QOLとQODを考える

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ゴールデンウィークの最終日、いかがお過ごしでしょうか。

すっかりブログから離れてしまっていた。

大切な人との永久の別れがあり、立ち直れないでいる。

覚悟はあったが、本気でなかったのかもしれない。

覚悟なんて、イイ加減なもんだ。

このブログで書いたように、昨年の7月に宣告があり、その通りに、奇跡は起こらず、

この世を去っていった。

総論では、わかっていることも各論、私論では、ちがってきますね。

 

治療方法の選択も、とっても簡単でないとおもう。

よく言われる、QOLの次はQOD(死に方の質)ということになるのだろう。

生を持って生まれた以上、誰でも公平に死を迎える。

が、その長さ、生き方死に方には差がある。

90年以上も生きて、人生を終えたのだからと、あきらめがつくかと言えば、全然(まったく)

そんなことなかった。

 

自分が病気あるために、状態も最悪で、看病も存分にやってあげられたかと言えば

悔いばかりが先に立つ。

お世話になった方への、巡礼をつづけることで、少し氷ついた心が解けてくるのだろうか。

 

またブログも書いていきたいとおもう。

また病気だけでなく、人生の落ちこぼれの自分、この数カ月狂ったように

夜の街をさまよい、女をくどき、そして病に挫けてる、自暴自棄の毎日

それは、自業自得。

 

それでも、真剣に、QOLをQODを考える毎日です。

 

 

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絶望の先の更なる絶望

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7月の絶望の時限爆弾が爆発した。
見ないふりしていたこの結末がここにある。
不安だし信じられない。
もうどうすることもできない不安の中にある
どうしたらいいのだろうか。
答えなどない。
天罰なのか、神に見放されたのか。
手足が震えて、言葉にもならない。
お許しを奇跡をまだかすかに信じているのだが、
絶望の中の未来は、奇跡よりもそれをうけいれることなのか。

 厭離穢土 欣求浄土

 

7月の時限爆弾が、今、わが身を直撃している。

もうどこにも逃げられない

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雪は積もった

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東京では、ご存知の通り、11月24日に初冠雪。

奇跡のような話。

イイ奇跡がおきたらいい。

 

近頃、僕のような、覆面ブログでも、正体を明かす人がいる。

しかし、どうなのだろう。

正体不明の方がいいだろう。

正体を明かせば、本当の知り合いが、コンタクトを取ってくれることあるのかもしれながいが、

覆面ブログを元々知ってる人もいて、更に複雑だろう。

だいたい、そいうのリアル友とかいうらしいが、リアルもなにも友達は不要。

 

このブログも誰も、ほとんど見ていないに等しいし、開設当初のブログ仲間も、みんな消えうせた。所詮、何をいいたいのか、覆面は覆面のままがいい。

覆面レスラーが、仮面をとるとき、それは最後のときだろう。

 

実は、しばらく軽井沢にいた。

そしたら、東京で雪とは、ビックリした。

 

軽井沢の雪は一気に来るなので、11月の雪は当然。

しかしなあ。軽井沢から帰ったら雪とは不思議ですねえ。

まだまだ、軽井沢ストーブの前で暖をとっていたいが、

何故か、軽井沢はあたたかんですが、暖房がしっかりしてるので、

とは言え、身体の悪いものとって、足元は良くないですね。

アイスバーンはあぶない。

というわけで、秋には退散、今年はぎりぎりまでいましたよ。

約3か月はいました。

 

東京のからっ風はみにしみる。

でも紅葉は、東京はまっさかり。

二回紅葉たのしめたかな。

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11月が、月末に近づいているが、明日は、50何年ぶりの雪がふるという。

積もれば、観測史上初だという。

嫌なことばかり、追い詰められることばかり、

夢は消えたんだ、そよ吹く風よ、人は悲しいね

ないもものねだりだけど、おいつめられっぱなし

なにも、のこりゃしない

健康、そして、お金、すべてないないずくめ。

 

あばらやには、隙間風、寒さに凍える。

明日は明日の風も吹かない

暗中模索、憂鬱な、気持ち、先がみえない。

 

せめて、明日の雪、つもらないで、

バタバタ、ドキドキ、ふらふら、くらくら。

人生は所詮、綱渡りといったのは、誰。

綱渡りに、怯えてる自分がみえる。

10月が終わる

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秋の始まりを感ずる今日この頃です。

暑かったり寒かったりで、でも、28日は冬を始めて、感じたきがします。

 

街をあるけば、煌びやかなネオンが、夜の街で

この世の繁栄のように、きらびやかに映ります。

今夏は、ほとんど入院で忙殺だれました。

生死とまでいかないけど、生死を本当に考えた。

この世の所業無常を感じます。

 

病気をすればお金もかかる、とりあえずお金のことはいいや

元気ならと、思えばそうなのだけど。

結構経済的なことは、答えます。

貧すれば鈍する。

生きるにも結局お金がなければという寂しい話になります。

 

お金は不浄なものではないけど、結局、病の中でくるしめられうこと、

それは、やはりお金なのでしょうか。

 

これからは、地獄の沙汰も金次第、三途の川も金次第。でしょうか。

寂しいじだいですね。

 

 

 

 

 

9.19

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あれから、一年経つ、

国会の強行採決から。

 

もう、みんな忘れて、豊洲問題でしょうか。

 

もちろん、それはそれで、大切な問題でしょう。

 

しかし、あの強行採決の屈辱は、忘れてはなりません。

 

とはいえ、参議院選挙で、与党圧勝。

 

更に、自民党と対立軸といいながら、

自民党 森派の小池知事。

 

確かに、豊洲問題は視点はいい、共産党も宇都宮氏も

すべて、都民のために共闘。

確かに、一見ホンモノにもみえる。

しかし、安倍総理の拉致問題に、似てないか。

一部を解決して根本解決には、至らない。

 

豊洲問題も、石原元都知事を功績を葬り、一部を解決し

根本解決至らない。

宇都宮氏も共産も使われているのではないか。

 

原点回帰、福島問題、8月8日の天皇のご発言(玉音放送)の

この辺をもっと深く考えるべきだろう。

 

小池氏はおそらく総理大臣を狙っているでしょう。

 

どちらに転んでも、森氏の手の中で、政治家も国民も転がされてる

に過ぎない。そんな気もする。

 

豊洲問題は、リベラル派を上手く集める口実。

徳川家康が、石田光成を悪者にして、豊臣恩顧の大名を取り込んだように、

自民党森派、小池知事は、共産、宇都宮氏、更にリベラル派、市民すべてを

豊洲問題指摘で、すべてを共闘をこえて談合してしまう。

 

おそるべし、原点はあの去年の強行採決。

2015.9.19 悪夢を忘れていけない。

 

「おまいら、武士の情けはないのか」と、当時の民主党の福ちゃんのさけびは、いまもわすれない。屈辱は今も健在だ。

 

豊洲問題、都民、国民は、だまされてはいけません。

 

 

 

 

 

選挙も終わった。

そして、体制は、現政権を支持して何も変わらない。

 

ついに、平成28年8月8日天皇の玉音放送。

 

それさえも、なかなか、その意味(本意)も国民に届いてないのかもしれない。

しかし、風は徐々に変わっていくと感じている。

 

自分の体調も最悪、家族も体調崩し、本当に辛い夏をすごした。

病院の窓から見る風景。

自分だけが社会から取り残されている。

そんな気さえした。

それでも、自分の不幸なんて、ちぃっちゃなことだと、言い聞かせても、

空しさが残る。

 

銀座でにでかけて クラブも行った。

気持ちが晴れない。

 

世の中は、何も変わろうとせず、強者の理論で、前に進む。

 

人には身を立たせるものがある、それは、健康であろう。そしてお金でもあるう。

人脈でもあろう。しかし、自分は持ち合わせいない。

 

これを貧しいと、よぶのだろう。

 

しかし、それでもやせ我慢して、豪遊し。

散財!

出来るうちはだけど。

 

病気は人を卑屈にする、その通りだ。

 

すべてが終わりかけたとき、何かの希望が始まるのかもしれない。

そんな、予感、仕事も最後のかけだぜ。

まあ、もう少しはいきられそうだから。

 

 

世相

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今日は、都知事選挙だという。


小池氏優勢は、マスコミが始めから打った。
情報、これを覆したいと、何故かみんなが感じないのか。

アナウンスですべてが決まる。
その結果通りになるというのか。
選挙報道操作に振り回される選挙はどうなのだろう。

小池氏は、橋元氏として第二与党をつくるとすれば、改憲勢力に加担する保管となるでしょうか。何がたくまれてるのか。だいたいみえてくる。
ただ、公明党は、面白くない自分たちの立ち位置存在感が弱くなるから。


よりによって、民進党の岡田氏が代表をやめるという、なぜ今、明日にしたらとおもう。


野党共闘の結末を、負けとみとめているようなものだ。



障害者殺害事件も、殺害者批判は当然だが、そういっものを作り出した、この世の中がもんだいなんであり、「罪を憎んで人を憎まず」のスタンスをくずしてはならない。

過剰な個人批判は、何も世の中をかえない。

みなリベラルさにあこがれ、それを信じ世界全体額数十年進んできた。
自分さえ守ればいい。
ネオ右翼の世界が再びおとづれている。


いくところまでいかなければなあらないの。

イマジン♪がたらなすぎる。

ジョンレノンが泣いている。

絶望のはじまり 祈り

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すべては絶望にみえる。
確かにその通りです。
崩れ落ちていく。

何一つ良い材料などない。

病気にかかれば、病に追い詰められるだけでなく。
経済的困窮がまっている。

医療費がどうのこうのという前に、稼ぎがともなわければ、
ストックは減る一方で、病気に困窮することは、病気だけでなく経済破綻をきたらし、
病気さえも治すこともままならい。

今私の取り巻いている環境は、ほぼ絶望にみちあふれている。
自分の病気に加えて、親の体調、経済的破綻?など。
なんで、こんなときにと。
本当におちこむばかりです。

しかし、きっと絶望はきっと希望への一歩と思えるようになってきた。
考えてもネガティブでもしかたない。

今は、現実に何もおこっていない。
来たるべき、恐ろしい事態も、やがて人間が病にかかり障害もともない、動けなく死んでいくというのは避けられないとすれば、はやめにある程度あきられたほうがいいい。

この年になると親のことも考える、何が何でも親より先には逝きたくない。
なんとしても、それは親が長く生きることもも確かに願うことではあるが、
しかし、それより自分が長くいきることである。

生き延びることこそが、最後の孝行でしょう。
そして共に過ごす時間を少しでも疎通をもって頑張りたい。

厭離穢土欣求浄土。

経済はあとづけで、やれることをというのが本音でしょうが、
それも長引けばそうとも、いえない。

辛いが笑うしかないのだろうか。

泣いても笑っても、怒っても何も現実はかわらないなら。

現実を受け入れて、祈るだけだろう。

他人事

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この世には、同時に楽しいことも、悲しいことも、同時に起こっている。

自分が楽しい瞬間、最高潮とき、同時に誰かの絶望が、重なっている。

そして、お互いが、他人事です。

でもそのなかで、共感できるなにかが、あるならぱ、それを探したい。

それは、愛なのか。

神なのか?

幻なのか?