彼女と喧嘩をした。時刻は良く覚えていないが、良く晴れた夕方だった。場所は俺の家。五階建てマンションの最上階の一室。
元々は俺が悪いんだよ。俺が浮気したからだ。今日、初めて彼女を家に連れてきたんだが、その時に俺と浮気相手が一緒に写っている写真を見られてしまった。
彼女、高所恐怖症で脚立も登れないようなか弱い娘だったから、まさかこんなに怒るとは思わなかったよ。
カッとなった彼女に手痛い一撃を喰らった時は、流石に参ったよ。反省した。俺は謝った。
さすがにやりすぎてしまったことを悟ったのか、彼女も謝ってきた。泣きながら俺にしがみついた。白いコートが汚れるくらい、ギュッと抱きしめてくれた。
その時、俺はわかったよ。この女を愛してたんだって。誰よりも、誰よりも好きだったんだって。
俺も彼女を力いっぱい抱きしめたかった。でも、それは出来なかった。
俺は心を鬼にして彼女を突き放した。
「俺に触るな、汚れるだろ!! 涙を零すな!! 帰れ!!」と。そして彼女のコートを奪い、何処でも買えるような紺色のレインコートを投げつけた。
そして、俺は思い出した。この家の近所で、最近刃物を持った変質者が度々目撃され、警察が常にパトロールをしているということを。
俺は言った。「危ないから、ここを出たら明日の朝までずっと友人と一緒にいろ。後で電話するから、絶対だぞ!!」と。
彼女は頷いてレインコートを着込み、フードを深々と被ってそそくさと帰っていく。
ふう、やれやれだぜ。
俺は彼女が好きだった。プロポーズした時は絶対に幸せにしてやると約束した。なのに、俺は彼女を全然幸せにしてやれなかった。
それどころか、俺のせいで彼女は不幸のどん底に陥ってしまうかもしれない。
俺は重い身体を引きずって、台所に立った。そして洗い物をする。そう、刺身にしようと魚を卸していた途中だったな。包丁についた血とかは良く洗い落としておかないと。特に持ち手の柄の部分はしつこいくらい入念に洗う。
そして、脱衣所でコートを脱ぐ。脱いだコートは、風呂場の湯の張った浴槽に放り込んでおいた。こうした方が、良く落ちるんだ。
相当辛い。頭痛はするし、眩暈もする。でも、大好きな彼女のためにもうひとふん張りだ。
まずは床掃除。ドアノブや壁などを念入りに。床に目を落とすと、茶髪に染めた彼女の髪の毛が落ちている。危ない危ない。こういうものはしっかりと拾っておかないと。
俺は彼女のコートと浮気相手と一緒に写っている写真を鋏で細かく切り刻み、彼女の髪の毛と一緒にトイレに流した。そう、彼女へのお別れの気持ちを込めて。
最後に部屋全体を見回す。うん、すっかり綺麗になった。女っけの無いむさ苦しい部屋だ。それが俺にはお似合いだ。
俺は彼女に電話をかけながらドアと、バルコニーを除く窓を全て内側から鍵をかけた。途中で彼女の友達にも電話を代わって貰い、「今、何時でしたっけ?」というような他愛無い会話をして電話を切る。
その後、金属バットを持ってバルコニーに出ると、外側から室内目掛けてガラスを粉々に叩き割った。わざと近所の人にも聴こえるように、ガッシャ~ン!! と盛大に。そう、ここは五階。だから、絶対大丈夫。彼女は俺が守ってみせる。
もうそろそろ体力の限界だ。眠い。でも、眠るのはもう少し後だ。あと少し頑張れば、好きなだけ眠れるのだから。
俺は110番通報した。慌てて言う。
「助けてくれ!! 刃物を持った髭面の男が窓から部屋に入ってきた!! こっちに来る、うわ、やめろ、うぎゃああああああ!!」

電話を切る。そのまま、俺は静かにソファに横たわる。ああ、眠い。
最後に思い浮かべるのは、彼女と付き合っていた頃の楽しい思い出。
俺みたいな奴のことなんか忘れて、幸せになってくれよ。





ヒント:手痛い一撃




ネタバレ:『俺』は彼女に包丁で刺された

      ⇒彼女が犯人だと分からないようにしてから死んだ