野谷城(養父市長野字東山)
野谷城は野谷集落東側、南東から北西に延びる尾根突端、標高201mの舌状台地に所在する。集落との比高は約10mほどある。城域は東西約70m、南北約50mを測る。現在城域は畑地となっているが、地元ではここを通称「城の段」又は「城さが」と呼んでいる。城主は伝承では竹田城主太田垣群軒の家臣安積美濃守盛次という(『建興寺文書』)。嘉吉2年(1442)太田垣一族によって建立された「両松寺妙見宮」が一時荒廃し、永禄6年(1563)に太田垣氏(朝延か)の妻や太田垣朝道・朝愛が大旦那となり再建されているが、その棟札(「永禄六年妙見宮棟札」建興寺所蔵)に「願主」として「日下部(安積)盛弘」の名がみえる。また「安積氏家系図」にも、安積盛弘が本願主として、永禄6年妙見宮を造立したことが記されている。
(※図説養父市城郭事典より)
最初に間違えて山中に踏み込んだが、こちらにも城郭遺構と思われる削平地が…後世の改変なのか…!?
山上曲輪群西四郭
山上曲輪群南四郭
山上曲輪群西三郭
山上曲輪群西二郭
山上曲輪群主郭
山上曲輪群北二郭
下って城域へ…
主郭
主郭の東土塁
西三郭(曲輪3)
西二郭(曲輪4)
北西二郭(曲輪2)
東二郭(曲輪5)
野谷城遠望
軌跡ログ
旧養父郡養父町の城