ある日、激痛が股関節を襲った、原因不明の難病発症20年余り、あっちの病院、こっちの病院、カイロもやった、接骨院もいった。リウマチ治療の最中、慶應病院リウマチ科で、ききなれない病名「強直性脊椎炎」 が告げられた。その後、都立府中病院へ通院することとなった。

一時「日本リウマチ友の会 」にもお世話になったが、強直性脊椎炎の患者会が立ち上げられるという情報がはいって、その会合に参加した、勉強会形式だったがとても病気の本質がつかめてやっと自分の病気を理解できるようになってきた。このときはあまり患者同士話す機会がなかったように記憶している。

その後は「日本AS友の会」 にも、お世話になった。友の会の会長でもあり順天堂の井上先生は、ご自分も同じ病気で、私を叱咤激励してくれて、そして親切に診てくれた。

はじめてAS友の会の総会へ出席した時、井上先生を初め多くの皆さんは、暖かくむかえてくれた、本当にあたたかった、リウマチ友の会に会合にも参加したことがあったが、病状が違うのと女性が多かったことで、とっつきにくかったが、こっち(AS)の会は小規模ながら牧歌的な雰囲気でとっても入りやすかった。

何より嬉しかったのは、多くの仲間が同じ病名で苦しんでいることを知ったことだ!「自分ひとりではない」無人島で誰かにであったような、そんな気持ちでいっぱいだった。

それ以来、友の会の会員になり、毎年ではないにしても、何度か総会にも足を運んだ。しかし、段々私の居場所はなくなっていく、そんな感じがしている。

気がついてみると何となく、会になじめなくなりつつある。強直性脊椎炎という難病にかかり、社会からも多少横道に反れ、そして、今「ASの患者会」からも落ちこぼれてしまいそうな自分がいます。

誰が悪いのだろう、きっと自分がわるいのだろうが、もう一つ、いつも感ずることなのだが、どうも患者会には特有の風通しの悪い空気があるようなきがする。珍しく「AS友の会」はそういった感じがなかった(少なかった)のだが、どうも、近頃、「どろっと」した粘着質の雰囲気が漂っているような気がしてならないと感ずるのは自分だけだろうか。今私は友の会を退会を考えている。


フォークの仙人と呼ばれた、高田渡さんの曲にこんなフレーズがある。


この世に住む家となく」

帰る巣がない さすらうおいら
街から街への その日暮らし
心やすまるところがないのさ
この世に住み家がないからよ



高田渡
汽車が田舎を通るその時

やっとみつけた安住の住み家(友の会)だったはずだったのに

もはや私に帰る患者会さえなくなってしまったのか