【サラリーマン道】平凡なサラリーマン? | 丸の内で働く社長のフロク Powered by アメブロ

【サラリーマン道】平凡なサラリーマン?


久しぶりに登場した正統派ヒーロー、早実の齊藤投手。朝の情報番組でも連日熱い報道が展開されています。そのニューヒーロー(死語?)についてのコメントの中で、「斉藤投手の家庭は『平凡なサラリーマン』」という表現があって、とても引っかかりました。



「平凡」と「サラリーマン」というパッケージングは今更驚くべき組み合わせではありません。
が、私の中で引っかかった。
その理由は、私が今、『サラリーマン』という存在に大変関心を持っているからだと自覚しています。




私がどんな理由や問題意識から『サラリーマン』に興味があるのかは後段に譲るとして、「平凡なサラリーマン」という表現について考えたいのです。
「平凡な医者」「平凡な芸術家」「平凡な野球選手」「平凡な寺の住職」という表現を聞いたことはありません。でも、サラリーマンという職業(サラリーマンが職業なのか?という議論はありますが…)に対してのみ特権的に「平凡な」という修飾表現がなされる。



逆に、「類稀なサラリーマン」「非凡なサラリーマン」「天才的なサラリーマン」「打率3割のサラリーマン」「神を超越したサラリーマン」などなど、何らか特別で際立つ立場を示すような形容詞を与えられることが滅多にありません。
つまり「平凡なサラリーマン」という表現の前提に、”サラリーマンというのは平凡なものなのだ”という世間的な同意事項が隠れている。

そもそも非凡なサラリーマンなどいないということが前提となった上で、「平凡なサラリーマン」という表現が成り立っています。





さて、いつからサラリーマンは平凡だということになってしまったのでしょうか?
調べました。
とりあえず簡単な方法で調べました。




過去、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日経新聞(産業・流通など日経本紙以外を含む)の4紙において「平凡なサラリーマン」という表現がいつ頃から使われ始めたのか?




まず、最初に「平凡なサラリーマン」が登場するのは1982年4月、日経新聞です。
日本が誇るサラリーマンのための新聞=日経新聞が一般紙3紙にさきがけて、サラリーマンを平凡扱いしました。(さすが日経)

で、朝日新聞に「平凡なサラリーマン」が初登場したのは1985年。
読売新聞においては1986年。そして、最後に毎日新聞が1989年にサラリーマンを平凡扱いしました。

(ごく短時間で調べたので、<Mさん協力有難う>間違っているかもしれません。怒らないでください。フロクですから)





この1989年以降、4紙そろって、毎年、最低1回は「平凡なサラリーマン」という表現を紙面に登場させます。(私の調べた限り<Mさん協力有難う>、今年2006年、読売新聞だけがまだ”平凡なサラリーマン”を登場させていません。他の3紙はそれぞれ3回もすでに登場させています。)
つまり、1989年を境に(新聞紙上では)、サラリーマンは平凡な存在となりました。




因みに、「平凡なサラリーマン」の登場回数は以下の通り。
82年 4回
83年 3回
84年 5回
85年 5回
86年 4回
87年 11回
88年 7回
89年 13回
90年 7回
91年 10回
92年 8回
93年 13回
94年 10回
95年 15回
96年 15回
97年 17回
98年 15回
99年 12回
00年 7回
01年 17回
02年 10回
03年 8回
04年 15回
05年 14回

(何やってんでしょうか…)



というわけで、89年を境に平凡化したサラリーマンは93年以降(これはバブル崩壊時とほぼ一致する)90年代が終わるまで、ずっと2桁回「平凡」扱いの記事が書かれるわけです。





記事内容をつぶさに見ることはできていないわけですが、仮説としては、90年代半ば以前の「平凡」という表現にはそこまで否定的な意味が含まれていないはずです。
しかしながら、90年代半ば以降、「平凡」という表現が否定的な意味で使われているのではないかと考えています。
(これは、いずれ検証したい)




さて、何だってこんなことに興味を持っているのか?
サラリーマンという存在を日本経済のシステムの一部として捉えたとき、戦後復興→高度成長を支えた重要な要素であったはずが、あるときを境にシステムとして機能しなくなった。




私はサラリーマンという日本経済システムの重要部分が機能しなくなり始めた時期を1988年頃と考えています。
今回の新聞記事検索結果も、私なりの仮説を裏付けているように考えている。




1988年に社会人デビューした私は、就職してサラリーマンになるにもかかわらず、サラリーマンという存在を否定していました。
「サラリーマンにはなりたくない」と。




それから約20年。
どうも最近、過去日本を支えたサラリーマンの方々の行動様式や思考様式がこれからの日本のビジネスにとって大事になるのではないかと考え始めました。




そんなことをたまに、このフロクで発信したいと思っています。