Sun 160424 サンチャゴ巡礼 カルカソンヌ到着 コブタのハチミツ焼(ボルドー春紀行8) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 160424 サンチャゴ巡礼 カルカソンヌ到着 コブタのハチミツ焼(ボルドー春紀行8)

 フランスからピレネー山脈の山道を抜け、スペイン北西端の街サンチャゴ・デ・コンポステラの大聖堂までを踏破するのが、有名な「サンチャゴ巡礼の旅」である。

 ワタクシはすでに2011年12月、とりあえずサンチャゴ・デ・コンポステラにだけ行ってみた。巡礼みたいなツラく苦しいことは苦手なので、マドリードから「ヒコーキでビューン」をやった。

 ヒコーキで行ってもご利益はないだろうが、そのぶん12月24日、クリスマスイブの日に到着。翌25日はもちろんありがたーいクリスマスであるが、キリストさまのありがたーいお誕生日も、ありがたーい大聖堂で、「ボタフメイロ」というありがたーい行事を満喫してきた。

「ボタフメイロとは、何ぞや?」などとヌカす不信心者も多いだろうが、釣り鐘ほどもある銀色の巨大な香炉が、青白いケムリをモクモク吐きながら、フリコのように大聖堂の天井を何度も何度も揺れ動くのである。

 難しい宗教的な意味はいろいろあるんだろうけれども、モトはと言えば、巡礼者たちの肉体からモーモーと立ち上る体臭を、香草のケムで消臭力するのが目的だったんだそうな。

 何しろピレネー越えの長い険しい山道だ。巡礼は最後まで徒歩で踏破するのが基本であって、ホントに歩けば60日もかかる。カラダの弱いヒトならもっともっとかかる。

 巡礼が盛んだった大昔は、お風呂のつき宿屋なんか滅多にないから、大聖堂にたどり着く頃には、1人1人の体臭は物凄いことになっていた。そういう巡礼が大聖堂に200人 ☞ 300人と集まれば、香草のケムでもブンブン振り回さなければ、オボーサンたちもたいへんだっただろう。
お城
(カルカソンヌのお城に到着)

 今や巡礼の道もすっかり整備され、巡礼用の小さな宿屋もシャワーぐらいは備えている。そもそも巡礼を実行するヒトも少なくなって、大聖堂が体臭の渦で満たされることもなくなった。

 だからボタフメイロも、1年に数回しか出番がない。その少ない出番のうちの1回が、12月25日。2011年の今井君は、ピンポイントで大聖堂に入り、聖なるケムがユラユラ揺れる勇姿に熱い涙を流したものである。

 その巡礼の道が集中するのが、今回の旅のフランス南西部である。4月4日のワタクシは、ボルドーからカルカソンヌに向かうのであるが、途中で4本の巡礼ルート全てを横切っていく。フランス南西部には、中世以来の歴史が今もドックン&ドックン、生き生きと脈打っているのである。

 カルカソンヌも、世界史の教科書の中の話がいろいろ多様に絡み合ってくるので、噛みしめれば噛みしめるほど、ジュワジュワ濃厚なスープが滲み出してくる。

 人々の絶讃は「カルカソンヌを見ずに死んではならない」というほど。「ナポリを見たら死んでもいい」の、対偶表現の一種と言っていい。何しろ交通の要衝だ。大西洋と地中海を結び、イタリアとスペインを繋ぐ重要な位置にある。
野菜スープ
(カルカソンヌの名店でまず「野菜スープ」をいただく。見た目はどうあれ、味のほうは絶品。1年分の野菜を一皿に濃縮したほどの充実感があった)

 つまり、古代にはローマ帝国とイベリア半島、中世から近代には大西洋と地中海をつないだのだ。南米大陸がスペインの植民地化した16世紀以降、このルートの重要性はますます高まっていく。

 南米からの膨大な金銀や物産を地中海地域に持ち込むには、ホントならジブラルタル海峡を通りたい。しかし海峡周辺には。北アフリカが根城の海賊がウヨウヨしていて、略奪や拉致の餌食になることが多かった。そこでビスケー湾からガロンヌ河を通り、トゥールーズで陸揚げして地中海側に陸送する。

 そこから先は世界史の教科書で読んでくれたまえ。やがて海の女王 ☞ ヴェネツィアが衰退。ウルトラ大国 ☞ トルコ帝国も衰退。スーパー大国 ☞ スペインも衰退。つまり地中海地域全体が地盤沈下して、オランダやフランドルの天下がやってくる。こんな山の中の険しい交易路を通る必要もなくなっちゃった。

 うぉ、あまりに悲しく長い右肩下がりの歴史である。しかし過去の栄光を物語る歴史遺産なら、「あそこも世界遺産」「ここも世界遺産」「みーんな世界遺産」という形で、今もなおナンボでも残っている。
仔豚ハチミツグリル
(絶品「コブタのハチミツ焼」。カルカソンヌに来たら、名物「カスレ」よりも、こちらを試してみるべし)

 カルカソンヌの駅を降りて、すぐ目の前に横たわっているのが「ミディ運河」。トゥールーズから地中海の港町まで、全長240kmの運河である。17世紀、翳りの見えた南フランスの商業をこの運河が支えた。昨日の写真3枚目がそれだ。

 世界遺産に指定された現在、「運河クルーズ」が人気。90分のショートコースから、3時間近いロングコースまで、たくさんの水門をくぐりながら17世紀までの繁栄を思うのも悪くない。ただし今回はその時間がない。「見残し」「次回に延期」ということにした。

 閑散とした駅前に、日本の交番ぐらいのインフォメーションブースが立っている。「地図でももらいますかね」と考えて近づくと、何と中から「日本語でどうぞ」という優しいオバサマの声。日本からこの穏やかな町にやってきて、そのまま定住なさっているのだとおっしゃる。

 マコトに丁寧に道案内をしてもらった後で、「明日は荒天になりますから、今日でよかったですね」と笑顔で送り出された。こういう出会いも嬉しいものである。

「お城まで歩きます」と言うと、ずいぶんビックリしていらっしゃったが、実際に歩いてみると30分ほどの道のり。しかも途中の旧市街は、13世紀から14世紀にかけて成立した中世の町である。歩いてみるだけの価値は十分にある。
ワイン
(ここはもう地中海岸に近い。店のワインも、ボルドーばかりではない)

 駅から10分ほど南下、「カルノ広場」の先の角で左折したら、あとはひたすら東へ。オード川の清流を眺めつつ橋を渡りはじめたあたりで、いよいよ城塞都市「シテ」が見えてくる。全長3kmの城壁。塔と砦の数は50を超える。まさに「ディズニーのモデルの1つ」という景観である。

 オード川の橋は2つ平行に並んでいて、新しいほうがポン・ヌフ、「中世のまま」なほうがポン・ヴュー。要するに「新橋」と「旧橋」をフランス語で言っただけのことだが、ここからの夜の写真撮影がマコトに楽しみである。

 橋を渡ったあとは、緩い坂道が続く、そりゃ中世の城なんだから、山の上にあるのは当たり前。こんなにユルい坂道で許してもらえるなら、むしろお城を作ったヒトに御礼を言いたいぐらいだ。

 お城の絶頂期は、11世紀から12世紀。中世の城門から中に入ると、ずいぶん風の強い日であって、観光客は強風に吹かれて悲鳴をあげている。モン・サンミシェルと比較するとその閑散ぶりが目立つのであるが、風の強さも原因の1つかもしれない。

 で、さっそくお城の中を探険するか、それともまずホテルにチェックインするかなのであるが、諸君、このクマ助を侮ってはならない。何とワタクシは「まず ☞ メシ♡」と決め、場内のレストランを物色しはじめた。
絵皿
(とにかくコブタが名物。マドンナが抱っこするのもコブタ君だ)

 何しろ昨日ボルドーで痛い目にあったばかりだ。メボしい店をさっさと探して、さっさとメシにありつかないと、昨日みたいに「旨い店はみんな閉まっちゃった」ということになりかねない。

 選んだのは、カルカソンヌの名店「Auberge de Dame Carcas」。「カルカソンヌの聖母」であるが、店内には可愛いコブタさんのオブジェが溢れ、お皿の上でもコブタを抱っこしたマドンナがニッコリしている。

 薄暗い店内にはまだ3組のお客がいて、これなら今ワイン1本開けても大丈夫そうだ。ガイドブックには「ランチは14時まで」とあるが、結局15時近くまで粘らせてくれた。

 注文したのは、① 野菜のスープと ② コブタのハチミツ焼き。「野菜のスープ」のほうは、色といい & トロミといい、見た目はマコトに怪しい1品。ワタクシはこの濃密さが大好きだったが、気の弱いヒトは食欲をなくす可能性もある。

 一方、「コブタのハチミツ焼」は、こりゃ絶品と言っていい。この地域の名物「カスレ」にするかどうか、かなり迷った後での選択だったが、何しろ店の中がコブタのオブジェだらけなのだ。お店のヒトも、「食べてほしいのはコッチ」という表情で嬉しそうに運んできてくれた。

 というわけで諸君、今日もこんなにたくさん書いて、それなのにまだカルカソンヌのお城探険に至らない。ホントにスミマセン。でもせっかくの中世のお城だ。そんなにイライラせずに、暖かく見守ってくれたまえ。

1E(Cd) Gergiev & Kirov:RACHMANINOFF SYMPHONY No.2
2E(Cd) Four Play:YES PLEASE
3E(Cd) Midori & McDonald:ELGAR & FRANCK VIOLIN SONATAS
4E(Cd) Gergiev & Kirov:RACHMANINOFF SYMPHONY No.2
5E(Cd) Four Play:YES PLEASE
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