★新刊情報★

高橋いさを最新戯曲集

①『海を渡って~女優・貞奴』(論創社)

表題作に加えて朗読劇「父さんの映画」「和紙の家」(村松みさきとの共作)「母の法廷」の四編を収録。定価¥2000

2015年5月、全国書店にて発売中!

②『交換王子』(論創社)

マーク・トウェイン作「王子と乞食」を翻案した表題作に加えて、駆け落ちカップルの逃避行の顛末を私立探偵が回想するコメディ『旅の途中』を収録。定価¥2000

2015年9月、全国書店にて発売中!

③「I―note②~高橋いさをの演出ノート」(論創社)

1991年から2012年まで、著者か演出した舞台の稽古の際に俳優、スタッフに配られた演出ノートを公開する。定価¥2000(予定)

しばらくお待ちください。
































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2016-07-30 08:02:03

問題監督

テーマ:映画
今日は映画に関するマニアックな話である。話題にするのは、エリッヒ・フォン・シュトロハイムである。わたしがこの映画監督・俳優の存在を知ったのは、ビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」(1950年)である。シュトロハイムは、その映画で落ちぶれた往年の映画女優(グロリア・スワンソン)の執事の役を演じていた。精悍な顔立ちだが、どこか得体の知れない不気味な執事で、強烈な印象が残った。(当時65才)そして、この俳優がかつては映画監督として有名な人だったらしいことを後に知った。サイレント時代に活躍したシュトロハイムとは以下のような人である。

「エリッヒ・フォン・シュトロハイム(1885年9月22日 ―1957年5月12日)は、オーストリアで生まれハリウッドで活躍した映画監督・俳優。映画史上特筆すべき異才であり、怪物的な芸術家であった。徹底したリアリズムで知られ、完全主義者・浪費家・暴君などと呼ばれた」(Wikipediaより)

「徹底しすぎる完全主義により、ほとんどの作品で予算超過・長尺となり、それが原因で会社やスタッフ、俳優とも何度も衝突している。結局シュトロハイムは、43歳にして映画づくりの道を断たれ、呪われた監督となった」と引用資料にある。つまり、シュトロハイムはいわゆる「問題監督」だったわけだ。また、シュトロハイムがビリー・ワイルダー監督と初めて会った時、ワイルダーがシュトロハイムのことを「偉大な映画監督」と賞揚したら、自ら「最も偉大な映画監督、だ」と訂正を求めたというエピソードがあることを知った。この発言からも相当に驕慢な性格の人であったろうことが伺える。

たぶんシュトロハイムは典型的な天才型の映画監督だったのだと思う。天才ではあったが、現実とまったく折り合いがつけられない芸術家肌の天才。その破天荒さは現在の映画作りの尺度から見ると、ほとんど狂気の沙汰であったにちがいない。なかなか見る気にならずに先送りしているが、この問題監督が作った「愚かなる妻」と「グリード」をいつか見たいと思う。


※エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督。(「ALL posters」より)
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2016-07-29 07:27:43

誇大妄想

テーマ:事件・事故
相模原の障害者施設殺傷事件の被疑者U(26)が、事件の前に衆議院議長の公邸に持参したという手紙を読んだ。わたしは精神分析医ではないが、この文章が本気で書かれたものだとしたら、明らかにUは「誇大妄想」と呼んでいいのではないかという感想を持った。「障害者は不幸を作ることしかできません」という部分はUのまったくの独断に他ならず「そんなこと第三者のお前に決められないじゃないか!」と思う。つまり、現段階では、Uはまったくの独断と歪んだ思い違いによって本件犯行に及んだとしか思えない。その身勝手さは殺傷した人々の人数に表れている。

事件の全貌はまだ闇の中にあるが、本件に関して裁判所はどんな判決を下すのだろうか。「二人殺害で死刑」の量刑相場に鑑みると、19名殺害は文句なく死刑に相当する事案である。しかし、Uの手紙や言動、大麻使用の過去、そして精神鑑定の結果などを根拠に弁護側は当然「犯行当時、被告人は心身耗弱状態にあり、責任能力はなかった」と主張するにちがいない。そして、もしも裁判所がその意見を採用したとしたら、量刑は死刑ではなく無期懲役に止(とど)まる。そんな判決が出たら世論は黙っていないと思うが、どうか。

「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)の老トレーナー(クリント・イーストウッド)は、脊椎を負傷して全身麻痺に陥り再起不能の女性ボクサー(ヒラリー・スワンク)を薬物注射によって安楽死させた。自殺幇助罪、あるいは殺人罪である。しかし、女性ボクサーは暗に自ら死を望んでいたのに対して、障害者の人々はまったくそうではなかったはずだ。老トレーナーの行動には同情できる点が大いにあるが、Uのそれは比べようがないくらい自分勝手で短絡的である。最後に謹んで亡くなった方々のご冥福をお祈りする。


※事件のあった障害者施設。(「Y!ニュース」より)
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2016-07-28 09:38:58

音二郎の山っけ

テーマ:エトセトラ
「山っけ」「娑婆(しゃば)っけ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。家が商売をしているならいざ知らず、平凡なサラリーマンの家庭に生まれたわたしには縁遠い言葉で、わたしの日常にはこの言葉はなかった。何となくニュアンスしか理解していなかった言葉。気になったので調べてみた。

「山っけ」は、「冒険、投機を好む心」であり、「娑婆っけ」は、「世俗的な名誉や利益を求める心」と国語辞典にはある。なぜ「冒険、投機を好む心」をそのように言うかというと、「山師」から来ているとのこと。「山師」も今はほとんど使われない言葉だと思うが、本来は山中で鉱脈を探す地質調査業者を指していたが、鉱脈探しは当たりはずれが大きいので、転じて「博打打ち」「嘘つき」「詐欺師」などの意味で使われるようになったらしい。一方、「娑婆っけ」は字からもわかるように娑婆=すなわち、人の世という意味であり、「―を起こす」「―が抜けない」という使い方をする。

ところで、明治時代の演劇人・川上音二郎のことを、わたしは「とても他人とは思えない」と書いたことがある。外国の芝居を貪欲に日本に置き換えて作り直したその仕事ぶりに強く共感するからである。その姿を「海を渡って~女優・貞奴」(論創社)という貞奴を主人公にした芝居で描いたことがある。しかし、よくよく考えると、わたしは川上音二郎とは相当に違う人種であるかもしれないと思い直す。上記の文脈で言うと、川上音二郎は相当に「山っけ」や「娑婆っけ」が強い人だったのではないだろうか。海外公演に非常に積極的だったことや何度も劇場を建設したことからもその片鱗は伺える。こう言うと失礼かもしれないが、川上音二郎という人はかなり「いかがわしい人」だったのではないだろうか。違う言葉で言えば、一途な芸術家と言うよりハッタリの巧みな興行師と言った方がいいような。わたしに欠けているのは、きっと音二郎が持っていた「山っけ」や「娑婆っけ」にちがいないと思う。けなしているのではない。見習いたいと思っている。


※川上音二郎。(「Wikipedia」より)
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2016-07-27 07:30:19

口論の果て

テーマ:事件・事故
ネットに掲載された二つの記事がわたしの目を引いた。一つは、中国・北京にあるサファリパークで車内で夫と口論になった妻が車を降り、トラに襲われ、それを助けようとした女性が別のトラに襲われ死亡した事故(7月23日)。もう一つは、滋賀県の新名神高速道路上り線で、交際相手の男性と口論になり、車外に出た20代の女性が進行してきた大型トラック四台に次々と轢かれ死亡した事故(7月9日)。

二つとも世にも恐ろしい事故だが、両者に共通するのは、言うまでもなく「口論」の末の事故だということである。すなわち、その時、北京のサファリパークの女性も、滋賀県の高速道路の女性も感情に支配された状態だったと言える。感情に支配され平常心を失った人間は、まったく周りが見えなくなるということだ。ゆえに彼女たちは自分の身に迫る危険を察知できなかったにちがいない。(サファリパークで亡くなった女性は夫と喧嘩した妻ではなく、助けようとした別の女性ということだが)

わたしは二つの事故の起きた場面を鮮明に想像できる。さもありなんと感じる。そのリアリティは、事故にあった彼女たちの心が平静な状態ではなく、彼氏や夫と喧嘩して感情的になっていたという事実から想像できる。トラに襲われた女性は怒りに任せて「表へ出ろ!」という気分で車外に出たのだろうし、トラックに轢かれた女性は喧嘩して「もういい、 勝手にして!」という気分で車外へ出たのであろう。そういう状態なら、危険を察知できなくても当然だと思う。そのように考えると、まったく感情というものは、時に人を死に至らしめる恐ろしい代物であると思わずにはいられない。

そういう前例を踏まえ、サファリパークや高速道路を車で移動する際、車内で口論することの危険に注意を促したとしても、こればかりはなかなか注意しきれないように思うが、どうか。言うまでもなく、口論は常に突発的に始まるものだからである。


※口論する男女。(「えじたのブログハウス」より)
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2016-07-26 08:59:59

色気とは何か

テーマ:エトセトラ
色気とは何かを説明するのは難しい。ある人にはあって、ない人には全然ないものであることはわかるが、いざ、その正体を言葉にしようとするとなかなか簡単に言葉にできない。「人を惹き付ける性的な魅力」と、とりあえず国語辞典風に定義することはできるが、「人を惹き付ける性的な魅力」とは何だと考えると、訳がわからなくなる。

「色気というものがどういうものなのかよくわからないんですが、恐らく型と生ま身の緊張関係が醸し出す何かだという風に思われますね。型があるから生ま身が見えてくる。型を持たない人に色気はありえません」(伊丹十三著「大病人日記」/文藝春秋社より)

この一節に出会ったのはずいぶん前だが、わたしはこの定義に感心した。伊丹さんの言葉を借りれば、色気とは「型と生ま身の緊張関係が醸し出す何か」であるわけだ。型とは、例えば、日本舞踊である。確かに日本舞踊のすぐれた踊り手は色っぽい。例えば、洋式舞踊である。確かに西洋舞踊の踊り手は色っぽい。例えば、時代殺陣(たて)である。時代殺陣のすぐれた剣の使い手は確かに色っぽい。なぜ彼らが色っぽいかと言うと、美しく自分の身体を動かせる技術=型を持っているからである。そして、型を持っている人間だけが、型を崩すことができる。限りなく美を体現しようとする身体と限りなく即物的な生ま身の身体がギリギリとせめぎ合うその様が「色気」と呼ばれるものの正体ではないか?

以上のような理由から、わたしは俳優を志す若者たちに「とにかく型を身に付けよ!」と力説する。俳優こそ最も豊かな色気の体現者でなければならないと考えるからである。その証左はアメリカのミュージカル映画「雨に唄えば」(1952年)で披露されるジーン・ケリーの踊りの中にあると思う。


※和服のお辞儀。(「素材Good」より)
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2016-07-25 08:01:46

悪魔の申し子

テーマ:事件・事故
先日、ここで取り上げた映画「日本猟奇犯罪史」(1976年)で描かれた西口彰事件とは以下のような事件である。

「前科4犯の西口彰(1925年12月14日、キリスト教カトリックの家庭に生まれる)が1963年10月に2人を殺害し、その後、1964年1月3日に逮捕されるまで逃亡を続け、大学教授や弁護士などを騙って計5人を殺害し、計80万円を詐取した。(中略) 西口は殺人5件、詐欺10件、窃盗2件で起訴された。裁判では検察の論告で「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」、地裁の判決文では「悪魔の申し子」と形容された。1970年12月11日、福岡拘置所で死刑執行。享年44」(Wikipediaより)

この事件について調べていたら、あるブログに以下のような文章があった。

「同じ犯罪でも、詐欺と強盗殺人は相容れないのが普通だ。犯罪類型でもそう云われていて、犯罪学でも、そう分類する。現実的にも詐欺犯と強殺犯はお互いに馬鹿にし合う。詐欺犯は強殺犯を単細胞といい、強殺犯は詐欺犯を回りくどい事をする奴としか見ない。この事件の犯人・西口彰はその枠にはまらなかった日本犯罪史上、稀有な犯罪者である」(楽天ブログ「現代社会の病理を衝く」より)

なるほどと思う。いわゆる「上申書殺人事件」を描くノンフィクション「凶悪 ある死刑囚の告発」(新潮文庫)で描かれる二人の凶悪犯をわたしは「犯罪版の『最強のふたり』」と評した。頭脳と腕力をそれぞれ別の悪党(映画ではリリー・フランキーとピエール瀧がそれぞれ演じた)が分担したからあの事件は成り立ったのだ、と。それに対して、西口彰はたった一人でそれをやっているわけだ。つまり、西口彰は強行犯を担当する警察の「捜査一課」と知能犯を担当する「捜査二課」の刑事たちが両方とも追跡する犯人だったということだ。そういう意味では、地裁の判事が書いた「悪魔の申し子」という判決文もあながち大袈裟ではないのかもしれない。そんな男が「キリスト教カトリックの家庭」に生まれたという点も皮肉が利いていて興味深い事実である。


※西口彰。(「事件史探求」より)
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2016-07-24 08:03:59

下北沢の「わたしとアイツの奇妙な旅」

テーマ:演劇
下北沢レンタルスペース スターダスト(下北沢駅南口徒歩1分)で「わたしとアイツの奇妙な旅」を見る。Witの公演として2011年に上演した拙作を若い役者さんたちが装い新たに上演してくれた。一人の男の性の遍歴を彼の「男性器」との会話を通して(徹底的に男目線で)描くというこの奇想のセックス・コメディを若い人たちがいかに料理しているのか楽しみにしていた。照明機材も乏しい環境での公演だったが、その制約を制約と感じさせない演出の工夫と三人の出演者の熱演を作者として楽しんだ。

「人間関係の起点は親子関係であるが、親子関係で形成された人間関係の障害がのちになって最も典型的に露呈するのは、男女関係、恋愛関係においてである。恋愛関係はしばしば親子関係の反復である」(岸田秀著「唯幻論物語」文春新書より)

論創社から出版した本作の戯曲集の巻頭言として掲げた文章である。つまり、その人間の恋愛におけるトラブルを引き起こす根本的な原因は、過去におけるその人間の親子関係にあると岸田さんは言っていると解釈した。確かにわたし自身の過去の経験を省みても、思い当たるふしがある。こう言うとちょっと恥ずかしいが、わたしは母親に溺愛されて育った一人息子である。当初、この芝居でそんな母とわたしの関係を描くつもりはまったくなかったが、筆がいつの間にかそちらの方に滑り、結果としては岸田さんの説を裏付けるような内容になったように思う。どちらにせよ、男性が後に形作る「自分のタイプの女」の原型は、だいたいにおいて自分の母親であるのではないか?

誰にも言っていないはずだが、本作はアルベルト・モラヴィアの小説「わたしとあいつ」(講談社)にインスパイアされて書いたものである。この小説にも主人公(映画監督)の男性器が登場する。ところで、内容はまったく知らないのだが、「ヴァギナ・モノローグ」というタイトルの女性器を主人公とした芝居があるそうで、本作の作者としてはどんな芝居なのか興味津々である。本日まで(14:00/19:00)公演中。


※出演者の桧山征翔(ひやませいと)くんと。
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2016-07-23 08:42:40

三女の気持ち

テーマ:裁判
先日、最高裁が「長崎ストーカー殺人事件」の被告人の上告を棄却し、死刑が確定したという記事を読んだ。この事件は、2011年12月、元交際相手の女性とのトラブルから女性の実家に犯人の男(27)が現れ、女性の母親と祖母を殺害したという凄惨な事件である。男とトラブルになったのは殺害された母親の三女(23)であるという。三女の氏名は公開されていないので、仮にAさんとする。

犯人の男の非道ぶりは怒りを通りこしてあきれるが、被害者であるとは言え、原因を作ったAさんはさぞかし深い後悔に苛まれたにちがいないと想像する。自分が付き合っていた男がどういう理屈か知らないが、自分の家族を殺めるとは・・・。考えただけでも気が狂いそうな理不尽な展開である。これは悔恨の感情からAさん自身が自殺してしまうことさえあり得るケースではないか。

Aさんと犯人はネットを通して知り合ったという。「三鷹女子高生ストーカー殺人事件」も同じパターンだが、ネットで知り合った男女が痴情のもつれから殺人に至る事ケースは少なくない。しかし、本件の犯人の歪んだ怒りの矛先は、Aさんには向かわずAさんの家族へ向いた。Aさんにとっては自分の誤った交際相手の選択が生んだ悲劇である。自分の付き合った男のために大切な家族を失ったAさんの深い後悔と男への怒りはいかばかりか。世が世ならAさんは間違いなく「仇討ち」に走ってしかるべき事態ではないか。揶揄しているのではない。その悔恨と怒りをハッキリと清算し、この悲劇を乗り越えてAさんが明日を生きていくには、本気で自らの手でけりをつける「仇討ち」以外の方法がないと考えるのである。

Aさんのかつての交際相手である犯人は、Aさんの手ではなく国家の手により処刑されることになった。わたしは元々、死刑制度賛成派だが、最高裁の下した判決にまったく異論はない。少なくともわたしは、本件の犯人に死刑以外の刑罰は考えられない。そして、同時にAさんの明日の幸福を祈らずにはいられない。


※死による刑罰。(「123RF」より)
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2016-07-22 07:53:50

誘拐された女~「その女アレックス」

テーマ:
「その女アレックス」(ピエール・ルメートル著/文春文庫)を読む。文庫化された時から気になっていた一冊。海外ミステリ小説を読むのは久しぶりである。

パリの一角で一人の女が誘拐される。美貌の看護師アレックスである。彼女を誘拐した男は何者で、その目的は?   フランス警察のカミーユ警部は個性的な同僚らとともに女の行方を追う。そして、捜査の過程で明らかになる男の目的と女の意外な素性とは・・・。

ミステリ小説なので物語を詳細に語ることはあえて避けるが、犯罪 X 犯罪が生み出す
物語はスリリングで、一気に読ませる面白さであると思う。本作を書店で見かけたのはアメリカ映画「ゴーン・ガール」の公開時だったと記憶するが、偶然とは言え、ともに「とんでもない女」を描いているところが似ている。誘拐事件を追う警部に同じように誘拐され殺害された妻がいるという設定もドラマに奥行きを与えている。けれど、あっと驚くどんでん返しを期待したわたしは、「物語は大逆転を繰り返し、最後に待ち受ける慟哭と驚愕へと突進する」という本の惹句が謳うほどの驚きは感じなかった。

本作は以下のような前評判とともに紹介された。

●「このミステリーがすごい!2015」の海外部門第1位
●「週刊文春ミステリーベスト10」海外部門第1位
●『ハヤカワ ミステリマガジン』「ミステリが読みたい!」海外編第1位

これだけの高い評価のミステリを無視するほどわたしは豪胆ではない。見てわかる通り軒並み「ベスト1」なのだから。わたしが「気になって」いたのは、まさにこういう大絶賛の声に後押しされたからに他ならない。しかし、いざ読んでみると、面白いは面白いが、そんなにワイワイ騒ぐほどの傑作かと思ったりする。必ずしも熱心なミステリ小説の読み手ではないわたしが言うのもナンだが、これが「ベスト1」だということは、他の作品がどのくらいのものなのかが想像できる。当たり前のことだが、傑作にはそう簡単には巡り会えないということか。「アレックス」という原題を「その女アレックス」とした邦題にはちょっとミステリアスな味わいがあり、よい邦訳だと思う。


※同書。(「Amazon.co.jp」より)
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2016-07-21 08:09:27

呪われたブロディ一家

テーマ:映画
毎年、夏になるとDVDで「ジョーズ」(1975年)を見直すのが習慣になっているが、合計4本作られた「ジョーズ」シリーズの他の作品を再見することはない。どれも面白くないからである。そして、シリーズ最後の作品「ジョーズ’87 復讐篇」(1987年)は、ジョセフ・サージェントが監督していたことを思い出した。犯罪サスペンス映画の傑作「サブウェイ・パニック」(1974年)の監督である。

「巨大な人食いザメの恐怖と、それに立ち向うブロディ親子を描いた作品。前作と同じく、たくましく成長して海洋生物学者になったマイケル・ブロディと、夫を失い悲しみにくれるエレン・ブロディが主人公である。マーティン・ブロディはすでに故人となっている。ホオジロザメが仲間が殺されたことへの復讐のためにブロディ一家を執拗に狙う、一家を追ってアミティからバハマまで数日で追撃してくるという強引極まりないストーリーに加え、肝心のサメが作り物としか思えない外見のため、全体としては完成度が低い」(Wikipediaより)

第一作で苦戦の末に見事にサメを退治したロイ・シャイダー扮するブロディ署長はすでに亡く、主人公はブロディの妻エレン(ロレイン・ゲイリー)になり 、彼女がサメと戦うのだ。「二匹目のドジョウ」ならぬ「四匹目のドジョウ」を狙った作品だとは言え、強引極まりない展開である。(本作にはマイケル・ケインがエレンの恋人役で出ている)そもそもサメと戦うのは必ずしもブロディ一家でなくてもよいはずだが、恒例行事のようにブロディ一家は常にサメとの戦いを強いられる。そもそも、普通の家族が何度もサメに襲われるのは、どう考えても不自然ではないか! 「だったら海に行くなよ!」と突っ込みたい展開である。毎回サメに襲われる運命のブロディ一家は、まるで「呪われたケネディ一家」のようである。しかし、本作は別にオカルト映画ではないのだ。

調べたらジョセフ・サージェント監督は2014年に亡くなっていた。まったく知らなかったのでちょっとびっくりしたが、日本ではキチンと報道されなかったのかもしれない。映画の遺作は本作である。


※同作。(「サメの映画レビュー」より)

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