五箇条の御誓文
一、広く会議を興し、万機公論に決す「べし」
一、上下心一にして盛に経綸を行う「べし」
一、官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、人心をして倦まざらしめん事を「要す」
一、旧来の陋習を破り天地の公道に基く「べし」
一、知識を世界に求め、大いに皇基を振起す「べし」
検証
「五箇条の御誓文」は、その「誓文」から分かるように天皇が神に誓った文とされていますが、果たしてそうでしょうか、検証します。
助動詞「べし」の義は、広辞苑によると、「個々の主観を超えた理のあることを納得して下す判断であることを示す」です。「べし」は、「個々の主観を超えかつ理のある判断」に使用する語と解することができます。主観を超え=絶対的です。「べし」は「理のある絶対的判断」に用いる語と解することができます。「理のある絶対的判断」は神的判断です。神の詔、神勅です。五箇条の御誓文の内容は「神の詔」、「神勅」と考えられます。
上記の五箇条を天皇が神に誓った言葉だとすると、「べし」は「話し手の動作の語について、意思・決意を表す。必ず・・・・・・しよう。(広辞苑)」の用法となります。この用法で五箇条を読解すると、どうもしっくりしません。とくに第三ヶ条の「要す」の論理に「不自然」を感じます。天皇が神に向かって「人心を倦まざらしめん事を要す」と言ったとすると、天皇が神に命令しているような感じがあります。いかがでしょうか。神が天皇に命令していると考えれば、自然です。
五箇条の御神勅
近代国家日本を創めるに、天照皇大御神様が万世一系の天皇に「五箇条の御神勅」を下すということが、隠されていた真実と思われます。明治天皇は真実の万世一系の帝ではなかったから、神勅の形をとることは出来なかった、それで「天皇の誓い」の形になったというのが歴史の真相と思われます。その誓いは実現されていません。長州と薩摩を中心とした明治新政府の藩閥政治は、広く会議を興し万機公論に決すべしを否定するものです。民主主義とされている現代日本でも、「万機公論に決すべし」はなされていません。長州安倍氏が憲法違反である集団的自衛権の行使を独裁、決定(閣議決定)しました。国会を無視して決定しました。
真実の近代国家日本は、皇祖天照皇大御神様が、その子孫万世一系の天皇に五箇条の御神勅を下し、天皇がそれを謹み拝命して始まるというのが明治維新の真実、維新の完結と思われます。真実の近代国家日本は五箇条の御神勅を国体として開始する神の国ということです。
神国日本は、
天照皇大御神様が建国に際し下した御神勅「豊葦原瑞穂の国はわが子孫(万世一系の子孫)が王たるべき国である」と1131年ぶりに現れた万世一系の天皇に下した「五箇条の御神勅」がその基礎です。
神国日本の要石(かなめいし)
1、天照皇大御神様
2、万世一系の天皇
3、五箇条の御神勅
4、7、77の憲法
神の計画
神が平安時代に万世一系の皇統を隠したのは、近代国家の神国日本を現すためであったと思われます。いかがでしょう。
万世一系の天子
イザヤ書11章平和の王
平安天皇ヨシュア