秀吉はキリスト教徒が最初は布教をしているが、いずれは武力による
軍事侵略をしてくると聞き及んでいた。
スペインがペルー、メキシコ、フィリピンを武力制圧したように
やがて日本にもやってくると知っていた。
秀吉は禁教令を発令した。
3代将軍家光にキリスト教徒の脅威を感じさせたのは
島原の乱であった。
4万弱の農民の反乱に対して、幕府軍は12万であった。
単なる暴徒を制圧するのに4ヶ月を要した。
武器弾薬を有していたという背景があった。
さらに問題は、八つの村の農民が同調し
「寺社を焼き払い、僧侶を殺害」
また「キリシタンにならない村民の家を放火」
したことであった。
記録の中に「デウス様が異教徒を殺害せよと述べている」
という農民の記録がある。
島原、天草という限定した地域でさえ手こずった
幕府はこうした破壊的信仰が全国に広まることを
恐れた。
経済的利益を切り捨てても、「鎖国」に踏み切ったのは
キリスト教が国内に広まる脅威に歯止めをかけるためだった。
鎖国は閉鎖的に考えられるが、否定されるべき歴史でなく
誇りにすべき歴史である。
250年の長期にわたり、平和で豊かな文化を生み出した
世界にも類を見ない時代であった。