絶望から希望へ

テーマ:
2016年(平成28年)4月14日 夜

また、大地震が起こった。
東北震災から5年、まさに地震大国の日本の脆弱さを目の当たりにした。
これでも、まだ原発をやり続けるというから狂気のさたといわれても
しかたない。

16日に更なる、連続地震があり、こちらが本震だという。
訳のわからない報道。

東北の震災の時に、「地震の予知は科学的にまだそれに至っていない」
と地震学会が自分たちの非力さを認めて、白旗をふったのも記憶に新しい。
といえ、それなそれで、もう少し予知する側ももっと謙虚な姿を国民に表さなければならいのではないだろうか。
占い程度のことであるなら、もう少し控えめな発表も必要ではないだろうか。

5年の間に、大きな震災が二度、更に原発の福島は、何の見通しもついていない。
もう、東京だけバブルに浮かれてる場合ではない。
東京オリンピックもすべてやめて、被災地を含めて地方再生。復興に力を注がなければなるまい。
オリンピックの公共事業が並行すれば、どうしたって、復興事業にも影響が出るのは明白であるということははっきりしている。
何を優先させるかは、誰が考えてもわかりきっていることではないだろうか。

もう、ゆめうつつでは、いけない、地に足をつけた日本再生がもとめられる。

今回の震災でも沢山の方がお亡くなりになり、そして、今もなお多くの方が被災しておられる。
被災された方に、心からお見舞いを申し上げます。

日本人同士手をとりあって、この難局を乗り切らなければならにとおもいます。
被災された方に、私のような病人、障害者も沢山おられるでしょう。
自分自身も自分の病の辛さに負けそうになりますが、被災者のことを考えれば
甘えてばかりはいられません。
あばら屋であっても、通常の生活を送れる幸せはこの上ないことです。

自分にも喝をを入れて、もう一度、少しでも明るい明日へと願っております。

このいまの状況を絶望から希望へと変える変革期ではないかと考えます。

AD

遠くの春

テーマ:
桜を遠くに感じながら、3月が終わり4月になった。


倒病生活がつづいている。

すべての価値観が崩壊するほど、病気とは人生にとって大きなものである。

それに寄り添う、医療は確立されているかといえば、そうともいえない。

受付や医師の対応は、それなりにかわっていても。
昔は雑でありながらも、もう少しアドリブが効く医療がであったような気がする。
それでも公平かつ、エビデンスに基づいた治療という点では、進んでいるのかもしれない。

最近、通院でお茶の水駅を使うことが多かったが、あそこにはエレベーターがないのです。
東京医科歯科に順天堂、日大、南雲堂、少し離れて、東大、日本医大、三井記念など数えたらきりないほど、なだたる病院街にもかかわらず、お茶の水駅にエレベーターがないとは、昔からの七不思議といえるだろうか。

やっと、エレベーター工事に着工しているらしいが、あまりにも遅すぎる。
東京駅にあれだけ金をかけているのだから、優先順位をもう少し考えてほしいものである。

とかく、儲かるものだけに金が費やされて、弱者は切り捨てられる。
東京は栄え、東北大震災・福島のことさえ置き去りにされているようにおもえる。
切り捨てられるのが当たり前のように、それが正義のようにこの世は進んでいるきがする。

入退院を繰り返した、3月が暮れていく。
4月という新しい季節にむかって、少しでも希望をとおもうのだが、まだ僕には
明日がみえない。

AD

春だというのに

テーマ:
春だというのに
北風にあおられ
街の声にせきたれられ♪

思い起こせば、高校生のときから
いつも春のからっかぜに、追いたれられて
生きてきた気がする。

3月になって一気に春が来ている気がする。
しかし、失意の底に自分はいる、春はきらいだと叫んでみても、なにもすくわれないのだが。

蝋梅から梅、そして本格的な、桜の季節へ、人々は浮かれて狂い踊る。

自分は失意の底にいると、浮世の輝きを横目に絶望だけが前に塞がる。
まさに闘病ではなく倒病生活の自分には何も関係ない、まばゆいばかりで、こちらはふさぎこだけである。

確かに、辛いのは自分だけではない。
そのように何処かで、理解しなければならいとはわかっていなければ、と思うのだが。
そうはいっても病の中にあっては、自分しかいない。
苦しみは自分の中にしかない。
治りたい、というより、苦しみからとにかく離れたいと願うだけです。

善も悪もない、楽になることだけが正義なのです。

病気は人を卑屈にします。
こんなにも病気は、人をだめにするのでしょうか。
楽になりたい、かつて、日本AS友の会、田中健二氏が会報に名づけた「らくちん」
は病人の悲願であり、永年病気を患った田中氏の偉業の一つであるとおもいます。
「らくちん」こそが願望です。

度重なる、病魔というものが自分を身体だけでなく、自分の精神も朽ちさせていくのです。

好きな音楽、美しい自然、花鳥風月をながめても、何もみえない。
いつもときめく素敵な女の子さえも心は躍らなく。
もう人間でもなくなりつつあるのか、自分が誰なのか、どうなっているかさえ見当もつかない。
失意のどん底だ。

もう今はなにも、考えられずにいる。
自分が自分でなく、病気にしはいされ身体だけでなく精神も壊れていく。
病魔とはおそろしいものである。

バチがあたるというが、まさに、不運はなぜ自分にふりかかるのか。
自分だけが悲劇の主人公では、うかばれない。
もう一度、健全な精神に戻れるだろうか。
先がみえない、でも、生き地獄の中をさまよい。
いつか、どこかに抜けるのだろうか。

抜ける先が、何なのか、まだブラックホールの中にいる。



AD

下流☆男子という生き方

テーマ:

くしくも、時間は変わって、バレンタインデーは過ぎた。


僕が高校時代には、今もほどでないにせよ、バレンタインデーがもう結構巷でも出始めていた。

昔は義理チョコってやつはないから、結構ドキドキしたもんだ。



一度かぎりだが、モロゾフのチョコレートをもらって。

それまで、チョコレートなどくだらないとほざいて、いたにもかかわらず、

夏まで、もったいなくて食べられないでいた。ことを思い出す。


今も、モテ男子は、チョコレートを山ほど抱えて、ニンマリ。

僕は、毎年寂しい想いをしている。


義理はともかく本命をもらえれば、チョコ嫌いでもニンマリするだろうか。


元々、モテ上流男子は、スポーツマン、イケメンなら、なにもしなくても女子から手紙がとどいたり、いろいろとアクションはあるだろう。


どうにもこうにもならないって奴は、ギターを弾くしかなかった。

ギターを弾いたら、ちょっとは女にもてたから。

そんな、時代。


今じゃ、下流男子どころでなく、下流人間、そのうち下流老人、先はきびしいなあ。


楽しいこと探しに、街を徘徊する、更に下の下、外道の人生です。

堕ちる落ちていく、私の人生。


病気がわるいといえば、それまでの。

私の人生。どこまで生き延びられるか。

それは、神のみぞ知ることなのでしょうか。

置き去りにした悲しみ

テーマ:
遅ればせながら。
あけましておめでとうございます。
一月も終わろうとしていますが、この一月も疾駆八苦しながら生き延びている。
ちょっと、六本木の遊びもご無沙汰です。
辛いこと、悲しいこと、何で気晴らしするのか、僕の場合綺麗な女性かな。
くどくのが、嫌いとはいわないが、女性と食事はそれなりに、華があるからでしょうか。
とはいっても、なにも救われないことばかりがつづいている。

初恋のあの子に手紙をしたためても、心には届かなかったのでしょうか。
返事は来ません。むし、つらいなあ。

置き去りにした悲しみは、そのままで生き恥をかいている。

やらなければならないこと、置き去りにしてはいけないことばかり

目をそむけている

考えることから、逃げ出したくてしかたない

出来れば、誰にも会いたくないし、ひきこもっていたい。

ひきこもっても、メールやLINE facebook ツイッターじゃあ救われない。
すべてを捨てれば、もっと幸せになれるはず。

もっと電話で話したいし、会って話したい、そして、お茶を飲んではなしたい。
立ち話じゃあ、

電車にのれば、皆スマホ、僕は新聞、文庫本、雑誌をみていたい。

ブログはどうなのだろうか。
安易な発信者には、無責任という言葉しかない。

めまいなどに調剤される、メリスロンが効かないというエビデンスがでたという。始めから効かない薬なんてごまんとある。
害がなければいんじゃない。

世の中そんな薬が横行しているのもホント。

それでも、大方で医療はあっているのも、実は本当!!

このページも散々医療批判をしてきました。

無駄な医療は、横行しすぎています。

そして、治す医療、生きる医療だけが、もてはやされていることは問題です。
QOLを考えて、病気と共存し、そして死ぬ医療も必要なのではないのでしょうか。

何を置き去りにするか。
それは、医者が決めることではありません。
それは、患者自身のおもいと哲学です。

今日の代替医療の蔓延りすぎた拝啓は、医者の怠慢もそうですが、医療の方向性です。
所詮、何かを置き去りにしなければ生きられないのですから。




年の瀬

テーマ:
今年もあと数時間、一年が暮れようとしている。

人生はまさに365日で、それぞれの一日を過ごしている。
吉田拓郎の唄に、「真夜中のタクシー」という曲があるが、
そのフレーズ「一年の長さって昔も今も同じなんですかね?」
とあるが、年々加齢と共に、一年は早くなっていく。
カレンダーがぶっ飛んでいくという表現が適格かもしれない。

今年も様々な挑戦があったし、挑戦しなくても押し寄せてくる津波のような出来事が次から次へとやってくる。
例え受け身であっても、だまって静観しているだけでは救われず。
そこにも挑戦が必要だった。
挑戦しなければ何も始まらないのも本当だろうが、挑戦には常にリスクが伴う
挑戦することにあだになってしまうことは、ないとは言えない。
それでも挑戦するという決意は自分の中にある「勘」のようなものに賭けているような気もする。

結局、365日の挑戦があり、その中での成功は1勝一分けがいいところだろう。それでも挑戦しなければ、きっと敗北なんだろう。
99%近くは負けということになる。
人生は綱渡り、風任せ。
あまりにも沢山の問題が山積みで、ニッチもサッチモいかない。
それでも挑戦しか道はないのだろう。

引いてだめなら、おしてやれ。


何とか、生き残りをかけて・・・・来年こそは。

もう一度勝負に出るべきか、後は運任せ。

良いお年を。


あれから、シンガーソングライターのライブを梯子している。

そのたびに、鱗はそがれるが、一晩寝れば、また現実へともどされる

現実には、そうはいいことは待っていない。

辛さをなにかで、紛らわす。

また、初恋の人を想ってみる。

しかし、中々巡り会えない。

いる場所も、分かっているはずなのに。
そう簡単にはいかない。
思い切って手紙でも送ってみようか。
何かしなければ、伝わらない。

むしゃくしゃする夜は、夜の街に繰り出して。
適当な女を漁るのもいいが、それもそう簡単じゃない。
拝金主義のこの夜の街、イケメンでもなければ、
しゃべりだけじゃあ、貧乏人には女口説くのも簡単じゃない。

でも、別に何を求めてるわけでもなく、綺麗な女をつれて
ただ店を梯子して歩くだけ、それでも少しは報われた気がする
こういうのも錯覚だろうが、仮初の空しい快楽ともいえる。

初恋の人を想うピュアさと、もう一つは、汚れてみたい下心、
交錯して、それはいつもの夢の中、闇の中。

本当に欲しいのは、健全な健康と魂。
とどかない夢。本当の夢が届かないからこそ仮初の快楽に走る。
所詮とどかないなら、つまらぬ下心くすぐってみるのもいい。
それでも浮かばれないし、それでは、もっと落ち込み落ちるだけなのかも
しれない。

チョッピリ不健全な健康と魂をくすぐって生きてるだけでは、
とうてい救われない。
それはわかっているはず。

そんなことでは、どんどん本当の幸せは遠のくのか。
本当の幸せの青い鳥が逃げていくのだろうか。
幸せの青い鳥をもう一度追いかけたい。


LIVE

テーマ:
僕の心を救うもの

心が沈んでいる。

健康不安が大きいのだけれど。

病気のどん詰まりは、結構限界にきているし。
仕事や人間関係も良好とはいえない

心を支える何かが、折れようとしている。

そして、相変わらず懐は寒く、更に心もすさぶ。

初恋の人を想ってみた。
ちょっとだけ、救われた気がした。
偶然だけど、あの時の彼女がどこにいるかもわかって
手紙も書いたりもした。
でも、届かない。手紙が届かないのではなくて、きっと
この気持ちが届かないのかもしれない。

時は金なりという。
僕は身分不相応な時間と金の散財をしてきたと思う。
無駄な時間の浪費、時間の浪費だ。
その根源は、病だろう。
もう無駄な時間もお金もないような気がする。

仮初の豊かさは、もろくも崩れる。
それでも、希望は少しだけ残して置きたい。

人に会えば、「えかっこしい」弱みなど見せられないが、
身体も心もボロボロなのに、人のお悩み相談を受ける始末。

もうだめだ、限界と思ったとき、
そうだ、ライブに行こうとおもった。
お目当てのシンガーのライブ。

いつもエールをもらえるライブ
きっと何かが変わるような気がしている。

久々に医療ネタ、今、流行の生物学的製剤とはいったいなんなのか。
すこし、まじめに書いてみます。


RA(リウマチ)、AS(強直性脊椎炎)、CD(クローン病)、UC(潰瘍性大腸炎)、ベーチェット病の治療薬、レミーケードを始めとする生物学的製剤は、バリエーションも増えているが、どういう薬なんでしょうか。
主治医から明確な回答を得られてない方も多いでは?それで、不安が増しているという方もいらっしゃるとおもいます。

一般にこれらの病気の治療は、免疫の過剰反応による自己免疫性疾患であるために、免疫を抑制する薬、抗炎症効果のある薬などが対症療法として使われてきました。
ステロイド(プレドニン)、サラゾスルファピリジン(サラゾピリン)などが中心の治療薬となっていました。
痛みのある、RAやASは、それに痛み止め(NSAIDs)を加えるというような症状を緩和する手段しかなかったといえます。

しかし、1995年にアメリカで発売された(FDA承認)、生物学的製剤インフリキシマブは、炎症の元を標的(腫瘍壊死因子)して、炎症を抑えるという画期的な薬として注目されて、2002年には、日本でおクローン病の治療薬として薬価収載(健康保険適応)となって以来、自己免疫性疾患の特効薬として多くリウマチ、ベーチェット、強直性脊椎炎にも適応されて、の福音をもたらせたとも言えます。

しかし、この生物学的製剤とは、これまでの薬と何が違うというのか問えば、
生物学的製剤とは化学的に合成したものではなく、生体が作る物質を薬物と使用するものですという回答となります。
現在日本でRA関節リウマチ、及び他の自己免疫性疾患の使用できる生物学的製剤は7剤あります。

腫瘍壊死因子(TNF)という分子と結合してその作用を抑制するもの5剤あり、キメラ型抗TNFモノクローナル抗体(マウス蛋白を25%含有)であるインフリキシマブ、可溶性TNFレセプターとヒトIgGとの融合蛋白であるエタネルセプトおよび完全ヒト型抗TNFモノクローナル抗体のアダリムマブ、ゴリムマブ、セルトリズマブで、それぞれレミケード、エンブレル、ヒュミラ、シンポニー、シムジアという商品名で使用されています。

是だけの説明でも、いったいどいうものなのか?この生物学的製剤というものの本質は素人にはとても分かりにくいです。
そこで、分かりやすく、これに近いものをあげるとしたら、抗がん剤ということになるでしょう。
例えば、インフリキシマブは、腫瘍壊死因子(TNF)という分子と結合してその作用を抑制するわけです。
これは、まさに抗がん剤そのものであり、しかも、体内の特定の分子を標的として、その機能を抑えることなどで病気を治療する(炎症を抑える)方法をとっているわけですから(インフリキシマブであればTNFを標的としている)分子標的治療ということになります。
平たくいえば、分子標的の抗がん剤の応用で、炎症を抑えているいう原理です。

要するにインフリキシマブを始め、多くの生物学的製剤は、抗がん剤であります。ですから、副作用も当然抗がん剤特有のものが存在します。
日和見感染、そして、他の正常な細胞に対して、悪影響があるので、ガン化しやすいという側面をもっています。
もちろん、抗がん剤として使う容量とはちがいますので、全く同じに考えるということはできませんが、使用にはそれなりの覚悟が必要といえます。
ご存知の通りリウマチ抗炎症薬として、有名なリウマトレックスは、メトトレキセートという抗がん剤の応用ですので、抗炎症剤(抗リウマチ薬)と抗がん剤は常に密接な関係にあるということです。
もちろん、「がん」と「自己免疫性疾患」とは、まったく異なる疾患ですが、免疫が大きくかかわっているため(免疫の異常)、治療薬がかぶってしまうという側面があります。

生物学的製剤は、日本でも2002年に薬価収載になったときには、入院しないと使えないとか、本当におっかなビックリで、生物学的製剤の使用を反対する医者も少なからずいました。

しかし、現在は、生物学的製剤を使わないことは、犯罪のように考えられているほど、この療法がスタンダード化されたことには行き過ぎを感じます。
このブログでも、生物学的製剤について、常に反対の立場をとってきました。
そのスタンスは変わりませんが、最終兵器として使うのであれば、それはそれとして重要なことだと思っています。
早期治療で、ドラッグフリーを目指せるという意見も増えて来ていますが、それは一つの考え方ではあります。
それより、長寿社会になっても人間の活動期というのは、限られています。
もし、生物学的製剤で、その活動期のクオリティーが保たれるものであるなら、
それは使うべきだと私も考えています。
しかし、生物学的製剤は、現在の最終兵器ですから、使用するにはそれなりの覚悟が必要ではないでしょうか。

光の当たる場面だけが強調されていますが、薬には作用と副作用がある、作用が大きければ副作用も大きい。
その辺をどう理解して、生物学的製剤を使うか使わないか、どう使うかは、それは「あなたの選択」に他なりません。

幸せの青い鳥 missrng

テーマ:

切ない思いで生きている。

空高く野路は遥かにたかく、
僕の気持ちは届かない

寂しいんです。
淋しいです
さみしいんです

寒いんです
隙間風を手で押さえても
塞がらないんです。

でも、ずっと高校生のときも
こんな風にいきていたのかもしれない

春のからっかぜ
誰が呼ぶ声にもこたえるものか
思う気持ちと裏腹
今は隙間風を手でおさえ
今日の生き恥かく♪

今は春ではないから、秋の隙間風だろうか。

50代、60代はレガートな恋とおもっていたが、
それは叶わない

君を想ってみた
そしたら元気なれた気がした
病床で見た夢はなんだったのだろう。
初恋の君と会えた夢

会いたい、会えない、会わない

きっと、そっと、どうぞそのままで。

幸せの青い鳥はすぐそばにいる。

幸せの青い鳥は届きそうで届かない
決して、追っても追っても、捕まえてはいけない。

でもまだまだ追い続けたい。
青い鳥が見えてしまった以上、
止まらない、止められない。

僕は森に探しに行くのだろうか。
もっともっと深い樹海に

missrng

♪ときめくだけの恋は 何度もあるけれど
こんなに切ないのは きっと初めてなのさ
染まりゆく空に 包まれて
永遠に語らう 夢をみた


I love you 僕だけの 君ならば
この道をかけだして 逢いに行きたい今すぐに
I miss you 許されることならば
抱きしめていたいのさ 光の午後も星の夜もBaby
Missing you ru ru ru・・・♪