「英雄たちの選択

         土方歳三 明治に死す

       盟友・近藤勇の生死を握る決断」

     2017/12/7  放送

     NHK  BSプレミアム

 

新年最初の歴史記事は、新選組・土方歳三になりました。

12月に録画してあったものを正月に観て、今頃に記事汗

パートに出始めてから疲れてしまっていて

文字を打つのも読むのも、かなりツライあせる

皆様への訪問も遅れ気味で申し訳ありません。

徐々に回復していきたいと思います。

 

さて、土方歳三。

わたしが20年以上前に新選組に

かなりハマっていたの、

ご存知の方はご存知ですよね。

いまだに私のジャンンル別・蔵書数トップは、新選組。

数えてみたら、161冊ありました・・・

(冊子・雑誌・小説・エッセイ含む)

ハマり度合いがわかりますね。

もうだいぶ経ってしまったので、

わたしの知識は古いのですが。

NHKの歴史番組につっこみを入れるくらいはまだまだ出来そうです。

 

「英雄たちの選択」は、そのタイトルどおり

歴史上の人物の「選択」というか「決断」に

スポットを当てていますが、

今回土方歳三のこの「決断」に注目したのは

この番組史上、数多くあった「選択」のなかで、秀逸だったと思います。

なぜなら。

あまりこの土方の決断は、

重要なわりに有名ではなかったのではないか、と思うからです。

 

土方歳三と近藤勇といえば

「竹馬の友」とか「盟友」とかいわれ、

一心同体に扱われる場合が多く、

多くの小説・ドラマ・漫画・アニメ・ゲームでそのように表現され、

知名度を高め、人気を博してきた、

すでに長い歴史(たぶん50年くらい?)

がありますから。

このことには触れにくいのではないか、と

現役ファンからは少し遠ざかってしまった、

もと新選組ファンであるわたしは、

勘繰るわけです。

 

番組を観ていない方に少し捕捉いたしますと。

サブタイトルにある

「近藤勇の生死を握る決断」というのは、

いわゆる近藤勇が流山で官軍に投降する直前に、

近藤勇が切腹をしようとしたのに対し、

土方が強固に反対したことを指しています。

 

此所に割腹するは犬死なり。

運を天に任せ板橋總督府(官軍)へ出頭し

あくまで鎮撫隊を主張し、

説破するこそ得策ならんと」

 
上記の引用は、川村三郎という
明治では近藤芳助と名乗った、
元・新選組隊士が
歴史調査をしていたある人物の
問い合わせに答える形で記した書簡に
記録されているもので、
かなり信憑性の高いものです。

しかも、異論はありますが、

川村三郎自身が

この時に流山にいた可能性があります。

そのうえ、流山のについて書かれた記録は、

この書簡がいちばん詳しいのです。

 

幕末の京都で、

多くの隊士を鉄の規律で統率し、

切腹・斬首に処すことをためらわなかった、

鬼の副長・土方と、

大量の官軍を前にして、

潔く腹を切ろうとする近藤に対し、

敵をあざむき

投降することを主張する、土方。

 

背景をよく理解しないと、

このふたつの土方は

結び付きにくいのではないでしょうか。

そのせいか、

今まであまり深くつっこまれていない気がします。

小説やドラマでこの場面は

非常にあっさり描かれてきた気がします。

 

下手すれば土方は、

近藤を死なせた張本人です。

いえいえ。

当の土方には

その意識が常にあったのでしょう。

その後の彼には

激しい後悔の跡がみられます。

 

けれど、

確か司馬遼太郎さんもどこかで書かれていましたが(未確認)

土方歳三という人物の魅力は

この、近藤を死なせてしまってから後に

さらに発揮された。

そうゆう見方がかなり主流なのです。

 

刀から銃へ。

武士から兵士へ。

江戸から明治へ。

時代の変動を背負った最後の武士。

ザンギリ頭の写真が

あまりに見事な洋装なので、

その存在が余計に際立ってしまう。

 

土方のように

五稜郭まで戦い続けた武士は

他にも多くいるのですが、

無謀な作戦とわかっていながら切り込んだ、宮古湾の海戦。

見事に銃での戦いを制した、二股口の戦い。

北へ北へと転戦していった

近藤との別れ以後の土方の、

悲しいまでに燃え尽きようとする戦いぶりは、

土方という人物の実力発揮でもあり、

鬼ではない人間としての魅力の開花でもあり、

江戸という時代の最後にあらわれた、

武士になりたかった少年の魅力である気がします。

 

そのあたり、

この番組を観て久しぶりに再認識しました。

土方歳三はやっぱり魅力的です。

(当然わたしは

新選組でいちばん土方が好きドキドキ

 

けれど、流山でのことを考えると、

やっぱり近藤勇はスゴイな、と思います。

駄々っ子のように戦い続けたがる土方を、

戦わせてやろう、と思って、

武士としての死である切腹をあきらめ、

投降したのだろう、と思うと。

(史実か真実かは別として)

 

近藤がいなかったら、新選組も土方も、

うまれなかったのだろうな、と思います。

そう考えると、流山以後の土方が、

近藤を背負って戦い続けたのも

当然だったのかな、と思います。

 

ふたりはやっぱり

一緒に戦い続けていたのかもしれません。

土方が死ぬまで、

近藤も戦っていたのかもしれません。

だから、投降できたのかもしれません。

 

そう考えると、沖田総司も病床で、

一緒に戦っていたのかもしれませんね。

袂をわけた永倉新八も、

だから、明治に手記を残した。

いっさい黙して語らなかった斎藤一も、

気持ちは同じだったかもしれません。

 

新選組という存在は

常に美化されがちで、

史実とフィクションの差は大きいとは意識してはいますが。

それでも

新選組に想いをはせると、

やはりいつも

こんな感じの理想でいっぱりになってしまいます。

 

なんなんでしょうね。

やっぱり新選組は魅力的です。

ノンフィクションになりきれない。

 

なんか今回は非常に感傷的で読みにくい記事になりました。

この辺りでやめておきます。

 

お読みいただき、ありがとうございました。