2017年2月2日の大村歴史散策の続き。
「玖島城跡(大村城跡)」の続き。
玖島城跡(大村城跡)(その1)大村公園・本小路・大手入口門跡のレポ。
http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12270044337.html
玖島城跡(大村城跡)(その2)二重馬場・南堀跡・大手口のレポ
http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12270059822.html
玖島城跡(大村城跡)(その3)枡形跡・二の丸跡のレポ
http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12270138896.html
「二の丸跡」から更に進むと、「歩兵第二十三旅団記念碑」と刻まれた大きな石碑がありました。
その横には、太鼓を抱えた少年の像があって…。
こちらは「少年鼓手 浜田謹吾」。戊辰戦争に二番小隊の鼓手として従軍した大村藩の15歳の少年で、隊の先頭に立ち太鼓を打ち鳴らして、隊を鼓舞していたそうです。
その浜田謹吾は、秋田県の刈和野での激戦時に、銃弾を浴びて「お母さん」と絶叫して戦死…。遺体は角館の常光院に葬られたそうで、内襟に母チカ女の一首が…。
「ふた葉より 手くれ水くれ 待つ花は 君かためにそ 咲けよこのとき」
「浜田謹吾像」の隣には、こんな石碑も…。同じ像がここ大村市と姉妹都市の秋田県角館市の神明社にもあるのですね。
更に進むと、「空堀跡」の案内板がありました。
側面の由緒書き。
由緒書きの奥には、確かに空堀がありますが、木々が鬱蒼としていて、撮影しても単なる山にしか見えないので、アップしません(笑)。
「戊辰戦役記念碑」もあって…。
石垣が見えて来ました。
こちらは「虎口門」。
由緒書き。文字が消えかかっていて読めないですね…。虎口(こぐち)とは本丸の出入口を指し、敵の侵入を防ぐ為の装置がいろいろある場所なんですよね。
クランクしている通路を通ります。
石段の手前の石灯籠。あら?石がたくさん詰め込まれている…(^^;
石段を上って、鳥居。扁額には「大村神社」とあります。
鳥居の脇には、こんなものが…。丸い穴が大小2つ、開いていますが…?
由緒書き「貝吹石(通称 ほら石)」。小さい方の穴を吹くと法螺貝のような音がなるのですね!
萱野村から寄付されたもので、天正年間、龍造寺隆信に萱野村が攻められた際、同村の郷士たちが藩主大村純忠の命を奉じて管無田の砦に立て籠り、この穴を吹いて合戦の陣具に代用し、敵を追い退けたという伝説があるとは…なかなか興味深い(^^)
「その5」に続く。
玖島城跡(大村城跡)
長崎県大村市玖島1-34
http://old.omura.itours.travel/02history/history02_02.html(大村観光ナビHP)
大村神社
長崎県大村市玖島1-34
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