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2009-01-31 11:09:23

忘れることより慣れることにした。

テーマ:ブログ

自分でも少し変なんじゃないかと思う。

思春期の少年じゃないんだから‥って、自分でも思う。


正直、理由がわからないんだ。

油断すると子供みたいに涙が出てくる。


弟にも言われたよ。

どうしようもないことで悩むなって。



その通りなんだよね。

昔、僕も言ったよ。

世の中にはどうにもならないことがあって

他人のことならなお更で

そういうときは、踏ん張って飲み込めって。


辛いことや悲しいことは、忘れようとしたって忘れられない。

だから、そういうときはね

飲み込んじゃうしかないんだよ。

どんなに固いものだって、いずれ消化されるもんさ

男ならさ、誰も見てないところで歯を食い縛ってね

それまで耐えるんだよ。

そんなことをさ、弟が塞ぎ込んでたとき言ったことがある。


どうしてか、今それが僕にはできていないけど

対処法は正しいと思う。そうあるべきだと今も思ってるよ。




よくある幸せを期待してたはずなんだ。

どうあれ、月並みの幸せを期待してたはずなんだ。


たとえば、それは

はじめての妊娠の、不安や喜びを分かち合うこと。


駅の階段の昇り降りで

「大丈夫?」って声をかけながら

後ろをそっと見守ること。見守られること。


少しずつ大きくなるお腹を

愛しそうに撫でること。撫でられること。


子供の将来や、名前の相談をしながら

気持ちの良い休日の川沿いを散歩すること。


わがままな要求に「やれやれ」と

渋々叶えること。叶えてもらえること。


お腹の子供を通して、疑うことも期待することもない

すぐ側にある、手に取ることのできる愛情を感じあえること。

たしかなものの温もりを抱きしめれること。


掛け替えのない幸せがあったはずなんだ。

あったはずなんだよ。





たった一日、数時間会った僕でさえ、

それはとても幸せなことなんだろうと想像できた。

そんな夫婦の気持ちも、笑顔も、温かみも

僕には想像できた。

もし僕が父親だったら、どんなに幸せだろうと思えた。

幸せを感じさせるたくさんの言葉をあげられると思った。


ほんの10ヶ月のことなんだ。

この幸せを感じあえるのは、たった10ヶ月なんだ。

人生に多くても数回の、彼女にとってはたぶん最初で最後の10ヶ月なんだよ。





人間はときどき選択を誤るもので

たしかにそれは、自分の責任でもある。

だから、悲しいことだけれど、仕方ないと思えなくもないんだ。


だけど、親は選択できない。

選択できないからこそ、無条件の愛情があるのだし

支えになるんだと思う。


もし、僕が彼女の父親だったら

その悲しみを補おうと必死になるだろう。

寂しさを和らげてあげようとするだろう。

夫婦のいざこざから離して、子供のためだけの10ヶ月にしてあげようとするだろう。

問題の解決は生まれたあとにすればいい。きっとそう思う。

なにしろ、こうなれば

彼女と彼女の子供を守れるのは親だけなんだから。


なのに、なのにそうはならない。

どうしてそうならないのか僕にはまったく理解できない。

離婚させたくない気持ちはわかる。

わかるけれども、どんな想いで娘が逃げてきたのか考えもせず‥

いや、これ以上は言わないことにする。

僕は夫よりも彼女の両親に怒りが込み上げてくる。

もし、僕が彼女なら、こんな親ぶん殴って唾吐いて縁を切るよ。本気で。






たしかに、そんなのは彼女だけじゃない。

世の中には同じような人がたくさんいる。

もっと悲しい人もいるよ。



だけど、僕は見ちゃったんだよ。

彼女のバックには「お腹に赤ちゃんがいます」と書いた

キーホルダーのようなものがくっ付いてた。

たぶん、雑誌か何かのオマケなんだろうと思う。

安っぽくて切ないキーホルダーだった。


彼女は1人で、その子育ての雑誌を買い

なにかあったら大変だからと、その安っぽいキーホルダーをたった1人でつけた。

一人ぼっちでつけたんだ。

僕はそれが悲しくてたまらない。

それを思うと、今も涙が出てくる。

たった一度きりの人生なんだよ?

どうしてこんなことにならなきゃいけないの?


たぶん、そのことを彼女に言えば、笑って否定するだろう。

でも、そういうことじゃないんだ。

僕は既に泣いてしまってるし、悲しいと思ってしまった。

もう彼女の気持ちとは別にあるんだ。

誤解だろうがなんだろうが関係ない。


そして、それを僕は飲み込めないでいる。

それが悲しすぎて飲み込むことができない。





今、僕の心は彼女への想いで一杯になってる。

少し揺れただけで零れてしまいそうなくらい。

泣いてしまうのだから、たぶん零れてるんだろう。

重たくて、窮屈で痛い。


嘘でも「どうあれ彼女の人生なんだ」と、

昨日の雨に流してしまえばいいとも思った。

飲み込めないのだから、それも仕方ないと思った。

冷たいけれど、できないわけじゃない。

口ではいろいろ言ってるけれど

僕は誠実でもなければ、優しくもない。

身勝手で適当な人間なんだ。


でも、それはしないことにしたよ。

慣れようと思う。

今は、窮屈で痛くて悲しくて

ときどき零れたりもしてるけど

それを日常にしようと思う。

まるで隣にいるように心配し続けながら

僕は笑ったり楽しんだり喜んだり

ときには誰かを愛したりするよ。


5年前、僕は彼女よりも自分の生き方を選んだんだ。

だから今、曲げちゃいけないと思う。

彼女を落胆させた生き方で、彼女を想い続けようと思うんだ。

なにひとつできないんだけど、無意味なことなんだけど

まるで隣にいるように心配してくれる人がどこかに居るってこと

僕、そんなに悪いことじゃないような気がするんだ。

とても静かに、空気みたいにね

きっとそんなこと彼女は気づかないまま時は過ぎていく。

いつか僕のことなんて忘れてしまう日がくるのだろうし

そうなって欲しいと心から願うけれど。



彼女だけにじゃないよ。

僕の知ってる人、みんなさ。

もし、同じような悲しいことがあったなら

同じように想うよ。

そうして、僕の心はどんどん大きくなって

地球をすっぽり入れてしまえるくらい大きくなったら

それってすごいことじゃない?


まぁ、この適当に膨らませた夢物語が

彼女を含めた大切な人から愛想をつかされる理由なんだけどね‥

2009-01-28 22:47:19

残影に耐える。

テーマ:ブログ

二度目の別れを経験してる。

昨日の残影で一日を過ごした。


無駄だとわかっていても

僕は想ってしまう。

悲しんでしまう。

僕がどれほど悲しんだところで

なにひとつ変わらない。それは十分わかっているのだけれど。


ピアノの鍵盤をポンと叩いたその音で

どうにか押し留めていた感情が溢れてしまう。

嘔吐するように

成す術もなく、それが出き切ってしまうまで

流れ落ちていく残影と遠い記憶を眺めているだけ。




ただ、目の前の人が

一緒に笑ったり泣いたりした人が

気持ちを預け合えた人が

とてもとても大好きだった人が

悲しい思いをしているのが耐えられないだけなんだ。

それをそのままにしておくしかない今を呪いたいんだ。

何一つしてあげられない自分が許せないんだ。


偽善とか、格好をつけたいとか

僕もそう思いたいけど

そんな余裕が欲しいよ。

そんな余裕をいつか得たいよ。


どうにもならないものは、どうしようもない。

そんなこと僕にだってわかる。

僕はそんなに恵まれた人生を歩んできたわけじゃないし

自分のことなら淡々と受け入れることだってできる。

そういうことに、僕は慣れている。








僕こそここに留まってはいけない。

僕の生きる場所ではない。

そこでは、僕が大切にしているものたちが

誰かをきっと幸せにすると信じられるものたちが

人を苦しめることになる。

気持ちを逆撫でる。

そして僕は、

信じているものたちを貶められていくのが耐えられない。

僕が居てはいけない場所なんだ。



闇を手探りで歩くなんてこと

僕には特別なことじゃない。

むしろ、ずっと闇の中にいた気がする。

敷かれたレールの上を歩いていた頃

ずっと昔、もう思い出すこともできない。


それだって、目を凝らしてみれば

小さな希望も見えたんだ。

最初、それはテレビの中の架空の話だったり

誰かの伝記の滑走路に落ちていたり。


もちろん、それは僕のものではなくて

それが本当に希望なのか

不安を抱えながら

それでも、それしか見えないから

辿るしかなくて。


いつか僕は自分の希望を見つけて

でも、道に迷って諦めたり、突然、消えてしまったり

もっと大きな、たしかなものを、信じきれるものを見つけたいと願って

ようやく、本当にようやく見つけることができた。



これまで僕が生きるってことは

そういうことだった。

僕はその過程で、たくさんの人と出会い

たくさんの人と別れ

ある人は僕と一緒に歩んでくれて

ある人は僕の妨げになり

ある人は僕の歩き方を馬鹿にもしたし

好感を持ってくれた。



人生は苦であると、お釈迦様は言ったけど

実感を持って、僕はその通りだと思える。


現実は深い闇に覆われていて

すべての人と共感しあえることはなく

どれだけ大きな感情でも、あるとき露と消えてしまう。

たとえそれが愛情だったとしても。



僕はたぶん、それなりに幸せな家庭に育ち

それなりに幸せな人間関係の中で

それなりの苦労や喜びを感じながら生きてきた。

特別な不幸を背負ったこともないし

特別な幸運を掴んだこともない。


それでさえ、僕はそういうものだと思えた。

考え過ぎてるわけでもなく

とても自然なかたちで実感できた。




深い闇に生きざるを得ないのだから

希望や理想のために生きようと思う。


共感しあえないからこそ

言葉を尽くそうと思う。


気づけば、消えたり、変わってしまう感情だからこそ

惜しみなく、でもとても大切に扱いたいと思う。



どうしてそんなものに目を奪われるんだろう。

そんなの当たり前のことじゃないか。

どうあれ時間は刻一刻と過ぎていく。

後戻りはできないんだ。


後戻りできないから後ろを見るんだ。

悲しいからたくさん笑うんだし

寂しいから一緒にいたんじゃないか。

人は必ず死ぬから生きようとするんだ。

どうしてそれを。





















2009-01-27 23:45:50

前の彼女に会う

テーマ:ブログ

前の彼女に会うことになった。


メールや電話で聞かされた経緯や現状や

彼女の両親や夫、なすすべなくそこに留まってる彼女自身に

強い憤りや苛立ちがあった。

そして、僕がなにをしても、なにひとつ得るものはなく

憤りや苛立ちが解消することもなく

むしろ、どうにもならないくらい膨らんでいく。

さすがの僕でも、そのくらいはわかっていた。

わかりすぎるくらいわかっていた。


でも、僕は本屋でお土産を選んでた。

急だったからそんなものしか選べなかった。

本当はあったかい帽子をあげたかった。



妊娠中の女性が日々の変化を書いていく小さな日記。

表紙のデザインがとても優しそうに感じた。

それに、そうした日記を綴って生まれてくる赤ちゃんは

きっと幸せだろうと思ったから。




駅のホームに現れた彼女は

別れたあの日となにひとつ変わっていないように見えた。

もう、5年も経っているのに

あの頃とまったく変わってなかった。

あの頃と同じように、あの頃と同じ声で

僕の名前を呼んで笑ってた。

そして、すんなり僕の横に納まって

昔、僕たちが電車を待つとき、必ず向かった先頭車両の止まる方へ歩いた。



本当に、まったく、驚いた。

どこにも老けた様子はなく

昔と同じ、品よく茶色い髪が肩まで

その肩は風で折れてしまいそうなほど華奢で

少し冷たそうな造りの顔

僕が大好きだった、とてもとても綺麗な目

それが僕に向くとき、綺麗な目が優しい目に変わる。


彼女も僕を、変わってないと言った。

髪の毛が伸びただけだね‥って言ってた。

実際、それだけじゃないのだけど、彼女にはそう映るのかもしれない。

でも、間違いなく、僕よりも彼女の方が変わっていない。

6ヶ月のお腹は、たしかに膨らんでいたけど

不思議なくらい変わってないと思った。





一通り変わっていないと言い合って

やってきた電車に乗り込むと

もう、昔と同じように話をしていた。

5年なんてたいした時間じゃないような気がした。

本当に昨日会って別れたような気持ちになる。



僕たちは彼女の住んでいたマンションに向かった。

なにやら荷物を取りに行くらしい。

彼女の着替えと、夫のスーツ。

僕はその両方を持たされたけど

夫のスーツだけは側を流れてる川に投げ込んでやろうかと思った。

もちろん冗談で。


僕は憤りや苛立ちがうまく抑え切れなくて

ときどき彼女を怒らせてしまったけれど

それもあの頃と同じように、すぐに元に戻って

だけど、笑うことが少なかったと思う。

昔はもっとたくさん笑えていたような気がする。



マンションの側にある高層ビルの屋上でランチを食べた。

場所にしては驚くほど粗末なものだった。

まるで学食のような、市役所の食堂のようなランチだった。

でも、彼女は喜んで食べていた。

買い物に行く途中、よく通るらしく

いつも気になってたから入れて良かったと言っていた。

数ヶ月という僅かな期間だったけど、彼女はここで暮らしていたんだと思った。


僕たちは外の景色を眺めながら

価値観の違いで穏やかに揉めた。

昔も同じことをずっと言い合ってた。


彼女から見た僕は、現実の伴わない空想に捉われた幼稚な男で

僕から見た彼女は、理想や希望の伴わない現実を振り回す哀れな女で

僕がどれだけ空想的じゃないことを、彼女以上に現実的であることを

たとえ話を交えて、理論的に説明しても理解してはくれない。

そして「5年経って、なにひとつ変わってないじゃない?」と。

それはたしかにその通りで、僕は黙るしかなくなる。

正しいことを証明できるものを、5年前と同様、1つも持ち合わせてないのだから。


だけど、彼女の言うことに納得することもない。

ひたすら現実を振り回す彼女に、僕もいい加減うんざりして

「でも、今、実際この通りじゃないか?」と。

すると、彼女は怒り出す。それはしかたない。言い過ぎたと思う。



産婦人科で撮った

お腹の赤ちゃんの写真を見せてもらった。

1ヵ月置きに撮られた写真は

少しずつ大きくなる赤ちゃんの様子が見れた。

最後、6ヶ月目の写真は

もう大きくなり過ぎて、足だけしか写ってないと言う。


わからない。わからないけど、とても感動した。

生命の神秘?違うと思う。

彼女が子供を身ごもっているということが

とても感動的で、とても嬉しく思えた。

まるで自分の子供のように?どうなんだろう?

でも、なんだかその小さな陰が

とても愛しく思えた。

僕は危うく泣きかけた。本当に危うく。



もう少し遊んでいたいというのでカラオケに行った。

きっと、一時的にでも忘れていたいのだろう。

僕はもっと深く、傷つけることになるだろうけど

解決のための話をするべきか

それとも、一時的な楽しみに付き合うべきか悩んだ。


でも、解決のための話なんて

彼女を傷つけるだけのような気がした。

どうせ彼女は何もできないし、なにもしないんだ。

このまま何かが変わるまで、なにも変わらなくても

そこに留まることしかできないんだ。

仮に、それが間違っているにしても

いや、僕は実際、間違っていると思うのだけど

お腹の赤ちゃんのことを考えれば、

今はこれ以上、傷つけてはいけないと思った。



うるさいくらい大きな音の小さな部屋で

突然、彼女は泣いた。

きっと、歌のなにかの部分が

彼女のなにかに触れたんだろう。

楽しかった昔のことか

それとも、現実を目の前に晒したのか

必死に涙を抑えようとする彼女に

大丈夫だよ、と、頭を撫でてあげることしかできない。


いったい、何が大丈夫だと言うんだろう?

僕にはもう何かをする資格なんかないのに。

やり切れない。本当にやり切れないよ。



彼女の地元に戻って

友達が働いてる料理屋に行った。


僕の知らない友達。

とても明るい人だった。

少し救われた気がした。きっと彼女も救われた気持ちになるんだろう。


厨房にいるオーナーが彼で

彼と二人でお店を切り盛りしている。

少し言い合いながら、でも、とても楽しそうで

料理もおいしかった。


僕も昔、こんな風に毎日を送れたらと思っていた。

そして、それを実際にやろうと考えてた。

でも、彼女は反対した。


僕は幸せそうに働く二人を、とても羨ましく思った。

彼女はどう思ってるのだろう?

結婚して、あんな風に毎日を送ることを想像してたのだろうか?

彼女は旦那の経済力を頼もしく思って結婚したと言うけど

きっと、それだけじゃないはずだ。

当然、こんな風に

幸せも感じたかったんだと思う。




そのお店を出ると、またしても僕たちは

価値観の違いから言い合いになって

別れたのは仕方のないことだったんだとはっきり思えた。

どうしても理解し合えない。どうしても認めることができない。

こんな状態でさえ、僕は譲らない。



譲れないんだ。どうしても譲れない。

人は自分を犠牲にして大切な人を守る。

自分よりもずっと大切に思うものだってある。


事実、僕は、

当時、彼女を自分より大切に思っていたし 犠牲なんて厭わなかった。

だけど、彼女よりも僕の生き方を優先させたことも事実で

生き方と僕が同じものだとしたら、たしかに僕は

自分が一番大切なのかもしれないけれど

でも、僕は譲れない。

絶対に自分よりも大事なものがこの世界にはある。

必ずあるんだ。


たとえ世界中が、彼女や彼女の両親や夫のように

「自分が一番、可愛い」と、思ってたとしても

僕だけは違うし、僕は違うと言い続けなきゃならない。

だって、それが希望じゃないか。

希望がなければ、絶望したときどうすればいいんだ?



ただ、もう僕にはそれを彼女に証明する手立てはない。

そんなことできる資格もない。


さっき見た、涙を抑える彼女の姿に

僕は言い合いになったことを謝った。

どうしてこうなっちゃうんだろう‥

僕はただ彼女を傷つけてるだけのような気がする。



僕たちは駅に戻り、反対側のバス停まで歩いた。

昔と同じように

帰り際になると、それまでどうあったとしても

相手を思い遣る言葉ばかりになる。


バス停が近づくにつれ

彼女の頭は実家でのゴタゴタのためにまわり始め

言葉数も少なくなる。

彼女の背中は、あまりにも華奢で

背負ったものに今にも潰されてしまいそうで

そっと支えてあげたくなる。

でも、僕にはできない。


すぐそばで、ギターを持った青年が

お客一人を前にして歌をうたっていた。


たしか、雨宿りがどうのという歌詞だったと思う。

思ったよりも出来栄えのよいメロディーで

熱心に見つめてる女性の気持ちもわからなくもない。


たぶん、彼女もその歌に耳を傾けていたのだと思う。

バスがやってくると、僕が持ってあげていた荷物を

慌てて取って「じゃあね」と、乗り込んだ。

僕は頷くだけだった。


走り出すバスに「がんばれ」と、念じてみたけど

いったい、なにを頑張ればいいのだろう?

我慢すること?

人生は一度きりなのに。


彼女が僕といたとき

突然、泣き出すことなんかなかったよ。

僕はいろんなものが足りてなくて

悲しませたり苦しませたりしたこともあったけど

どうしてこんな風になってしまうんだろう?

そのときよりも幸せになってくれなきゃ

僕のほうが切なくてたまらないよ。


昔の彼女に会うなんて、はじめてのことだったけど

会ってよかったのか、よくわからない。

僕も彼女も傷ついてしまった気がするし

いや、僕はいいんだ。

そうなることくらいわかってた。

たとえ傷ついても、そこに何があるのか知りたかったから。


「今日はありがとう」

メールがきた。

ありがとう?


僕がテレビを見て笑ってるとき、堪えているのかもしれない。

それなのに、ありがとう だってさ。

やりきれないよ、まったく。























2009-01-25 19:57:11

本日、落胆する。

テーマ:ブログ
すっきりと晴れた空なんかありゃしないのに

すっきりと晴れた空を期待しちゃう。

僕はそれを何度も繰り返して、繰り返して

それでも、まだ、学習できてない。


映画や小説や

歌詞なんかには

あり過ぎて飽きられてるくらいなのに

実際はないものなのか

それとも、僕に訪れないだけか


僕の周りにはありそうなのに

電車で乗り合わせた隣に座る人にはありそうなのに

年賀状のクジの

切手シートくらいの確率で

それはちゃんとありそうなのに


だけど、僕も昔

ずっと前に見た気がする。

すっきり晴れた空のような気持ちが

あった気がする。


やるべきことは定められていて

迷うことなく決断できた。

そして、結果訪れるものは

1つ残らずピタリと一致していて

「ほらね、言ったとおりでしょ?」って。



たぶん、複雑になった。

世界が、みんなが、僕が複雑になった。

歳を重ねたぶんだけ、たくさんのものが見えるようになった。

たくさん余計なものをみてしまった

僕も、みんなも。



過渡期ってあるけど、過渡期だと考えられないときもある。

変わってしまったんだな‥って

変えられてしまったのかな‥って。


あるときまで

歳を重ねるだけ成長するって思ってた。

経験は積めば積むだけ人を大きくさせるものだと思ってた。

でも、経験が曲げてしまうこともある。

なにせ最善の選択の繰り返しが、最善の未来に繋がるとは限らないのだから

むしろ悲しい未来にそれは繋がってる。

逆算して選択の幅を狭める。

自由を放棄する。違う、放蕩を自由に正す。

やっぱり夢は持つべきだと思うな。







2009-01-24 00:31:07

1月23日(金) 昼下がり 

テーマ:ブログ

今日の昼に、もう昨日か‥

昔の彼女から電話があった。

正直、僕はすごく混乱した‥




僕のどこかに何年もの間眠り続けていた声。

思ったよりもずっと耳に馴染むのがはやかった。

どうしてだろう?

まるで昨日もこうして話をしてたみたいに

すごく自然だった。すごく自然に言葉が出ることに驚いた。



噂には聞いていたけど

結婚している事実を本人から告げられて

ほんの少し動揺した。

でも、もちろん残る想いに縛られることはない。


結婚して数ヶ月、もう離婚の危機らしい。

ホッとした?それとも期待した?

いや、わからなかった。

淡々と事実を聞いただけで、感想もなにもない。





だけど、彼女、妊娠していた。

ショック?

いや、わからない。

ただ、不安になった。とても不安になった。

森の中で深い穴に落ちて途方に暮れてる彼女を想像した。

本当は、脅えて震えてる彼女を想像しそうになった。

でも、それは想像したくなかったんだ。



でも、喜んでた。

子供ができたことを喜んでた。

それを聞いて、僕の気持ちはすっきり晴れた。

よかったと思った。本当に、心から。

もう6ヶ月、僕と同じ誕生月になりそうだ。



話のほとんどは、夫への苛立ちだった。

僕はところどろこ納得できた。

結婚までの経緯も、実家に戻るまでの経緯も

僕の想像したものと、ほとんど変わらなかった。

そうなるべくしてなった。と、僕には思えた。

どうあれ、もう彼女の性格では元に戻ることはできないだろう。



2時間くらい話をした。

昔話や、これからのこと、これまでのこと

僕には少し耐え難い話題もあったけど

なにより、長い時間の経過を感じた。

そして、僕だけが取り残されてるように思えた。

あまりにも僕は変わらなさ過ぎる。

彼女にもそう言われた。




彼女はたくましく生きてた。

僕の心配なんかよそに、すごくたくましく生きてた。

それが嬉しくもあり、少し寂しくもあった。

そして、少しだけ大人になっている気がした。

それも少し寂しかった。

やっぱり僕だけが変わってない。

いや、もしかすると、変わりすぎてしまったのだろうか。





僕は別れるときから、こんなこともあるだろうと予想はしてた。

両親は変わった人だし、彼女も知恵のまわるタイプではないし

だから、苦しいとき、困ったとき、悲しいとき

1人で抱え込んで、抜き差しならないところまで追い詰められてしまいうことのないように

心から願った。

もし、そんなときは、

僕に大切な人がいようが、彼女にいようが

愛や恋なんか関係なく、僕がどうにかしようと思っていた。

必ず連絡するようには伝えてあった。






だからなのかはわからない。

そう伝えたところで、昔の恋人に助けを求めるなんて

なかなかできないだろう。

でも、僕たちはよくある20代前半の恋愛をしたわけじゃなかったから

たぶん、僕の気持ちはちゃんと理解してくれていたのかもしれない。




きっと不安だったんだろう。

1人で抱えきれなかったんだろう。

実家に戻ったといっても

両親からは離婚に反対されてるらしいし

逃げ道やホッとする場所が必要だったんだと思う。

これからのこと、これまでのこと

もし僕ならとても不安になる。不安になるよ。

そして、その相手に僕を選んだことは

正しいと思う。たぶん、正しいと思う。





話をしているうちに

だんだんと僕の記憶にある彼女が更新されていく。

もう、この電話の先にいるのは

あの頃の彼女じゃないとわかる。


僕はそれも少し寂しかったけど

なんとなく安心した。

変わってくれたことで、僕は昔の想いに縛られることもない。

だけど、ちゃんと心から心配することもできた。

気持ちが風化してしまってはいない。

きっと、僕には何かができるような気がした。


彼女が望むなら

望むぶんだけ手助けをしよう。


なんとなく、ようやく終わったと思った。

もう過去の彼女に縛られることはない。

これも新しく歩む道の過程にある出来事。

そんな風に今は思えてる。














2009-01-23 12:30:34

派遣の問題

テーマ:政治関係

派遣社員の経験がないから

派遣会社と社員の関係、契約がどういうものだかわからない。


だけど、まるで難民キャンプみたいな派遣村を見てると

いったい、この人たちの所属していた派遣会社は

どうなってるのだろう?と、思う。


契約していた企業を擁護したいわけじゃなく

経営不振が直ちにリストラに繋がるような考え方、経営方針に

ひどく疑問を持つけれど

これ自体は、一応、派遣契約に沿ったものだと思うし

そういう利点を買って派遣社員を雇用したのだろうし。


今回の件でよく取り上げられる

2004年の派遣法改正

製造業の派遣解禁ね。

これが悪かったって話。


たしかにさ、製造業への派遣が禁止されたままだったら

こんな問題にはならなかったと思う。

だけども製造業って

もともと外部社員だらけで、彼らなしには成り立たない状態だったよ。

2004年の解禁後に変わったのは、請負から派遣へのシフトでさ

請負と派遣の違いは管理責任の所在の違いで

このシフトもまた問題解決の手段として取られたものなんだと思う。


その問題ってのは

偽装請負や請負で働く人の労働環境の問題で

請負ってのはさ、要するに

自動車会社が使われるネジまでつくるのは大変だからね

ネジを専門につくる会社に頼むのさ

アウトソーシング、外部委託ってやつなのかな。

請負会社は頼まれたネジを完成させて納入することで品代を貰う。

よくある企業と町工場の関係だよね。

だから、そこで請負会社で働く労働者は、請負会社の社員で

指示や命令は請負会社がする。

労働環境は請負会社が整える。当然でしょ?


本来そうある請負なんだけど

でも、企業が直接、請負会社の労働者に指示命令を下して

労働させる状態が起きたんだ。



たぶん、こういうことなんだと思う。

ネジならネジで完成させれば終わりだけど

企業側が「この過程からこの過程まで完成させてくれ!」と、請負会社と契約する。

そうすると、請負会社の社員は

企業の工場に働きに行って、作業をはじめるんだけど

企業側が、「こうしろ、ああしろ、いつまで働け、いつ休め」と、

まるで企業に雇われた労働者みたいに扱われてしまう。


彼らの安全管理や労働環境は、請負会社の社員なんだから

当然、請負会社が整えるものなんだけど

だけど、労働現場は企業の工場で指示命令も企業が出して

管理するのも企業がするわけ。だけど、そこに責任がない。

そんな状態だからひどく曖昧になっちゃうんだ。





これだとさ、企業側はすごくやりやすい。

雇用契約は請負会社がしてるから、

首にしたければ

請負会社に「あいつはもうこさせるな!」と、言えば済むわけで

解雇で発生する様々な責任から解放される。

安全管理や福利厚生、労働条件の問題なんかも

請負会社と請負社員の関係で話し合われるべきものだから

企業側はなにひとつ手を打たなくても平気。


しかもね、請負会社と企業との力関係から

「せざるを得ない事情」という形じゃなく

それを目的にした偽造請負会社も出てきた。

当然、違法だよ。

請負会社の社員に企業側が命令や指示を出した時点で違法。

でも、製造業と労働者の関係って、こういうことがずっと続いてきてたんだ。


こんなの変でしょ?酷い話だよ。


そこで派遣の解禁になったわけだ。

派遣社員の管理責任は、派遣先の企業と派遣会社の両方が持つ。

そのかわり、命令や支持は派遣先の企業が出す。

ただ、派遣契約は一年だったのね。

一年で自動的に解約。

これじゃ業務に支障が出るよ。派遣社員もせっかく慣れた仕事だから困る。

なにせ一年で終わりだからね。

だから、両方からの要請で3年に引き伸ばされた。

偽装請負が社会問題化して、企業はたくさんの批判を受けたこともあったし

請負から派遣へのシフトが進んだんだ。


たしかにね、これは請負の問題を解決するための手段だった。

でも、明らかにとるべき手段を誤ったと思うね。

はっきり言えば、偽装請負の合法化だよ、これは。


それを決定的に知らしめたのが派遣村のような気がする。


僕はね、たとえ派遣先の企業に契約を切られても

当然、派遣会社が面倒を見るものだと思ってた。

次の仕事の斡旋も、決まるまでの保障や、技術の向上とか、新しい技術の獲得も

派遣会社がやるのだと思ってた。


もし、健全な請負契約をしてる会社だったら

ネジをつくる町工場だったりしたら

違う仕事を必死で取りにいくだろうし

ネジの改良や、コスト削減や、新技術の開発なんかに取り組むだろう。

それでもしダメなら倒産だけど。

なにしろ、社長から社員まで一丸となって自分たちの生活を守るために努力するよ。


派遣会社はさまざまな人が契約してるわけだから

力をあわせて危機に対応することはできない。

できないからこそ、仕事の斡旋や保障や技術の獲得に力を入れるべきだと思う。


派遣会社は昨年度、過去最高の利益をあげたんだそうな。

なのに、派遣村のようなことになってる。

今年は2009年で

派遣期間の見直し、1年から3年に引き伸ばされた改正で

ちょうど派遣期間の満了の年になる。

約9万人が期間満了で仕事がなくなるそうだ。



一応、派遣は3年満了で、それ以上は働けない。

それでもその仕事場で働きたいなら

3ヶ月の空白期間の後、再契約することになるらしい。


これは、正社員として雇用させることを目的にした制限で

3ヶ月の空白は企業にとっても支障になるから

一部では、直接雇用に切り替えるところもあったらしい。

だけど、それでも正社員というかたちではなく

契約社員、期間工扱いの場合が多く

好景気を前提にすれば、その制限も生きたかもしれないけど

この不況下では逆にリストラの名目になる。



ほんとにこれは大変な問題だよ。

失業者が増えるってことは、満足な消費者が減るってことだよ。

そうすれば、全体の消費が減る。消費が減れば商品は売れない。

商品が売れなければ、働く人の給料が減り、

生き残りのためにリストラもある。下手をすると倒産してしまう。失業者が増える。

負の連鎖が続くんだ。しかも雪だるまのように

まわるたびに大きくなる。

春先程度の陽射しじゃ溶けないくらい大きくなっちゃう。


誰かがこの負の連鎖を止めなきゃならない。

でも、大企業は率先して雪だるまを転がしてるよ。


特に外需企業、自動車関連や、電気機器

トヨタやソニーやキャノンなんかだよ。

もう国内消費なんか無視しちゃってる。

国内がどうなろうと関係ないんだね。

数年前、あれだけ利益をあげといて、今度の不況で耐えることもしない。

あっさりリストラだよ。



僕はこれもしかたないと思う。

企業倫理が変わったんだ。既に変わってしまっているんだよ。

それも企業の生存をかけた変革だったんだ。


最近じゃ、ようやく小泉構造改革が批判されはじめて

たしかに、それも原因だろうと僕も思う。

派遣法改正など、法制度改革を原因にあげるのも正しいと思う。

でも、問題は法制度を改革することで

その法制度の内に側で生きる人間、企業の倫理観が改革、変化してしまったこと。

これも気にしなきゃいけないことだと思う。


グローバル化した世界で生き残るには

企業理念や企業倫理を改革する必要があった。

必要があるというより、そこで生き残るためには

そうしなきゃならなかったんだと思う。


そうすれば、そこで働く人たちも生き残りをかけて

意識改革しなきゃならない。

価値観の変換に迫られる。


人間の意識改革は、社内だけで留まるわけにはいかない。

家庭内でもその価値観が持ち出され

教育にも生き残るための意識改革が必要になる。



今はまだ、意識改革は企業内で留まっているように見える。

だけども、この不況での首切りで

たくさんの人が怖れ、たくさんの人が不満を抱いた。



これを機に、企業理念に沿う人間になることで

生活を守り、生き残ろうと考えるのか

こんな企業理念は間違いだと

自分ではなく企業を、世の中を変えるほうに動くのか。



ただ、企業を世の中を変えようとするなら

一体、何が原因になっているのか知る必要がある。

最善の選択の繰り返しが、最善の未来に結びつくわけじゃない。

根本的なところを変えるしかないよ。


要するに

新自由主義を捨てることなんだけど

すると、他に代わるものが必要になるよ。

なにしろ、その前にさ

様々な変革や、考案される法や制度は

主義・思想が基になってることを理解しなきゃならない。

でも、それは無理な話なんだと思う。

そんなことできる土壌がないもの。
































2009-01-21 21:37:47

外国人が見分けられない。

テーマ:ブログ

外国人の見分けがうまくできない。


昨日のお昼に

テレビ東京でポリスアカデミー2を見たんだ。

最初はなんとなく眺めてて

気がつくと、思いっきり嵌ってた。

すげーくだらないんだもの。

途中で宅配便の人が来たんだけどさ、ちょっと恨んだよ。

あんな映画撮ってみたい。


そんなことで、今日

オバマさんの就任式を見たんだけど

どうもそのポリスアカデミーから抜け切れてないみたいで

今か今かと笑うところを待っちゃってた。



正直、僕にはよくわからないんだ。

黒人初の大統領で、歴史的な‥とか、言われてるけど。

ただ、よくわかるのは

オバマさんはすごいたくさんの人に期待されてる。

本当にたくさんの人に期待されてるね。


もちろんオバマさん自身にそれだけの能力があるからだと思うし

世界に対する、アメリカという国の影響力の大きさもあるし

国民性もあるだろうし、国民が民主主義に馴染んでることもあるのだろうし

強い愛国心もそれを加速させるのだと思うけど

なにしろね、何かを変えるのは

この膨れ上がった期待なんだと思う。






僕はこんな風に素直な期待を抱けるアメリカ人を好ましく思える。

そういうと、すぐに選挙制度の違いを指して

日本も大統領制に‥とか、そんな話になってしまうけど

そういうこととは別にだよ。


なんていうかさ、陽気さっていうのかな、素直さ

そういうの僕、好きだからさ

たしかに、それは馬鹿っぽくも映るんだけどね

でも、諦めていたり、斜からばかりものを見たり

裏切られることに脅えていたり、格好悪いことだと思ったり

そんなのより、ずっと素敵だと思うよ。



陽気さとか素直さを持ち続けることはさ

並大抵のことじゃないと思う。


普通さ、子供のままの素直さを持ち続けることは無理なんだよ。

人は生きてれば、素直さを閉じてしまいたくなることばかり。

裏切られたり、恥ずかしい思いをしたり、馬鹿にされたりね

特別なことじゃない。そんなのは日常なんだ。


それでも、稀に素直な大人もいるよ。

でも、それはさ、子供のままの素直さを持っている人じゃないと思う。

そういう日常に耐えたのではなく、晒され続けて

もうすべてを諦めている人なんじゃないかな。


まったく期待をしない人なんだよ。

まったく素直じゃない人なんだと思うんだ。

期待は叶えられない。偽善に満ちている。

人は利害でしか結びつかない。

すべてが綺麗に包まれた欲望、私欲だと。


この世界はそういうものだと思ってる。

だから、素直でいられるんだと思う。陽気に生きられるんじゃないかな?

僕はそんな風に思うんだ。



逆に、斜めからばかり世間を見てる人や

期待をしない人、自分の力だけを頼る人

弱肉強食が理だと思ってる人、諦めている人

そういう人たちは、この世界に期待している人たちだと思う。

期待できている人たちだと思うんだ。

だから嘆く。口にはしなくても、行動が嘆いてる。

日常の悲しさや、醜さから目を背けているように思えてしまう。


僕が見てきたものが

本当の絶望で、それがこの世界のあるがままの姿‥

そんな風に思ったりはしてない。

そんなわけないもの。


でもね、ニヒリズムに浸れる人ってさ

恵まれた人だと思うんだ。

そんなところでウロウロしてても

支障なく生きてられるんだもの。


もちろん僕だって、ニヒリズムに浸ってたときもあったよ。

なにをしようにも、誰に会おうとも「どうせ‥」って、思ったりもした。

だから、周囲の人間の声なんか聞かないで

自分の思ったままに生きることが大事だとも思ったよ。


だけどね、徹底して自分の思うがままに生きるには

自分に当然期待しなきゃならないよ。

だけどさ、自分に期待して

他人に期待しないなんて、都合が良過ぎるんだ。

1+1は誰にとっても2で

「わたしは3です」なんて言えるわけがないんだ。

もし、それをするなら、他のところでも1+1を3で計算しなきゃならない。

どうしたってさ、僕たちは1+1=2でつくられてる。

既につくられてきてしまったんだから。

それが見えないのか、見て見ぬ振りをしてるのかはわからないけど

都合よくコロコロ変えても、なにひとつ変われないし

なにひとつ生み出せないよ。


そうだよ、僕たちは変われない。

変われないことを知っているから

変わることができるんだ。


僕たちはなにひとつ期待できない。

期待できないことを知ってるから、期待することができるんだ。



ニヒリズムとか厭世気分とか

そういうのって、やっぱり甘えだと思う。

恵まれ過ぎてるのだと思う。


世の中は事実、そういうものだと知って

知ることで進むこともできる。

僕たちの行き先はニヒリズムの向こう側だよ。

そんな風に思うんだけどね。






2009-01-20 16:15:52

「仁」と「愛」について。

テーマ:ブログ

今日はお休みなんだけど

朝から頭が痛くてね

風邪じゃなく寝不足。


どうも最近、柔軟性に欠けてる気がする。

あるトラブルに対して

真剣になりすぎるところがあるみたい。


仕事中はそのトラブルのことを

どう解決したらいいものか?と、ずっと考えてて‥



「最も肝要なのは仁愛である。万事を決するに仁愛を以て分別すれば、
 叶わずとも遠からず。仁愛無き分別は才知巧みだが、それは心得違いと知るべし」


これはね、安芸の国人から中国地方全域を支配するまで勢力を拡大した

戦国時代の名将、毛利元就の三男、小早川隆景が言ったことなんだけど

今、大河で直江兼続が「愛」という字を兜に付けて戦った。なんて話がやってるけど

そう、仁と愛ね。


ある人はそれを「筋」と呼ぶのかもしれないし

「誠実さ」と言い換えることもできるかもしれない。

だけど、「仁」と「愛」

これが一番適切な言葉のように思えるんだ。



どちらか1つじゃダメだ。

仁と愛、両方必要だよ。


でもさ、「愛」はわかるけど

「仁」って何だろうね?


「仁」と言えば、孔子だよ。

儒教では人間関係の基本、倫理規定

「人を慈しむ心」とか、「他人に対する親愛の情、優しさ」とか、「同情心」とか

「人間にとってもっとも普遍的で包括的、根源的な愛を意味するもの」らしい。

わかるようでわからないよね?

別に「愛」でも構わないような気もするし、「仁」としてまとめることに意味があるのかわからない。


どこで聞いたのか、見たのか覚えてないんだけどさ

僕が「なるほど!」と、納得できた「仁」の意味はさ

「人が二人になったとき、生まれるルールのようなもの」ってやつ。

それは、たしか「仁」という文字の構成から説いた意味だった。

ニンベンは人を意味するから、人が二人ってことになるでしょ?



僕はそれ、すごく感覚的にわかるのね。

すごく深く濃いところだよ。

「法律違反じゃないからOK」という意見、ちょっと前のホリエモンみたいな人を

批判するときに使うようなものじゃないよ。

もっと深く、濃いところさ。


小さな裏切り、小さな軽視、小さな怠慢

「別に悪くはないんだけどさ‥ でも‥」みたいな、ほんとに些細なところ。

口では言わないけれど、空気としてそっちの番じゃない?みたいなね。

暗黙のルールみたいなもの?そこまで大きくないか‥


でも、ルールってことだけで突き詰めて行っちゃうと

馴れ合いの行き過ぎみたいになって、

「空気が読めない」っていう理由の批判?

今、やたら使われて、もうその大半が馴れ合いの行き過ぎだと思う。

なにしろ、逆にトラブルの原因になるからさ

「愛」が必要になるんだと思う。


まぁ、「仁」というものに「愛」が含まれていて

調節できるのだと思うけど

それだと「仁」という言葉が大きくなり過ぎて、理解し難くなってしまうから

「愛」を別にしたのかもしれない。


言葉ってのはさ、伝わらなきゃ何の意味もないよ。



僕の個人的解釈では

暗黙ってことは、共有してる価値基準が存在してこそだから

要するに、伝統ってことになるんだけど

まぁ、茶道だ華道だと建築物だと、伝統は表面的なものとして捉えられてしまってるから

どうせ伝わらないし、理解されない。



よく、そういう暗黙のもの、

当然共有してるだろうと思われてる価値観がない人を見かける。

そういう人は、共有してる人たちから「変な人」だと言われる。


だけど、それも言い過ぎだと思うし、短絡的な判断だと思う。


共有してるのが当然だと思われてる価値

その価値が真っ当なものなのか?

僕は人を「変」だと決める前に、そこを吟味する必要もあると思うよ。


混同されてしまう、伝統と慣習

僕は、伝統こそ共有する価値として、それぞれが持つべきものだと考えるけど

慣習は違うと思う。


僕は、慣習のない人を「変な人」だとは思わない。

伝統のない人を「変な人」だと思う。




引き継ぐべきもの、引き継ぐ必要の無いもの

すべてを引き継げばいいというもんじゃないし、時代の洗礼も受けるべきなんだ。


伝統は引き継がれた歴史の英知

だけど、どうしても過去から続くものには

不条理や迷信が含まれる。

そういうものが惰性的に引き継がれてきてしまう。


大事なのは、それにどのような効用があり、どのような妨げがあるのか

選択、区別する必要がある。


でも、なにかを判断するとき、なにを基準に判断するか?って問題も起きてしまう。

だから、判断することも難しい。

じゃあ、どう区別していけばいいのか?って話だけど

僕は「愛」だと思う。


何かを選ぶことは、何かを捨てることでもある。

人は選んだ方に思いを寄せて、期待を持ったり大切にしたりするけど

捨てた方にも関心を持つべきで、優しさを配るべきだと思う。


伝統と慣習を区別するのは合理や理論のような知性じゃ無理だよ。

もし知性でそれを区別するなら、とことん突き詰めなきゃいけない。

合理性を突き詰めて、合理的過ぎるということに気づき

合理が行き過ぎれば不合理になるところまで突き詰めなきゃ。


いや、すべての選択は知性よりも愛を

そうだね、「仁」と「愛」を持つべきなんだと思う。

そうすれば、たとえ「変な人」だと思っても

排除や嫌悪なんかしなくてもすむ。

不必要に人を傷つけることもなくなる。

違うってことを認めることができるんじゃないかな?



なにかを決断するとき

分別するときに必要なのは「愛」と「仁」だと小早川隆景は言う。

だけど、その「仁」は

「愛」と「仁」がなきゃ、得ることもできない。

これはすごく変な話だよ。


要するに、無理なものは無理だって話だね。

できる人はできるし、できない人はできない。

だから、訴えたって何の意味もない話さ。

できる人はもうとっくにそうしてるし、

できない人は理解できない。




僕はどんなことでも「わかりたい」と思う、傲慢な人間なんだ。

だから、理解し合えないことを前提してものごとを考えたくはない。

それをしてしまえば、「わかりたい」と思う気持ちも捨てなきゃならない。

理解されないことを諦めたくないわけじゃないんだ。

理解できないことを諦めたくないわけでもない。

「理解したい」と、願うことを諦めたくない。

だけど、それもそろそろ受け入れなきゃダメかもしれない。


理解し合うことを努力しても、無理なものは無理で

想いが伝わるのは、共通する価値観を持つ人たちだけの中での話。

現実はきっとそういうことなんだろう。

そしてそこに理解し合おうとする努力はない。

最近、少し外国に憧れはじめてる。
















2009-01-17 17:52:06

景気対策なんてやめればいい。

テーマ:ブログ

きのう、なんとなくテレビを眺めながらご飯を食べていると

爆笑問題の太田さんが

定額給付金のことをすごく一生懸命喋っていて

内容は、経済ってものが、どれだけアヤフヤなところに依存してるか?

みたいな話だったんだけどね

言いたいことはよくわかったし、なによりすごく熱意が伝わってきた。

詳しい人から見れば、いろいろ問題があるのかもしれなけど

どうあれ僕はこういう熱のこもる言葉には耳を傾けるべきだと思うな。


正確には、生活支援定額給付金って言うんだってね。

そうそう、みんな1万2000円貰えるとかいうやつ。


そりゃ、貰えたら嬉しいけどね

70%の国民が反対してるってね。

まぁ、僕も腑に落ちないところはあるよ。



なんか、すごく思うのはさ

これ、全員に配るんならさ、最初から取らなきゃよかったじゃん。ってこと。

だってさ、国民みんなのために使うってことで集めてるわけでしょ?

一人一人がお金を持ってても、自主的に公共のために使うなんて難しいし

小さな額をみんなで出し合って、みんなのためになる大きなことをしましょう。って話でしょ?

それを、そのまま戻すなんてさ、非効率的な気がするんだよね。


国家の再配分っていうの?

給付金方式の定額減税ってことなんだけど

まぁ、それも1つのやり方だって言うならそうなのかもしれない。


あとさ、名目がはっきりしないよね。

一応、生活支援って名前が付いてるから、そうなんだろうけど

そしたらさ、生活支援する必要のない人にまで配るのはどうかと思うよ。

苦しい人にその分たくさん給付した方がいいんじゃないの?


でもさ、そう言うと景気対策の意味もあるとかどうとかって話をするじゃない?

景気対策ならさ、その給付金は使うためのお金になるんだよね。

貰ったお金全部使われることが望ましいわけだ。

でもさ、生活に困ってる人は、既に厳しい状態にあるわけだからさ

給付金で余分な買い物するわけなくて

結局、生活費に当てられるわけじゃない?

そうなるとさ、今月分が来月分に繰り越されるだけでさ、

使われるお金は同じなんじゃないの?


麻生さんを擁護するわけじゃないけどさ

これじゃ、貰う貰わないのと迷走しちゃうよ。

だって、名目が何なのかよくわからないんだもの。


だいたいさ、こんなのやりたくないんだろう。

公明党がやりたいだけの政策でしょ?

前の商品券だっけ?地域振興券?

あれも公明党だしさ、どういう理由なんだろうね。


もし人気取りならさ、意味ないよ。70%が反対してるんだし。

たとえ、それで買い物できてもさ、手柄にはならないよ。

誰も恩だとか感じないと思うよ。政治に恩とか馬鹿げてるけど。


それにさ、公明党って人気取りする必要ないじゃん。

どうせ自動的に票は集まるし。

そんなことより、熱心に勧誘した方がいいんじゃないのかな。

そっちのほうが手っ取り早いでしょうに。



あれ、これって決まったんだっけ?

二次補正予算とかニュースでやってたけど。


正直、興味ないんだよ。

だってもう遅いもの。もう無理だよ。


問題対して、なにかの手立てを打つにはさ

その方法の正しさも大事だけど

タイミングはもっと大事だと思うんだ。


特に、景気のことでしょ?

きのうの太田さんじゃないけどさ、

景気とか経済って、やっぱりアヤフヤなところで成り立ってると思うよ。

だからさ、希望とか可能性とか不安とか固定観念とか

個人や集団が持つ気持ちの影響を受けるものだよ。

もちろん、そこに裏打ちする理論があるべきで

現実というか、現象の後に理論は必ずくっ付いてくるものだけどね。


そうなるとさ、手立て=結果とは言えないんだよね。

手立て+国民の意識=結果だと思うんだよ。

だからさ、タイミングやスピード感

政府に対する信頼とか、期待とか、応援したくなる気持ちとか

未来への希望とかね

たとえ定額給付金っていう制度が景気対策として誤りだとしてもだよ

「何か手を打たなきゃダメなんだ!」とか、「俺が危機から救ってやる!」って気持ちが

国民に伝われば、それはそれで効果があったと思うんだ。

それがさ、すごく借金を残すようなことでもね

背に腹は変えられぬ的な気持ちさえ共有できれば、大きな批判にはならないと思うんだ。


今の最善の選択が、最善の未来を呼ぶものだとは思えないけど

現実の先に未来があるのはたしかで、今、死ねば、明日は生きてないわけで

未曾有だと言うならね、今の最善に頼らざるを得ないわけで

だけどね、

もうここまできちゃうとね、

国民の共有してる雰囲気は変えられない。もうどうしたって変えられないよ。

この先、決してよくなることはない。3年?いや、5年?10年かもしれない‥と、思ってる。



もし僕が政策を決める権限があったなら

もう景気対策だけを目的にした政策はやらない。

75兆円だっけ?景気対策用のお金は総額で

それでさ、待機児童を0にしたりさ、介護士さんや看護士さんを支援したりさ

お医者さんを増やしたりね

他にもいろいろ考えればあるんだろうけど、今言われてる問題を悉く解決するために使うよ。

2兆円で済んじゃったりしてね。



なにしろさ、1人に1万2000円だっけ?

これで何か買おうか‥って考えるとね

ほしい物はそのくらいの値段じゃ買えないものばかりだね。

たぶん、みんな同じように思ってるんじゃないかな?

そうするとさ、それを元手に増やすこと考えるでしょ?

どうせあぶく銭なんだもの。

パチンコ・競馬

そんなとこじゃないのかね?


商品券にする?

タバコやガム買ってパチンコじゃない?

お釣も商品券?

手間と費用がかかりすぎる。適当に作れば偽造だって出てくるよ。


1万2千円はギャンブル行きの金額だと思うな。

もし3万なら、いや5万なら

なにか買うんじゃない?


あとさ、子供が多く貰えるのはわからなくもないけど

老人が多く貰えるのはどうなのかな?

どこで老人がお金使うんだろ?

変な健康食品買うのかな、振り込め詐欺の被害額が増えたりね。

基本的にさ、老人ってお金持ってるじゃんか。

そりゃ、なくて苦しんでる人もいるんだろうけど、

それはさ、老人ホーム作って入れちゃったほうが楽なんじゃない?

子供が面倒を見ると50万円給付とか、そっちの方がいいんじゃない?

まぁ、お金でどうこうなるのは不快だけどさ

結構、老人の世話って大変なんだよ。

なんか、前はさ

老人がお金を使わないから経済が動かない‥みたいなこと言ってなかったっけ?

あ、そうか生活支援で景気対策じゃないのか。

あれ?じゃあ支援なくても平気な人はどうして貰うの?

どっちもあり?

これ、一石二鳥には決してならないよ。

だって未曾有の危機なんでしょ?

二頭追うものは一頭も得ず。だよ。

そんなのってさ、普通に生きてりゃわかることでしょ。

危機的状態に対処したことないのかね。どんな恵まれた人生だよ。



でもさ、もしかすると一番景気に効果的なのはさ

75兆全額アメリカに渡しちゃうことじゃない?

今の構造でいくら対策してもさ、アメリカがダメならどうにもならないでしょ。

売る場所がないもの。

アメリカの景気さえよくなれば、どうあれ付き従うのが日本の経済なんじゃないの。




2009-01-16 19:29:23

人は同じ?違う?

テーマ:ブログ

人はみんな同じ?それとも違う?

こう聞かれたらどう答えるだろう?

僕だったら

そのときどきによって、同じだろうし違うだろうな‥って答えるかも。

すごく答えになってないけど。


でも、海外経験のある人に聞くと

日本人は「同じ」と考えてしまう場合が多くて

外国の人、特に西欧人は「違う」と考えてると思うって。


なんとなくわかるよ。

たしかに、日本人は「同じ」って考えたがるよね。

「同じ」ってことが前提にあって話をするよ。

だから、とても同意を求めてる気がする。

同じように考えていたり、同じように感じていたり、同じように思ってたり

そうすると、嬉しくなったり、仲間だって思ったり

逆に、そうじゃないと、「この人は自分とは違う‥」って、避けてしまったり。



聞いた話だけど、西欧人は違うんだってさ。

「違う」ってことが前提にあって話をするみたい。

だから、相手の意見が自分と違うことを楽しむそうだよ。

飲み屋なんかに行って話をすると

「わたしはこう思う‥」「僕はこう思う‥」って、

その繰り返しをずっとしてるらしい。

なんていうか、人とは違う自分であることを確認してる?

それとも、他人が自分と違う人間だってことを確認してる?

だけど、そういうのって楽しそうだよね。



僕は日本人的な

「同じ」に拘ることも悪いことでは決してないと思う。

それがすごく良い方向に出ることも多いと思う。


「同じ人間なんだから」を前提にして

「話せばきっと分かり合える」とか、「きっと気持ちは伝わる」とかね

そう思って誰かと向き合うのって、すごく大切なことだと思うしね

優しいことだと思うんだ。

「同じ人間」ってことを基にして相手を思い遣る。

だから、外国人が日本に来ると、

「みんな親切」って言ってくれるんだと思うんだ。


だけど、もちろん悪いこともあって

「同じじゃない」と、思うと、途端に距離を置く。


たとえば「いじめ」も、そうかもしれない。

子供が何かを欲しがるとき、

よく「みんな持ってるんだよ!」って言うし

たしかに、みんな持ってるものを持ってないと

仲間はずれにされることもあるんだろうし、

そう言えば親が買ってくれることもあるんだろう。

と、いうことは

人と違うことで何か悪いことが起こると思ってるわけだ。

「違う」ってことは、やっぱり悪いことなんだと考えられてる。


最近は、個性とか多様性とか

そういうの持て囃されてるけどね

実際はそうなってないし、きっとそうはならないんだろうね。

まず、個性とか多様性とか

ずっと無関心だったからか、それともやっぱり「悪」だったからか

ちゃんと理解されてない気がするしね

髪の毛逆立ててるとか、いろんな色に染めるとか

常識や慣習を、ただ打ち破ればそれで個性みたいなね

その常識や慣習にどんな効用があったのかも問わないでね。



でも、逆にさ

「どうしても違う」と、考えてるのも日本人じゃないかな?

絶対に人はそれぞれ違っていて、ピッタリと重なることがないと思ってる。

絶対に重なり合わないと思っていて、だから、重なり合うことに真剣に取り組まない。

「違う」と、わかると、もうそのまま諦めちゃう。

「同じ」は、最初から「同じ」で、努力で「同じ」に近づこうとか考えない。



どうだかわからないけどさ

僕はそこまで突き詰めてみるべきだと思うな。

そうすることで、「同じ」だと考えることの悪い部分を抑えることができると思う。

「いじめ」を無くしたいなら、そういうところから考えるべきだと思うな。



だからさ、僕は

「人はみんな同じ」を前提にしても

ちゃんと「人はそれぞれ違う」を、頭に置いておきたいね。

違うから、わかりあえるように努力する。

こう考えて、人間関係を諦めないようにしたいよ。


まぁ、合うとか、合わないとか

そういうこともあると思うけどね。

合わないからって遮断しちゃったりしちゃうとさ

世界がずっと狭く、変化のないものになりそうでさ

可能性だよ可能性。


僕はね、絶対とか真実とか

仮にあれば世界は救われると思うけど

そんなものがなくてもさ、そんなものがないからこそ存在できる可能性ね。

僕はその可能性がこの世界の希望だと思うんだよね。

99.9%が仮説って本があったけどさ

そこまでじゃなくてもね、

どんなことでも、どんな決断にも20%くらいは可能性を残したいと思うな。







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