二条殿 京都府:近畿 | 城とその町 漫遊記

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今週はヤボ用があり 三回ほど仕込み記事です:弐
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本能寺の変のおり 信忠が篭って抵抗するも
明智光秀の軍に落とされたとして有名な
二条城 実は此処

「二条殿」
デス!


今回は 信長の二条城とも呼ばれている

二条殿

二条殿 二条良基(1320~88)の邸宅
邸内に龍躍池(御池)がありました

天正5(1577)年に信長が移り住みました
天正10(1582)年本能寺の変の際に
 信長の長男信忠がこの地で自害
 二条殿は焼失

本能寺もそうですが この二条殿も
補強改築されたものと推測されます

やはり 遺構は全く有りません (ノ◇≦。)
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国際マンガミュージアム です!?

地名などに 名残があります
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一筋 西には 「二条殿 御池跡」
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国際マンガミュージアムの中に
二条殿址の説明書きがあります

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 説明文

二条殿は,南北朝時代太政大臣を務め,和歌連歌で著名な二条良基(1320~88)の邸宅で,押小路殿とも呼ばれた。室町時代の洛中洛外図屏風に描かれる。邸内には龍躍池があり,その景観の美しさから皇族や織田信長(1534~82)が好んだ。信長は天正5(1577)年に移り住み,天正7年正親町天皇皇太子誠仁親王に献上した。天正10(1573)年本能寺の変の際には信長の長男信忠(1557~82)がこの地で自害し,二条殿は焼失した。この石標は二条殿御池跡を示すものである。

?説明書きに写っている石碑は 当ブログ冒頭の石碑ですが
  最後に指摘している石標は 2つ目の石碑でないかい ?


地下鉄二条城前駅にあった地図ヨリ
(注)上が南です

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上が北になるよう 回転させてみまし

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【正式名称】
   此附近 二条殿址
   二条殿御池跡
【住所】
   両替町通御池上る東側(国際マンガミュージアム裏手)
   室町通押小路下る東側
【最寄り駅】
   地下鉄「烏丸御池」

ペタしてね

「二条殿址」の石碑を挟むように
「徳川時代金座遺址」
「徳川時代銀座遺址」
の石碑が有ります

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国際マンガミュージアムの中に
金座 銀座址の説明書きもあります

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