無名かつ未経験の私に『正しい日本語の使い方』(枻出版社)の監修・執筆の依頼が来たのが、2013年4月。それ以来、13冊の本を監修・執筆してきました。

私が携わってきたのは、いずれも実用書。

自分自身がそれまでに考えてきたことや、本などで調べたことを、分かりやすく読者の皆さんに届けるということを第一に考えてきました。

書籍や雑誌記事の執筆を頼まれる際に、それ以前に出していた本を見てご依頼をいただいたケースも多かったですし、中には次のようなテキストの執筆依頼もありました。

学校法人 産業能率大学 総合研究所 通信研修 BFシリーズ 「文章力を磨く」

分かりやすい文章ということでは、ある程度の信頼をいただけているように感じ、そのことを光栄に思っております。

一方で、ここ1~2年、引っかかっていることがありました。

仕事として文章を書き始めて以来、個人的に文章を書く機会が激減したということです。

こちらのブログの更新頻度も落ちましたし、更新する場合も、出版や雑誌掲載のご報告、講座のご紹介が中心で、学生時代のように、個人的に考えていることや感じたことを書くことはほとんどなくなりました。

大人ですし、日々の仕事もありますので、それが当たり前なのかもしれません。ただ、書かないでいる時間が積もり積もってくる中で、自分の想いを綴る文章の書き方というのを少し見失ってしまったように感じているのです。

要領よく書くことはできるようになったけれど、自分らしい文章表現や、書くことを通じて自分を見出していくような文章を書く行為などとは縁遠くなってしまったのですね。

そうした物足りなさの中で、改めて、文章を書くということを考えていたときに、出会ったのが、天狼院書店の主催するライティング・ゼミ(文章講座)でした。


ほぼ日の秘本企画をきっかけに、ずっと気になる書店であった天狼院書店
と、文章を書くことへの問題意識がちょうど重なり合ったところにあるこの企画。

企画の存在を知ってから、何日間かは申し込むのを保留にしました。時間を置いたのは、行くかどうか迷っていたというよりは、本気で取り組む決心を固めるために時間が必要だったからでした。

「自分はすでに書くことでお金を少なからず稼いでいるのだ」という余計なプライドを捨てて、素直に講座の内容を受け取り、愚直に課題に取り組む。

その決心が固まったからこそ、申し込みました。「本気でやる」と決断したのです。「決断」とは「決めて断つ」と書きます。退路を断ってしまうことです。

さて、講座の初日は、8月7日の夜でした。

そして、任意提出の課題(ブログ記事を書くこと)の〆切は翌8日の23:59。

8日は朝9時から丸一日仕事です。

「マジか!?」と思いましたが、決断した以上、やるしかないのです。「習ったことを、素直に、素直に」と思って書きました。

この提出課題、店主の三浦さんがOKを出した記事は、天狼院のウェブサイトに掲載されます。サイトへの掲載率は3割程度とは聞いていました。「すでに本も書いている自分が落とされたらショックだな……」と不安にもなりましたが、決断した以上、書き上げて提出しようと思いました。

そのとき、頭によぎったのは次のようなイメージでした。

高校の定期テスト前。必死で勉強するのはガリ勉臭くて格好悪い気がして、本気では勉強しない生徒。

「やる気がない」と言うよりは、本気で勉強して、それで結果が出ないのが怖いのです。そこそこしか勉強しないから、そこそこしか結果は出ない。平均点を少し越えたテストを見ながら、「まー、今回あんまり勉強していないからな~」と、誰が質問したわけでもないのに、言い訳。

その傍らには、本気で勉強した同級生がいます。本気で臨んでいるから、ケアレスミスや計算ミスに本気で悔しがって、時に涙しています。その姿を見ながら、内心うらやましく思いつつ、態度を変えるタイミングを逸し続ける先の生徒。

1年後、2年後……。最初は「努力の有無の問題で、実力は変わらない相手だ」と思っていたのに、気が付けば、相手は、追いつけないくらい前を走っている……。

こういう展開だけは嫌だと思ったのでした。

「本気でやっていないから、しょうがないよね~」
と言い訳をするような姿勢では、他人はごまかせるかもしれませんが、結局、自分のことはごまかせません。そんな言い訳を続けるのは嫌だ、と強く思ったのです。


そうして書いた文章が、ありがたくも、天狼院書店へのウェブサイトに掲載されました。

ご笑覧いただけましたら幸いです。


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