二人のボース(インドの独立) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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インドの独立には日本は深いかかわりがあった。

それは独立を見ることなく、亡くなった二人のボースが

日本に深いかかわりがあったのである。


今でもチャンドラ、ボースは、インドでは絶大な人気を誇っており、

インドの国会議事堂には、チャンドラ、ボースの肖像画を中央にして

その右側にマハトマ、ガンジー。左側にジャワハルラール、ネルーの

肖像画が掛けられているほどなのだ。



インドは英国による植民地が200年以上続き

人々は弾圧に苦しみぬいてきた。


戦前は米英ではなく英米と言って

英国の艦隊が世界の海を支配していた。 


17世紀冒頭にはイギリス、オランダ、フランスが

それぞれ東インド会社を設立、し、アジアでの精力拡大競争を開始した。


結局、ムガール帝国の没落に乗じてインドでの

覇権を確立したのはイギリスであった。

インド人が無抵抗であったのではない。

たくさんの抵抗の戦いはすべて、世界一のイギリス艦隊と

産業革命による近代装備軍隊の前に失敗に終わった。


さらに、イギリスはインドで生産した麻薬(アヘン)を中国に売りつけ

武力によってこれを強要した。

アヘン戦争である。


これに気がついた吉田松陰により 

日本も明治維新を起こし、挙国一致の体制を

アジアで整えた最初の国になる。

植民地化を防いだのである。


やがて、日露戦争における日本の勝利は、

全インド、全アジアに大きな刺激を与えた。


そして、多くのインド独立の志士が国内外で活動を強めていったが、

ついにビハリ、ボースを中心とするインド総督暗殺

未遂事件が起きたのである。