きな括りで一般化しているということだとは思うが、検察官と言ってもいろんな検察官がいるわけだし、弁護人と言ってもいろんな弁護人がいるはずである。そもそも「検察側」「弁護側」という書き方だと法廷で攻防戦を繰り広げる両者の顔がのっぺらぼうでまったくイメージできない。しかし、それを上記のように書けば、無期懲役を求刑したのはベテランの男性検事であり、被告人を守ろうとしているのが若い女性弁護士だということがイメージできる。

検察官は検察庁という組織に属す一員でありながら、同時に一人一人が独立した官庁であるという。検察官個人が独立した「官庁」なのである。であるなら、余計に検察官の氏名や年齢や性別を表記しておかしくないのではないか。それは検察庁を代表した主張ではなく、彼(彼女)自身の主張と言ってもいいのだから。また、弁護士と呼ばれる人たちは、基本的に個人事業主であるわけだから、弁護人の主張も弁護士会全般を代表しているわけではなく、彼(彼女)の主張と言ってもいい。つまり、「検察側」「弁護側」という匿名ではなく、彼らを一つの名前を持った固有の人物として紹介してほしいとわたしは思う。(裁判官の氏名は報道の際に明かされる場合が多い)それは重大な事件の記事を書くジャーナリストが、匿名ではなく文末に自らの名前を表記する原理と同じであると思うのだが。

※ドラマ「HERO」の九利生公平検事。(「himazines」より)
2018-04-21 07:55:00

講師の仕事

テーマ:エトセトラ
大学や専門学校で劇作と演技の講師をするようになって久しい。教師と呼ばれる人は一般的な学問を生徒に教える人を指すが、講師とは専門的な知識や技術をそれを学びたいと希望する人たちに伝える仕事をする人のことであると解釈している。こういう場所ではわたしは「劇作家」や「演出家」ではなく「先生」と呼ばれる立場にある。かつてはそんな風に呼ばれていい気になっていた頃もあるが、ある時からわたしは講師という仕事はサービス業だと思うようになった。

食品製造業、飲食業、運送業、旅行会社、広告代理店――何でもいいが、これらのサービス業の人たちが目指しているのは、顧客の満足感ということであろう。顧客(=お金を払う人)がその会社の製品や商品の品質、サービスに満足するかどうか、喜ぶかどうか――それが最も重要であることは言うまでもない。学校教育は一見サービス業とは一線を画しているような印象があるが、つまるところ、学校教育も、基本的にこの原理から自由ではない。つまり、我々講師たちは、顧客(学生)をまず満足させ喜ばせなければならない。

わたしは、そのように考えて、とにかくまず学生を満足させる楽しい授業・レッスンを心がける。「面白い授業だった!」と学生に言わせたいからである。金を払っているのは学生なのだ。サービスして当然ではないか。しかし、急いでつけ加えるが、わたしは学生に媚びを売るような態度は絶対にしない。あくまで優位性を保ち「結局、お前らは何もわかっていない素人なんだ!」という専門家としての威厳を常に持って授業・レッスンに臨む。つまり、楽しませるが、決してナメられないようにする。

思うに、講師の仕事とは、このようなサービス精神と威厳という二つの矛盾する要素をバランスよく保ちながら進行させるものだと思う。講師が行う授業・レッスンがサービスへ傾き過ぎれば学生に侮られるにちがいないし、威厳に傾き過ぎれば学生は授業をつまらないと感じるにちがいない。長い講師経験から辿り着いたわたしの「よい講師」とは、そのような絶妙なバランスを持って授業・レッスンを行える者のことである。それが資本主義社会における正しい講師の在り方だと思う。翻って、そういう授業・レッスンに対する態度は、わたしの芝居作りの原則に見合っている。いや、わたしの対人関係の原則と言ってもいいか。

※大学の教室にて。
2018-04-20 07:29:00

未解決事件の誘惑

テーマ:事件・事故
ちょっと前のことだが、2004年に起きた「広島県廿日市市女子高生殺人事件」の犯人が逮捕された。この事件は、自宅で仮眠を取っていた女子高生(17)の部屋へ外部から犯人が侵入し、被害者をナイフで刺殺して逃走したというものである。逮捕の決め手となったのはDNAで、別件で逮捕された犯人のDNAが鑑定の結果、件の犯行現場の遺留物と一致したという。14年ぶりに事件は解決したというわけだ。

近年、もう一つ未解決事件が解決した事例がある。2009年に起きた「島根県女子大生バラバラ殺人事件」である。この事件はバイト帰りの女子大生(19)が、山中でバラバラに解体されて遺棄された事件である。2016年の年末に犯人が発覚。犯人特定の証拠となったのは、犯人所有のデジタル・カメラのデータに残っていた被害者の解体写真だという。犯人は事件後に交通事故で死亡していて不起訴処分。こちらは7年ぶりに事件が解明されたわけだ。

「『未解決』という言葉を聞いて、密かに胸をときめかすのは私だけであろうか。テレビで、三億円事件やグリコ・森永事件を回顧する特別番組が放送されると、『どうせ新事実なんかないだろう』などとブツブツ言いながらもチャンネルを合わせ、単純な再現ドラマでさえつい見入ってしまう。また、雑誌で《戦後の七大未解決事件》といったタイトルの特集記事を目にした日には、金欠であることをすっかり忘れ、さっさと手に取ってレジに並んでいる。我ながら、情けないほどワクワクするのだ」(「未解決 」一橋文哉著/新潮文庫)

わたしはノンフィクション・ライターではないが、一橋さんのこの言葉には深く共感する。人間の心は、常に解決をよしとする。なぜなら人間は常に何かに区切りをつけて生きていくからである。殺人事件の犯人が逮捕されないということは、プロポーズしたのに相手の女性からの回答を得られない男性のようなもので、気持ちが悪いことこの上ない。当事者でないわたしですらそうなのだから、ご遺族の無念は察して余りある。気持ちの整理ができないからだ。そして、我々の解決をよしとして未解決をよしとしない心の傾向は、必ずしも殺人事件だけではない。たとえ、それが紛失したシャツのボタン一つの行方だったとしても。

※「未解決」の本。(「新潮社」より)
2018-04-19 08:16:00

闘争をめぐる寓話~「あゝ、荒野」

テーマ:映画
DVDで「あゝ、荒野」(2017年)を見る。寺山修司が書いた唯一の長編小説を原作に、舞台を近未来の新宿に移して描かれる青春映画。前編157分、後編147分の大作で、昨年の話題作である。

2021年、少年院上がりで喧嘩早い新次と吃音症に悩む韓国人ハーフの健二は、海洋(オーシャン)拳闘ジムに身を置き、ともにボクサーとしてリングに上がるべくトレーニングに励む日々を送る。デビュー戦を勝利で飾った新次は、次第に頭角を現すが、新次の次なる対戦者は、他のジムに移籍した健二だった。

合計5時間を超える上映時間の本作の内容を短くまとめると以上のようなものだが、こんな主筋に震災によって母と別れ別れになった若い女と新次の恋、二人を励ますジムの人々の夢、自殺願望を持つ健二の父親と「自殺防止活動」をする大学生のグループとの交流など複数の副筋が絡む。新次を演じる菅田将琿は本作の演技で日本アカデミー賞主演男優賞を取ったが、画面にその若い熱量が迸っている。対するもう一人の主人公の健二を演じるのはヤン・イクチュン。「息もできない」(2009年)で強い印象を残した韓国の俳優。あの映画とは打って変わって弱気で伏し目がちなただずまいの青年を演じて、ハッキリと新次とのコントラストを形作っている。登場人物のすべてが心に大きな傷を持っていて、そんな傷ついた人々の思いが、「新次と健二のボクシング対決」というクライマックスに収斂していく。 

しかし、本作が普通の「スポ根もの」とちょっと味わいが違うのは、二人の男の闘争を対戦相手への憎しみではなく、倒錯的な愛情をベースに描く点だろう。そして、作り手は主人公に最も過酷な結末を用意する。物語の背景には時の政府による「海外奉仕活動法案」に反対する人々のデモンストレーションが描かれ、クライマックスのボクシングの試合の合間にもそのデモ隊の行進場面が挿入される。そういう作品世界の視野の広さが「ボクシングを題材にしたスポ根映画」という枠を超えて、「人間の闘争をめぐる寓話」というイメージを滲み出しているように感じる。たくさん挿入される男女のセックス描写も、そういうイメージに通じていると思う。なぜなら、セックスもボクシングも人間が行う闘争であることに変わりはないのだから。

※同作。(「DMM.com」より)
2018-04-18 08:00:00

キャスティング・ディレクター

テーマ:演劇
劇団で活動している時にはキャスティング(配役)に悩むことは少なかったように思う。劇団はだいたいメンバーが固定しているし、そもそも役が"当て書き"によって書かれるから、キャスティングは最初から決まっている場合が多い。しかし、プロデュース公演となると話はまったく違う。プロデュース公演は、不特定多数の俳優の中からその役に最も適した人間を配役をするからである。つまり、プロデュース公演の場合は、キャスティングの方向性が劇団公演とはまったく反対向きに行われる。

先月上演した「私に会いに来て」のキャスティングも難航した。本作は映画「殺人の追憶」の原作に当たる舞台劇で、警察署の捜査本部を舞台に連続殺人事件の犯人に翻弄される刑事たちが描かれる。容疑がかかった三人の被疑者を一人三役で演じるというのがこの芝居の最大の趣向で、被疑者役を演じる俳優は三人の被疑者を演じ分けなければならない。この役のキャスティングが難しかった。この役に求められているのは以下のような条件だった。

●男優であること。
●三人を演じ分ける演技力があること。
●年齢は二十代から三十代であること。
●集客が見込めること。

口で言うのは簡単だが、これらの条件を満たす俳優をたくさんの数の俳優の中から選ぶのは相当に難しい。プロデューサーとわたしは何人もの俳優を候補に挙げ、打診を繰り返し、場合によっては本人に会いに行き、役を決めようとした。しかし、なかなか決まらない。ある条件は満たすが別の条件を満たさないからである。そんな時に、キャスティングに協力してくれたTさんが一人の俳優を紹介してくれた。それが犯人役を演じた大迫一平さんである。

アメリカにはキャスティング・ディレクターという職種があると聞く。さもありなん。アメリカ映画のような巨大なマーケットを誇る現場では、そのような仕事が職業として成り立つ経済的な下地があるにちがいない。しかし、日本の小劇場演劇の世界では、とてもそんな仕事は成り立たないと思う。マーケットが狭いから、キャスティング・ディレクターにお金を払う余裕がないからである。しかし、プロデュース公演を行う際に、その演目における適役をたくさんいる俳優の中から選び、正確に配役できる人間はつくづく必要であると思う。

※俳優たち。(「日本タレント名鑑」などより)
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