俺と邪聖剣とニューヨークシティー | tittle‐tattle~徒然のままに記す

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基本的にコラムというか雑文をつらつら書いております。ジャンルは料理やら映画やら小説やらアニメやらゲームやら漫画やら音楽やら料理やら猫やらと、無尽蔵にキリがないので暇つぶしにでもどうぞ。ではでは。

ちなみにそんなに面白くはないです。

案外と無意味なことをつらつらと連ねるのも悪くない気もするが、それはマスターベーション以上のものではないというのも理解しているし、正解など導き出そうとも答えを探しだそうとも思わない戯言をただただキーボードを叩くだけという行為だけに頼り、文書にもなにもなっていない文字の羅列の洪水などだれが読むのだろうか期待しているのやもしれないが、その実センテンスの壊れた言葉など悪意以外の何物でもないので読まれないほうが懸命。ただやにわに脳を全く使わずに文字をただ書きたくなることがあることは許していただきたい所存であり、兎にも角にも内容は曇天の空の上。晴天の空の下。なにもなくただ鳥達の囀りが心を揺らすような、軒下では野良猫があくびをして、商店前ではご婦人方が井戸端会議。要するに意味は特にないということですが、無意味の中に意味がある。かつて勝新太郎氏が『無駄の中に宝がある』という至言を賜れました。そういうことなのです。要するにですね、H・R・ギーガーが階段から落ちて亡くなったということも、すべての無常無意味の果ての結果論なのです。お悔やみ申し上げるが、ウィーン幻想派の片翼のゴットフリート・ヘルンヴァインはもうちょい頑張って下さいということで、弔辞に変えたり変えなかったり。




──ほんとに無意味なこと書いてるだけだたんだけど、なんか最後にギーガーの話とか意味のある話書くあたりにヘタレを感じる。

以上。