欲望の最前線 | 高橋いさをの徒然草

欲望の最前線

「アメリカの俳優、ジョニー・デップが妻で女優のアンバー・ハードと離婚する声明を発表した。和解金は7億円」というニュースを目にした。芸能界のゴシップには興味がないので、スター俳優が誰と離婚しようがどうでもいいのだが、美しい妻と並ぶ髭面のジョニー・デップの写真を垣間見て、「ああ、この人は欲望の最前線で生きているんだなあ」と感じた。

それがどんな世界であっても、「第一線」と呼ばれる場所に生きる人間は、生臭いことに関しても「第一線」にいるということだと思う。「第一線」=トップ・フロントには、線の後ろにいる人間には決して知ることができない生々しい欲望が渦巻いているにちがいないからである。簡単に言えば、「金と女」である。

その世界で功を遂げ名をなすことは、人間なら誰しも望むことであるように思う。かく言うわたしにもそういう欲望があることを認めないわけにはいかない。しかし、功を遂げ名をなすとは、同時に欲望の最前線に放り込まれるということでもある。右を見ても左を見てもどす黒い欲望が渦巻いている世界。それを引き受けてなお前向きにその世界を生きていける人間のみ、「第一線」に立ち続けることができる。

榎本「ヤバくねえ暮らしがしたいなら、ここ出て牛乳配達のニーチャンにでもなりな。もっともテメーなんか雇ってくれる牛乳屋があっての話だがな」

拙作「VERSUS 死闘編~最後の銃弾」(論創社)のなかで復讐に燃える男が煮え切らない相棒に言う台詞である。大金をめぐって激しく対立する悪党たちの拳銃アクション演劇。その通り。欲望の最前線に立ち続けるのが嫌なら、牛乳配達でも何でもして生きていけばいいのだ。牛乳配達をしても人間は生きていくことはできるのだから。確かにこの芝居に登場する悪党たちは、紛れもなく「欲望の最前線」にいる人間たちである。


*ジョニー・デップ(「gooブログ」より)