このブログはオールオンフォーについてですが、現在のところ、リスボン物語
(母を助けに)です。治療そのものはきむら歯科円山インプラントオフィス
HPをどうぞ。
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帰りのチケットの手配もでき、いよいよ帰る日が近づいてきました。
リスボンについて10日が経っていました。いよいよ明日、帰るという日と
なりました。アシスタント会社で、手配してくれたのは、リスボン、パリ、
ソウル、長崎というルートの飛行機のチケット。(とは言っても、結局
自分が何度も現地の旅行会社に足を運んで手に入れた物ですが)

各空港での、車いすの手配は旅行会社で行ってくれました。
また、搬送される先は、地元の一番近い大きな病院も決定しました。
そちらにも連絡をしてくれるということでした。大きな安心でした。
医師と看護婦の日本からの派遣。帰る前日に到着予定。


私達のホテル代については、いったんホテルのマダムは、こう言いました。
代金はこちらから保険会社に請求するので、あなたは支払う必要はないと
のことでした。
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ホテルのベランダから。

実は、これに助けられたのです。そのことについては後日談で。

いよいよ、帰る日、日本から来た医師と看護婦が、母の病室に現れました。
まず、挨拶のあと、医師はどかっと椅子に腰掛け、パスポートを開き、
もう54カ国も回ったと自慢げに見せてくれました。
私は、母の容態や病気について診察や問診をしてくれるものと思っていたので
あっけにとられました。
そのうちに、リスボンの担当医師が来て引き継ぎを始めましたが、どうも
英語はあまり得意でないようで、主に看護婦さんの方が話しているのです。

私は、それまで自分が気を張って医師の話を聞いていたのですが、安心して
途中から帰る準備に回ってしまいましたが、後でこの引き継ぎを真剣に聞いて
いなかったことを悔やむことになるのでした。

ともあれ、担当医の了解のもと、日本へ帰ることになりました。
リスボンの担当医に心より感謝し、看護婦さんに挨拶をして、心は日本へ。
アシスタント会社が手配してくれた搬送車に乗り込み、リスボンCUF病院を
後にしました。

私は、このとき、きっとまたこのリスボンに戻ってきて、担当医に
会ってお礼を言おうと心に決めていたのでした。

つづく

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担当医と看護婦さん

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