週末に図書館へ行った時に偶然目にしたこちらの書籍左下矢印を借りて読んでみました。

早期教育を考える (NHKブックス)/日本放送出版協会
¥994
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発達心理学をご専門にされている大学の先生が書かれた本で、早期教育に関しては「幼児期の発達的特性を無視した早期教育には問題有り。部分的にせよ可能であるとすれば、発達の特徴をうまく取り入れている」場合、というスタンスを取られています。

早期教育に賛成か反対かと言われれば反対の立場を取られているのですが、自身の立ち位置は一旦脇に置いて、極力中立的な立場で見解を述べておられるため、頷ける指摘が多くありました。




ちなみに、この本の中では早期教育について一言でいえば「就学前の子どもに対して、教育者の明確な意図として知的な発達のために有効だと考えて、一定期間続く働きかけを行うこと」と定義しています。



この定義に拠れば、


クローバー 子どもが0歳であろうが、3歳であろうが、「知的な発達のための継続的な働きかけ」を行っているのであればそれは等しく早期教育


であり、


クローバー その手段がフラッシュであろうと、XX理論に基づくプリントであろうと、ホームスクーリングであろうと「知的な発達のための継続的な働きかけ」であれば、それもやはり早期教育


ということで、先ずこのシンプルな定義がフィットしました。




この本の中で述べられている早期教育のタイプ毎の結論をかなり簡略化しつつ要点のみ下記します。


1胎教や乳児向けの教育

効果があるという根拠は無い。



2読み書き

小学生の語彙力・国語力のテストの得点は、幼児期の読み・書き・語彙全てとプラスの相関があり、読み書きの早期教育をすることはある程度有効であると言える。

特に読みは大切だが、だからと言ってドリルといった早期教育は必要ではない。



3数の理解

子どもは誰しも生まれついての能力を基礎として、相当に抽象的な原則を守りつつ数えるという活動が出来るようになる。

幼児期には数をめぐる多様な経験(日常生活の中でお皿を数える、トランプ・オセロをする等)を積むことと、落ち着いて課題に取り組む力を育てることが大切。



4英語

多くの研究でも早期に語学を始めるのは有効であると言われており、確かに中学校以降に初めて外国語に触れる形での学習でネイティブ・スピーカー並みに上手になるのは難しい。

特に音声の聞き取りは早いほうが良い。

但し、第一言語に近い形で第二言語の獲得を目指すのでなければ急いで教育すべきことでもない。



5ピアノなどのお稽古事

音楽性自体の発達は乳児期から始まっており、高度なレベルに達するには組織的な教育が不可欠。



6水泳などのスポーツ教室

そもそも運動自体は日常の生活や遊びの中でいくらでも自然な形で行えるものであり、それ以上に教えるのは、一定のルールやスタイルできちんと行うことが必要な運動のみ。





その他、気になったポイントを備忘録として以下にメモ書きしますメモ



チューリップピンク”もっともっと”という強迫性、他者との競争原理、自発性はく奪状況、母親からの支配-服従性、父親不在などが「早期教育的雰囲気」の中の一つ一つの要素。

「早期教育」はそれ自体に「早期教育的雰囲気」に陥りやすい危険性を内包している事実を利用者がその家族を含めて正しく認識している必要がある。



チューリップピンク知能検査の得点は全般的な知的能力の良さをうまく表しているわけではなく、実体を調べると何を測定しているかは明確でない。

実際の知的な課題の解決については、EQのほうが影響が強いかもしれない。



チューリップピンク自己表現と創造的な喜び、運動やリズムの発達促進、美的感覚を養う、声や言語の教育、認知発達や抽象的思考を促す、社会的集団的技能を教えるなどの理由から、幼児は音楽に親しんだほうが良い。

音楽は人間にとって本質的に重要。



チューリップピンク日本語の場合、「ちょこれいと」を「ち・よ・こ・れ・い・と」といった風に音節への分解や文字表記に合わせていくことが文字の読みの習得の基礎を作り、イギリスの研究では、マザーグースなどのナーサリー・ライムを覚えている子どもは読みが早くなることが知られている。

言葉から韻を抽出する力が読みの基礎にある。



チューリップピンク幼児教育は「遊び」という原理に立たなければならない。



チューリップピンク早期教育の問題は、早期教育を行うこと自体にあるのではない。

子どもの考える力を引き出し、遊びの自在感を可能にするような、そして周りの物事への多彩な取り組みを導くような働きかけになっているかが問題。



チューリップピンク早期教育それ自体は特に大きな害は無いか、せいぜい他の要因(本人の性格、家族関係など)がある場合に、その歪みを広げる形で害をもたらすようなもの。

親が早期教育を良いことだとか、必ずやらねばと思い込むことなく、子どもの元気な様子を眺めつつ、活き活きと暮らし遊んでいるように子どもを支えていられれば、一日のわずかな時間を早期教育風のことに費やしても、問題のあろうはずもない。

だが、わざわざ早期教育を行わなくても、子どもは日常生活の端々で遊び暮らしつつ学んでもいる。