高尾的「死」の捕らえ方(鬱じゃないよ!) | インプルーデンツ | THE IMPRUDENTS オフィシャルブログ

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メンバーの日々のくだらない日記やライブ告知をさせていただいています。

大変お久しぶりです。高尾です。
最近あまり表立った活動をしていないので、何してるか気になる人も4人くらいいそうなもんですが、
シンプルに太ってきてます。痩せたいです。でも元気です!

今回、13日の金曜日に何しに来たかというと、「死について」おもむろに語りたいと思ったからです。※どっかの団体に属してるわけじゃありません。
1年ぶりに現れていきなりなんだこいつは!?って感じでしょうが、これほどまでに究極で、リアルで、心をえぐるような話題はないと思うのです。
そして、個人差はあると思いますが、とりあえずおれは、死ぬのがハゲるほど怖いです。
そしておれは、こういう普段みんなが深く考えないようなことを、アホみたいに考えまくって、結果欝気味になってしまう風潮があります。


さて、死ぬのが怖い!と感じる理由は
死ぬ直前の肉体的な苦痛への恐怖
愛する人、親しい人と永遠に会えなくなるという別離による精神的な苦痛への恐怖
生前のどんな努力や成果も全て消えてしまうという喪失への恐怖
死んだ後はどこにいくのか、自分という意識がどうなるのか全くわからない。死後の不安による恐怖。
と、主に4つに分けられるそうです。

でもおれの場合、死んだ後どうなるかわからない。こいつがとにかく怖い。
だってもし、
あなたは死後、魂は浄化され、争いも無い、労働も無い、会いたい人にすぐに会え、食べたい時に家系ラーメンが現れる、そんな世界が待っています。○ーメン。
なんてリアル神のお達しがでてて、それが絶対的に確約されてるなら、喜んで死ぬし(むしろ死にたい!仕事きついっす!)、老後も毎日六本木のクラブでジュリアナ東京ばりにフィーバーしてるでしょう。ポゥ!
だがしかし、今のところそんな通知は来てないし、これから先もくることは多分ないでしょう。

だから怖い。
仕事や趣味で忙しいときはそんなこと考える暇もないから恐怖の濃度は薄まっているけど、それは一時的に薄まっているだけ。
ふとした時に、「死」の一文字は強烈に脳裏に現れ、身体全体を恐怖で支配してくる。
その恐怖の純度の高さたるや。というか、人間はなぜ怖がるかって、その体験が「死」に繋がると思うから怖いわけで。
ホラー映画とかで、被害者が幽霊とか化物に追われてるとき、「うわ、こえ~」って思うけど、
その被害者が襲われて死んでしまったとき、恐怖感がすーっと抜けてかないですか?なんともいえない虚無感だけが残るっていうか。あれって、擬似的な死を体験してると思うんですよね。




案ずるな、あなたが死んでも私の中のあなたは永遠(とわ)に生き続けるとか、肉体は滅んでも魂は無くならないのよ。とかよくいいますが、ごめん、そういうんじゃない。
もちろんその言葉で救われる人もいるかもしれない。
だが残念ながらこっちはリアルを生きてて、よりリアルな問題として、死ってものをとらえている。
そんな戯言おっしゃるなら根拠をくれ根拠を!って感じなんですよね。一回死んできてみてくれ。すまんな。

そんなもんで、死ぬのがやだな~っ、怖いな~っって稲川淳二ばりに思ってるんですが・・・
稲川淳二がおれの故郷、釧路にある雄別っていう心霊スポットを探索、みたいなビデオで
「ヤバィヤバィ・・・イルイルミエル、、・・・・ヴォエッ!!!!
とかいっていきなりゲロ吐き出したのがやたら面白くて何度も見てたなぁ。


そしてそうこう考えているうちに、ちょっとしたことに気づいたんです。
日本の歴史って、みなさん学校で勉強してきたと思います。
歴史に詳しくない人でも、坂本竜馬とか織田信長くらいはわかるでしょう。ちなみに上杉謙信はガチホモ。

そんな歴史の偉人たちが活躍していた当時、あなたは何をしてましたか?
産まれてない。そんなことはわかってます。
問題なのは、具体的にどういう状態だったか?ってことです。
意識や感覚が全く無い、文字通り完全なる「無」でしたよね。
「歴史」というのは、遺された書物や文化に触れることで、理解はできますが、直接関わることはできません。タイムマシン?何を言っているかよくわかりません。
菅原道真と醍醐朝でparty night☆なんてインスタにアップすることも無理です。
嗚呼、諸行無常。

戦乱の世なんてたかだか200年とか300年前の話でしょうが、もっと言えば1万年前も、1億年前も、宇宙ができる前のなーーんにもない時から、あなたは「無」だったわけです。
つまり「死」=「無」というのは、「生」の後にくるもの、ではなく、「生」の前にもあるもので、果てしない長さで「生」を挟んでいるものだとわかります。
そして挟まれた「生」の期間は、「無」に比べれば笑ってしまうくらい短い。
輪廻転生なんて言葉がありますが、仮に転生を繰り返してるとしても、今の自分が無になるのは変わらない。輪廻転生は、それぞれの国、それぞれの宗教で、細かな概念は違えど、
世界中で語られてますが、「今の自分」がなくなる、というのが死の恐怖の本質なのにって思います。

余計怖いじゃねえか!畜生め!となったでしょう。すみません、おれもです。
ただ、天国とか地獄とか、はたまた霊界とか冥界とか、あるかもわからないものに期待するから、余計に死というものが苦しく、切実に感じてしまうのだと思うのです。
それよりかは、基本「無」の中、約80年という人生を父ちゃん母ちゃんからギフトされたんだから、また「無」に戻るまでやりたいことやろうぜって思うのです。
ノーベル賞とった人間も、働いたら負けだと思ってる人間も、行き着く先は皆同じ。
偉そうに説教たれてる課長も、怒られてるあなたも、「無」の長さに比べたらウンコみたいなものです。というか、ウンコです。

結局問題解決になっていなく、単なる開き直りという形になってしまいましたが、


みんな生きてるうちはおれと仲良くしてください!!!!
おれもっと飲みたいよーー!!!!!!


fin