このブログは、現在オールオンフォーに出会うまでのリスボン物語(母を助けに)
編です。
オールオンフォーの治療の実際に関するブログはこちら
きむら歯科円山インプラントオフィスのHPもどうぞ


リスボンのCUF病院のICUに2日間夜とおかゆを作りにホテルに帰る以外は、
特別許可をもらって母のそばにいました。担当医師が、原因、治療方針を
探るためにに症状について、いつからどのような症状があったか、聞いて
欲しいと言われ、チューブにつながれた母に症状の経過について聞きました。

そこでわかったのは、症状が1週間前くらいから起こったこと。母は乗船する
まで大変元気で出産以外で入院したことなく、過酷な仕事に長年耐えてきた
人で、私にはなぜこんなことになったのか全く思い当たることができません
でした。

私が行った問診の中から一週間前からの症状に関連して、ひとつの薬の存在
が浮かび上がってきました。それは、アフリカ上陸に際して予防的に飲んだ
抗マラリア薬です。

私は、日本のアシスタント会社に電話をして、この薬の名前、処方について
調べてくれるように頼みました。その電話でも、とにかくジェット機をチャ
ーターする件について早く決断してほしいと迫られました。正直、こちらは
それどころではなく、まず母がこの赤血球が3分の1しかなく動けないとい
う、そして輸血もできないというこの状態を改善しなければ動かすことは
できないだろうと思うけれど、そうした方がいいのだろうか?と大変不安に
なりました。

私は、今必要なのは何だろうか、自分がしっかりしなければならないと、
自分に言い聞かせました。アシスタントサービスの言うままで、本当に
命を助けることができるのか、よく考えなければならないと、鵜呑みに
せず、自分で検討することに決めました。もしかしたら、保険金を使わ
せたいのではないか?との疑念も頭をもたげてきました。

そこでこちらから母の保険金の枠を調べて欲しい、それでなければ判断
できないと、とりあえず返答を先送りにしました。

次の日、抗マラリア薬について名前と資料を病院を通じて送付してくれるとの
連絡がありました。
これは医師の処方ではなく、船の売店で、言われた量を個人で買い、個人で飲
むという方式をとっているとのことでした。

$木村洋子のブログ
リスボンの街中心地

担当医師に病状の変化を説明するために、一通り紙に書いてわかりやすく
伝える必要があると思いました。しかしながら紙もペンもありませんでした。
そして売店には売ってなく、病院の外も古い町並みのため、食事をするような
ところはあっても、売店やましてやコンビニのようなところもありません。
しかたなく、病院の事務にかけあって、コピー用紙を分けて欲しいといい
ました。言葉が通じず(医師以外は英語は全くしゃべれません、日本と同じ)
身振り手振りで手に入れたコピー用紙はたったの2枚。その後何度も行くこと
になりましたが、最高で3枚しかくれず、書き損じをしないように大変苦労
しました。

$木村洋子のブログ
苦心の末、完成した母の病状の日時的変化の表

つづく