幸福と不幸の秤
大きすぎるその秤が、あまりにぴたっと釣り合ってらっしゃった。
・・・そんな気がする女性です。
アラン・ドロン様に「捨てられた」女、という一般の認識も大きい。
確かに、行動に移したのはその人かもしれないけれど、
日記を拝読しても、子供の時から聡明なこの方は、
彼と自分の価値観の違いは、結婚したら不幸になると知っていた気がします。
どんな形にせよ、「恋」は何時か終わりを告げたのではないでしょうか。
若き日、一瞬でも、ドロン様が本気で恋をされ、
お付き合いが一生続いた・・・と言うのは幸福の大きな秤の方でしょう。
別離の時の不幸は、その時もこの方を押しつぶす大きさだった。
それでも、根っからのお嬢さま。明るい楽しい人だったと言います。
一時の不調の後、復活された後の作品群の素晴らしさ。
その成功の秤の反対側には、演じるキャラクターを受け入れる重みがあった。
抜けるような明るさの反対側にある、憂い。
その危うい秤の均衡を、ある時、遂に片側に落とし込んでしまったのは、
やはりご子息とのお別れであったと思います。
図らずも、かつて彼女を捨てた男、アラン・ドロン様が仰るように、
「もし彼女が生きていたら」それはもう、考えられない。
限界まで来ていらした女(ひと)が、あの時、人生の幕を落としたことは、
幸福の方の秤だったと思いたいです・・・
+は3枚「ルードヴィッヒ」から、彼女に一生ついて回ったシシー皇后を演じられた姿を。
ヴィスコンティ監督が、ロミー様で、皇后の生涯も映画化したいと話されたとか。
実現していれば、は夢の話。