追 想
「とにかく今大事なのは、愛、情熱、
そして何の束縛も受けない自由なのだ。
こうしたことはマイナス面もあると思うが、
それはあとになって最初の熱が冷めてきた頃、
「私は女優としてはゼロとなってしまっていた。ただ、将来有望なスター、
「私は心の中で思っていた。チャンスさえ与えられれば、
きっといい仕事をしてみせる。それなのに、どうしても誰も
何の話も持って来てくれないのだろうか?
モニカ・ヴィッティ様と3ショット。
当時のロミー様のお気持ち、焦燥感。その先訪れるご不幸の連続。
そんな影ど感じられない幸福そうな恋人たち。
2009年のフランスのネットプレスでの調査で、
「史上最高の女優」に選出されるのがご自分だなどとは、
「ルキノと初めて会ったときのことは生涯忘れられないだろう。
ひどくつらい時期を体験したあとの私に、
彼以上のことをしてくれた人はいなかったと言える」
「私たちは彼が上演するつもりのジョン・フォードの『あわれ彼女は娼婦』
について話し合った。(略)
ヴィスコンティはじっくりと吟味するような目で私を見た。
『ロミー、その芝居でアランの相手役をやってみる気はないかな?
いや、これは実に理想的なキャスティングじゃないか!』」
「あわれ彼女は娼婦」、映画ではシャーロット・ランプリング様が、
ロミー様がされた役をされてます。兄妹が愛し合ってしまう物語。
この舞台の成功から、ロミー様は、ヴィスコンティ監督、
「どの監督ともきわめてうまくやっていくことができた。
誰も私を『ボロボロに』したりはしなかった。その逆に、
彼らこそ今日の私を築いてくれたのである。
つまり、肩書きだけではない、本物の『女優』にしてくれたのだ。」
おお~っ、モンロー様との浮気で、妻のシモーヌ・シニョレ様を、
自殺未遂に追いやったイヴ・モンタン様!
シニョレ様とロミー様、お顔だちが似ていらっしゃる。
男性に泣かされたところも似てる。
モンタン様、シニョレ様の没後、速攻御再婚、
お子様をもうけられたりされてますが、とりあえず、
「夕なぎ」(1972年クロード・ソーテ監督作品)のお二人が並びに!
しかも、シニョレ様もご一緒。贅沢なお写真。
「僕たちの愛は特別なものだった。僕たちが別れたとしても、
それはもう愛がなくなったからではなく、
互いのことをあまりにも愛しすぎたからなのだ」
「ロミーは僕にとっては理想の女性だ。
そしてこれからもずっとそうでありつづけるだろう。
彼女には僕の息子を産んでほしかった」
等々と、自伝に書いて発表し、するっとナタリー様とゴールイン。
自分だったら、捨てられた男性に、そんなことごちゃごちゃと
書いては欲しくないと思うんですけど、なにせアムールの国だし。
その後、ロミー様も妊娠、ご結婚。しかし、再びキャリアの低迷期に。
男女がああいう別れをした後、どちらからどう言って、
どういう関係を築いて行くのかは私ゃ、解りませんわ。
しかし、低迷期のロミー様を「太陽が知っている」(1968年)で起用。
愛息ダヴィッド様とお三人で。14歳にして、悲劇的な事故で、
亡くなられることになる運命が待っているとは。
う~ん、若い頃の「恋」は、それはそれで、人間としてはウマが合うの?
それとも、ビジネスパートナーのようなもの?わかりません。
ロミー様、絶えず、夫か恋人がおられましたが、あまり男運はよくない?
色々な噂がある、二人目の夫、ダニエル・ビアンシーニ様に関し、
日記に「彼はアラン・ドロンに似ている。何事にも束縛を受けず、
同じように魅力的で、ユーモアもある」と書いておられます。
ロミー様が亡くなられた時、ディートリッヒ様が
「彼女を殺したのはアラン・ドロンよ!」と爆発されたという話も。
事実かどうか解らない話。別れた後、それぞれが己の道を歩まれても、
それってアリなのかなあ・・・と、このロミー様の一文に思います。
だとしたら、辛すぎる、息子さんを亡くしてふさぎこんでいたロミー様を、
ドロン様が連れ出された際の1枚。ミレーユ・ダルク様の、
晴れ晴れとしたお顔が、軽く、ひっかかる嫌な空気を感じたものです。
息子さんを亡くされてから「サン・スーシの女」を撮影され、
3日後からは、アラン・ドロン様との共演のサスペンス映画の撮影入り。
そんな 1982年5月29日。バルビツールとワインの空き瓶を残し、
43歳で生きる苦痛を体験し尽くしたかのように亡くなられたロミー様。
その葬儀の手配をしたのもアラン・ドロン様。
生涯、関わり続け、未だに写真集の監修をしてくれる、元婚約者。
責任をとって下さるお方だったのか、何なのか。
膨大な「幸福な恋人たち」の写真の中の、この最後の1枚。
ロミー様がセルロイドのお人形のように見えるのが印象的。
幸せな夕餉の写真な筈なのに、寂しさを感じました。
そして、そんなニュアンスのある人だからこそ、
たった43歳という生涯で、あれほど深い作品を多々遺されたのかも。
あれ以上、生きるのは、酷なお方だったのかもしれない・・・