和歌山県の白浜町の海岸で、水難事故を装い妻(28)を溺死させた容疑で夫(29)が逮捕されたという記事をネットで読んだ。事件が起きたのは昨年の7月ということだから、捜査当局は9ヶ月もの間、地道に証拠を集め、逮捕に踏み切ったということか。逮捕の根拠となった最大の物証は、亡くなった妻の胃から検出された"大量の砂"だという。記事を読む限りこの事件の背景には実にわかりやすい状況証拠がある。
●夫は妻と離婚協議中だった。
●その原因は夫が不倫していることだった。
●夫の不倫相手は妊娠していた。
●夫が不倫相手に告げた妻と別れる期日は事件前後だった。
●夫は妻に多額の保険金をかけていた。
●事件当時、妻が溺死した現場には夫しかいなかった。
●夫は事件前に「溺死」「事故死」などというワードをスマホで検索していた。
●妻はスキューバダイビングの免許を持っていて、泳ぎが得意だった。
限りなく怪しい背景だが、これらはすべて状況証拠であり、夫の犯行を決定づける決め手にはならない。上記のように物証は妻の胃の中から検出された"大量の砂"だけである。夫は黙秘を続けているらしいが、和歌山県警の捜査本部は、"大量の砂"と限りなく怪しい状況証拠を根拠に被疑者の逮捕に踏み切り、自白を取ることに賭けたということだろうか。
ところで、わたしは前のブログに「人間にとって〈物語〉が必要なのは、〈物語〉は人生という旅をする上での地図のようなものだからである」というようなことを書いたが、妻を殺害したとされる被疑者の夫は、ジェームズ・ケインの書いた小説「殺人保険」を読んでいたのだろうか。あるいはその映画化作品「深夜の告白」を見ていたのだろうか。仮に読んだり見ていたりしたとすると、彼にとってそれらはある種の「殺人の教科書」だったにちがいない。彼にとってそれらは犯行を遂行する上での最良の地図=案内書であったかもしれないからである。
そのように考えると、〈物語〉は人間を善の道にも導くが、悪の道へも導く。そこに〈物語〉の両義性があると言えるが、皮肉にも「殺人保険」や「深夜の告白」の結末は、主人公の完全犯罪が破綻することで幕を閉じる。もしも逮捕された夫が犯人ならば、まさに"教科書通り"の結末である。