浅間城 旧養父郡八鹿町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

浅間城(養父市八鹿町浅間字四田谷)

浅間城は円山川の支流浅間川左岸、浅間集落南側の尾根突端、標高約131.5m地点に所在する。集落との比高は約100m。城域は東西約100m、南北約160mを測る。城の西側、一つ谷を隔てた所に浅間小城がある。
城主は佐々木氏と考えられる。「浅間佐々木家系図」によれば、佐々木近江守(義高)は天正の頃当地(浅間)に下り、「三百三拾石横領、居城を築き、山名氏政に属した」という。さらに『掃部狼婦物語』によれば、佐々木義高は天正5年(1577)、羽柴秀長の第一次但馬進攻の時、養父郡の軍勢と共に小田野や伊佐野で抗戦、天正8年(1580)、秀長の第二次但馬進攻の時には、秀長に対し「武具を改め礼服にて出で、向地に平伏して降を乞うふ」たという。そして、秀長は義高を案内役として浅間峠を越え、有子山城(出石町)を攻めたという。佐々木氏に仮託した南但馬の動向ともみられる。
(※図説養父市城郭事典より)

西二重堀切C

西二重堀切Cからの北竪堀カ

西二重堀切Cからの南竪堀オ

西二重堀切間の土塁

西二重堀切D

西二重堀切Dからの北竪堀ク

西二重堀切Dからの南竪堀キ

主郭の西土塁

主郭

主郭の南土塁

主郭の東虎口

東二郭(曲輪2)

南横堀と土塁

南二重堀切A

南二重堀切Aからの東竪堀ウ

南二重堀切Aからの西竪堀エ

南二重堀切間の土塁

南二重堀切B

南二重堀切Bからの東竪堀ア

南二重堀切Aからの西竪堀イ

主郭の北西虎口

北三郭(曲輪4)

上がって北東二郭(曲輪3)

北西四郭(曲輪5)

北六郭(曲輪8)

北東五郭(曲輪6)

北東七郭(曲輪7)西上段

北東七郭(曲輪7)中下段

北東七郭(曲輪7)東上段

北東七郭の南東上の腰曲輪

北西七郭(曲輪9)

北堀切E

北堀切Eからの北西竪堀コ

北堀切E からの北東竪堀ケ

土塁状の北八郭


浅間城遠望

軌跡ログ



旧養父郡八鹿町の城