元旦。近所の小さなお寺にて。ご本尊は十一面観世音菩薩。知る限り1年に一度しか開帳していない。夕方になっていたがお会いしに。いつも窓越しの大切な人にお目もじする気分。
明けましておめでとうございます。木村悦子です。
旧年中は拙い文章をお読みいただいて本当にありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ブログをすっかりご無沙汰しまして申し訳ありません。こういうのも癖のモノで、しばらく行かなかった店に小さくなって入っていくような気もち。(♯前回「教誨師」の(前)を書いたまま、(後)を書かず本当に投げっぱなしですみません。きちんと続き書いて終わらせますので!)
こちらはお蔭様で変わりなく元気でやっています。
右から読む立派な扁額。小さいけどここはれっきとした観音堂。人気(ひとけ)は少ないけれども、近所の別の大きな寺より神聖なものをいつも感じている。
修士論文を始め「すべて捨てて集中しないと無理」みたいな事が続き、ブログ、Facebook等すべて一旦捨てて、事に当たっておりました。世の中には自分の何倍も多忙な人がいる事は承知しており、自分の能力の小ささを実感します。
「リア充」って言葉ありますね。
「リアル(現実)が充実」の略だと思いますが、本当にそういう意味ではリア充でした。デートとか、友達とか、そういう楽しいことは一切なかったですけど(笑)
大きい目で見れば、いい年して大学院へ行ったり、あれしたりこれしたり、出来ること自体が幸せですから、やはりありがたいことで。
これから正念場ですが、今月で色々峠を越えるのではないかと思うので、またブログやSNS等オンライン上に復帰したいと思っています。その際はまたよろしくお願いいたします。
小さいおもち。お正月。
そんなことで、年が明け…
自分は殊更正月に限らず、どうかすると1日2回くらいお寺にお参りしている生活(^^;なので、特に初詣だからどうということもなく…
この頃、ネットを見る時は戦争の話(とくに第二次大戦時)とこころの時代という番組の文字起こしばかり読んでいます。
禅宗のお寺なので、公園にだるまさんがおわす。
変な趣味と思いながら、なぜか最近、これ以上興味深い読み物がなくて。
聞き書き=戦争の悲劇-1
こころの時代
どうも今の自分はこの世の「最悪」と「最善」の話を繰り返し読んでいるようです。
戦争体験談を読んでいると、人類が起こす最悪の事態は「貪り」「怒り」「愚かさ」仏教で言う三毒※から引き起こされることがつくづく実感されます。
※貪瞋痴(とんじんち)
むさぼりもいかりも、おろかさから出てくる、といわれます。
おろかさとは、「自分が最も正しい」という物の考え方(無明)のこと。
その考え方に基づいているから、
△△人の物や領土を取ってもよい
とか
抵抗する△△人は殺して良い
という論理になっていくんですね。
そしてこの「無明」に基づいた行動が悪い業を作り続け、その業を消化するためいつまでも苦多きこの世に生まれてくると説かれます。
私の立場は、この話を荒唐無稽な古人のファンタジーとは思っておらず、
むしろ
全てその通りだろう、怖ろしい、助けて!
くらいに考えています…。
だから、悪を避け善をなし、心を清らかにしよう。
(少なくとも、それを目指し生きていこう)といういつものオチ。
前が長くなりましたが<(_ _)>
今年はこのような気持ちで生きていきたいと思ったお話をその「最善」の方から二つご紹介します。
帝国ホテル厨房物語―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫) | 村上 信夫 | 本-通販 | Amazon.co.jp
1)村上信夫さん
帝国ホテル総料理長として著名だった村上信夫さんの話。本を読まなくても、この短い回想話の中にその面白さと偉大さがつまっていて感動します。
仏教を学んだ身には、若き日の村上さんは鍋を磨くうち善業が積まれ、いい事しか起こらない人生の展開になったとしか読めなかった。その後の人生もすごいエピソードばかり。大きな人だったことがよくわかります。
人生はおいしいフルコース
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2)中村久子さん
両手足の欠損を乗り越え有名な人。苦難へ立ち向かっただけでなく、苦を受け容れた人生の転換点の超え方に感動しました。
この人のあり得ない苦しみだけでなく、その努力や自負心すら捨てた状態は「さとり」だと思った。
逆境にあるがままに生きる
いずれも偉人で凡人には中々、実践が難しいこともありますが、色々な事があった時、私もこの方々の人生を見習ってやっていこう、と思わせる内容でした。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
本年もよろしくお願いいたします。