ライフエンディング・ステージ」の創出に向けた普及啓発に関する研究会に参加して | 中下大樹のブログ

ライフエンディング・ステージ」の創出に向けた普及啓発に関する研究会に参加して

平成23122016時。その時間、私は霞が関にある財団法人商工会館の7階にいた。


安心と信頼のある「ライフエンディング・ステージ」の創出に向けた普及啓発に関する研究会において、特別ゲストとして「終活」についてのプレゼンテーションをするためである。


研究会の主催団体は、経済産業省商務情報政策局サービス産業室長。


それに三菱UFJリサーチ&コンサルティング(株)がサポートする形で加わっている。


研究会のメンバーは弁護士で大学教授の先生を筆頭に、大学病院の医学部教授・遺言相続コンサルタント・日本公証人連合会・公益社団法人日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会・全日本葬祭業協同組合連合会・財団法人日本宗教連盟など、「いのち」の問題に関わる学識経験者、有識者、業界関係者等で構成されている。



この経済産業省が主催する「ライフエンディング・ステージ」の創出に向けた普及啓発に関する研究会は、約2万人が一瞬にして亡くなってしまった2011311日に発生した東日本大震災の教訓を活かすために作られたと言ってもよい。


大震災は突発的な出来事であったため、大切な人を喪った遺族の大多数は、故人と生前の「お別れ」をする時間さえ持てなかったのである。


その結果、遺族は、身を引きちがれるような強烈な「痛み」「苦しみ」を今なお胸に抱えたまま生きている。やがてそれは「自分だけが生き残ってしまった」という自責の念へと繋がり、ついには自殺願望にまで発展していきかねない。


さらに少子高齢化の進展、人口減少社会の到来、血縁・地縁・社縁が薄れ、無縁社会といわれるような社会構造が著しく変化していく時代において、国民一人ひとりのQOL(クオリティ・オブ・ライフ=人生・生活の質)を高めなければ、孤立した高齢者がさらに増加し、孤独死が多発するリスクもある。


そのことも踏まえた上で、「ライフエンディング・ステージ」のあるべき姿、つまり、人生の最期に何をしておくべきか?また社会として、この超高齢化社会、多死社会はどうあるべきか?皆で知恵を出し合い考えよう。


そして多様なバックグラウンドを持つ者を特別ゲストに呼んで、話を聞こうという趣旨で構成されている。その特別ゲストに私が指名され、声がかかったという訳だ。



私は500人以上の末期がん患者を看取った経験、またそこから見えてくる家族というあり方、そして2000件の葬儀を通じて見えてくる今の社会のあり方などを、具体的事例を交えながらお話させていただいた。


また末期ガン患者は、死に臨んでどのようなことを考えているのか?介護保険・遺言・成年後見とは何か?また患者の死によって、遺族は、どのような気持ちになるのか?そして葬儀後に発生する相続やお墓の問題・・・。


様々な「エンディング・ステージ」によって起こりうる問題点と国民のニーズ、そして、死の周辺のことについて、どういう団体が、どういうサービスを既に行っているのかという取り組み事例を説明した。


そして最後には、エンディングを考えることによって、将来どのような効果が発生し、社会的な可能性が広がるのかということを私自身の経験を踏まえつつ、お話しさせていただいたのである。


反応は凄まじかった。休憩中には名刺交換のために列が出来たほどであった。それほど、「現場の声」には、迫力があったらしい。



大学病院に勤務する医師であれば、患者の病気のことはいうまでもなく、看取るまでは専門家である故に、何でも知っている。


しかし、死亡診断書を書き終えた後、患者がどうやって搬送され、葬儀が行われ、また火葬され、納骨されるか?また、遺品整理はどうやって行われるか?跡継ぎのいない方、身寄りのない方のお墓をどうする?といったことは素人である。


それは逆もまた然り。


一方で、遺言や相続を扱う専門家であれば、法律に則った手続きは踏めても、実際に人間の遺体を触ったことも、見たこともないという人も存在する。


そこで経済産業省が中心となって、人間の「いのち」の終わりに関する分野の専門家に集まってもらうことで、様々な角度から、人生の「終活」について語り合い、それを経済産業省として報告書にまとめることで、これからの日本の国民のQOLの向上を目指すと共に、国民の「死」に関する意識改革を図るという目的がある。


このような取り組み自体を経済産業省がリードしていくこと自体は評価に値する。


だが一方で、「ライフエンディング・ステージ」を国民一人ひとりが考える心の余裕があるかどうかという問題も残る。


私は末期ガン患者を看取るホスピスに勤務している時、患者が亡くなった後、初めて電話帳で葬儀社を調べ始める遺族を数え切れないほど見てきた経験がある。


本来であるならば、末期ガン患者がホスピスに入院した時点で、患者の死期が近いことは、本人も含めて周囲の者は誰でも知っている。


しかし、「死」に関して家族間で話し合うことも、エンディングノートを書くなどの事前準備をしておくことも、病院という特殊な空間の中では多くは行われないのが実情だ。


何故か?


それは以前でも触れたように、死を先送りする習慣、死を考えない・見たくないという意識が、既に私たちの中で固定化されているからである。



しかしながら、ここで大事なことは、「終活」問題は、一部の人の一部の問題であって、特別な人の問題だということではない。国が舵取り役となり、「終活」問題を考えることで、日本国民の全てが自らのQOLの向上を図りつつ、意識改革を行う必要があると謳っているという点である。


つまり、東日本大震災の教訓、つまり約2万人という大量の死から、「いのち」の大切さを学ぶとともに、イザという時に備えて「備えあれば憂いなし」の状態を、国がリーダーシップを取り、様々な民間団体とも連携しつつ、「終活」に関するネットワークを構築しておこうということである。


従って、「終活」問題は、もはや高齢者だけの問題ではない。


誰しもが遅かれ早かれ経験しなければならない「死」の問題を、正面から考えることで、国民の生活の質の向上、そして意識改革までを目指すと経済産業省は言う。


故に、「終活」問題を考えることは、自分の人生のみならず「生き方」そのものを考えることなのだ。


国もやっとそのことに気が付き、民間団体に協力を求め始めた。まだまだ「終活」問題は、社会的には認知されていない言葉であろう。


しかし、2012年は、間違いなく「終活」という言葉を、誰しもが意識せざるを得ない年になる可能性がある。


連日、年金を含めた税と社会保障の一体改革の問題、それに伴う「消費税」の問題が、メディアを賑わせている。


年金や医療問題などの社会保障を考えることは「死」とどう向き合うか?ということに、まさに直結しているのである。


去年亡くなった、スティーブ・ジョブス氏の講演での言葉を思い出す。


「毎日を人生最後の日だと思って生きてみよう、いつか本当にそうなる日が来る」


How to live before you die. 死ぬ前にどう生きるか!」