日露戦争時代の米国の対日戦略

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日清戦争に日本が勝ったとき、世界は驚いた。

とりわけ米国は真剣に日本を脅威だと感じた。

 

米海軍省次官だったセオド.ルーズベルトがアルフレッド.マハンに

書き送った書簡が残っている。

私だったらとして

「日本が日清戦争の賠償で買った二隻の軍艦、富士、八代が東洋に

回航される前に、ハワイを併合し、あの島々に星条旗を翻し、ニカラグワに

運河を掘り、大西洋と太平洋をつなぎ、それぞれにお六隻ずつの

戦艦を擁した大艦隊を浮かべたい。

私は真剣に日本を脅威と感じている。」

 

その十年後ルーズベルトの直感は当たった。

日露戦争で日本がロシアに勝ったのだ。

ニューヨークタイムズ紙も書いたが、にわかに信じられない

日本海海戦の数字であった。

壊滅的な打撃をロシアの戦艦に与え、日本の主要艦は

すべて無傷とあった。

駆け出しの「劣った黄色人の小国」が勝った。

信じられない。

そう思って、本記に別の一文をつけた。「戦いの最中に

「ロシア艦隊の水平が反乱を起こして自沈したという情報がある」

どうしても信じられないのであった。

しかしアルゼンチンと英国の武官が第一艦隊の朝日に

乗船していた。

日本海海戦は白人世界の戦争のやり方を根底から

変えるものとなった。

 

安倍談話に

「日露戦争は、植民地支配にあった多くのアジアやアフリカの

人々を勇気づけました。」

とあるが、逆に白人社会は脅威を感じた。

 

アメリカは米西戦争でフィリピンを獲得し、出遅れたアジア進出を果たした。

台頭してきた日本とアジアを遮断した。

フィリピン、グアムの領有に併せて志那にも接近した。

日本に奔流のように流れ込んでいた志那人留学生の

足を止める工作が始まった。

 

まず多くの宣教師を志那に送り込み、

清華大などミッション系学校を建てた。

あご足つきの米国留学をすすめ始めた。

胡適、顧維鈞など米国で学んだ留学生は帰国後、

日貨排斥や反日運動の指導者になっていく。

 

歴史を学べばどんどん日米が戦わなければならない

方向へと進んでいったのである。

 

それは白人とそれ以外のすべての人種との

人種戦争の始まりであった。

 

日本は好むと好まざるとにかかわらず、

有色人種の希望の星となっていった。

 

また白人社会にとって最大の敵になっていった。

米国は仮想敵国として訓練を重ねて行ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

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昨年(2016)

フィリピンのデュテルト大統領が来日した。

そのときに我々日本人は何を言われるのか戦々恐々の

心境であった。

米国に対しての発言や暴言にびっくりしていたからである。

 

だが、驚くほどの友好な姿勢を見せたのである。

「日本を全面的に支持します」

 

え、と思った。

 

そこで歴史を調べたのである。

前回のプログで書いた。マッカーサーの父アーサー

による大虐殺は上院で文書化されている。

これは啓蒙作業であると美文化されている。

 

あまりなフィリピン人虐待によりうちひしがれたアギナルド将軍は

日清戦争後の日本に連帯を求めてきた。

まともに戦える装備を求めてマリアノ、ボンセを日本に送った。

彼は大隈重信首相や日本の首脳に会い軍事援助を求めた。

米国の敵に武器供与をするのは外交上よろしくないが

同じアジアの民を白人帝国主義の犠牲にするべきでないと

そのときの日本人は思った。

 

民間人による武器供与を装い、20万丁の銃と弾薬を乗せて、

1899年、布引丸は出航した。

しかし、東シナ海で台風に遭い沈没した。

事実を知った米国は不当干渉だと強く非難してきた。

 

日本は布引丸こそうまくいかなかったものの、米国の圧力に

屈することなくフィリピン人の独立を支援する様々な動きを続けた。

山田美紗は小説「あぎなるど」でアギナルド将軍をヒーローとして

描いた作品を発表した。

知識人の間でもフィリピン人を救う方策が本気で語られた。

 

米国はフィリピンを植民地にしたあと、フィリピン自治政府を作る。

大統領になったのはマニュエル、ケソン。

生粋のスペイン人でフィリピンの血は一滴も入っていない。

戦前のフィリピンは本来の国民であるフィリピン人は国作りにも

政治参加もできなかった。

日本軍が進出しながら、それに反応する成果をフィリピン自身の中に

作れなかった。

半世紀に及ぶ残忍な米国の支配が理由であると考えられている。

 

戦後も独立したとはいいながら、米国の傀儡政権的な

大統領が続いた。

生粋のフィリピン人による、デュテルテ大統領の誕生に国民は興奮して

沸き立った。

フィリピン自身による国作りは今世紀に入ってようやく

始動したのである。

 

だから、暴言に聞こえるデュテルト大統領の言葉も

フィリピン人は支持する。

 

歴史は戦勝国により作られる。

侵略した日本はフィリピンで悪いことばかりした。

(無条件降伏をした日本は黙ってうなだれる。)

 

だがデュテルテは違う角度から歴史を見ている。

本当にフィリピンの味方をしてくれた国はどこだ。

 

 

安倍首相も本当の歴史を知っている。

だから2017年初の外遊にフィリピンを訪れ

デュテルテ大統領に会ったのであろう。

 

と思うのである。

 

 

 

 

 

 

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日露戦争当時のフィリピン

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フィリピンが世界最初に知られたのは西回りで

世界一周の途上にあったマゼランを殺した凶暴な島と

してであった。

 

しかし、フィリピンから見れば侵略者を撃退したラブラブは

英雄になったのである。

西洋史は常に自分たちが正しいとして書いてある。

 

1898年、アメリカがスペインと戦った時に、独立の約束を与えた

地元軍のアギナルド将軍が参加してスペイン軍の背後を突いた。

たまらずに降伏したスペインは2000万ドルでアメリカに

フィリピンを売った。

アメリカはフィリピンを正式に米国の植民地とした。

 

しかし、独立させるという約束を反故にされたアギナルドや

フィリピン人は怒る。

アメリカは掃討作戦を3年半続けたが抵抗は続いた。

 

そこにアーサー、マッカーサーを司令官として残忍な

掃討作戦が実施された。

あの有名なダグラス、マッカーサーの父である。

 

サマール島で米軍2個小隊が民兵の待ち伏せに遭って

38人が殺された。

アーサーは報復としてサマール島とレイテ島の民間人

10万人を皆殺しにした。

 

このときの、わずかな生き残りの血を引くのが

現在のフィリピン大統領デュテルテである。

アメリカをののしり、オバマに悪態をついた大統領である。

 

さらにアーサーの殺りくは続く。

 

あまりに残忍な拷問、公開処刑の数々はこの紙面では

かけない。

 

そうやって殺害したのは20万人と上院で証言しているが

実数はその倍40万人以上と言われている。

 

アーサーの徹底した殺りくについてこの後マニラを訪れた

ウイリアム、タフト民政長官に随行したジョージフォスト下院議員の

言葉が残されている。

 

我々米国人には神に課せられた厳粛な義務がある。

この残忍なフィリピン人を啓蒙し我々が築いてきた自由と

独立の素晴らしさを教え込まなければならない。

偉大なる建国の父がニューイングランド地方で行った啓蒙作業を

この島でもう一度進めなければならない。

(アメリカで行ったインディアンに対する虐殺を言う。)

 

歴史を正当化する美文を書いたのである。

 

デュテルトが怒るのも無理はない。

残忍なのはどっちだ。

アメリカ嫌いが理解される。

 

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